【二〇十六年八月七日 日曜日】



 久しぶりに袖を通したスーツは、やけに強張って感じられた。
 いや、強張っているのは自分の身体か。壇上に立ち、諌那はそう思う。目下にずらりと並んでいるのは黒い喪服に身を包んだ数多の人々。この式典に、名古屋消滅犠牲者追悼式典に参加した遺族の人々だ。
 彼らがこちらに向けている視線には、複雑な感情が感じられる。多くは憤り。そして困惑。或いは期待。今更この場に姿を現した自分に対する怒り、戸惑い。そしてこれから自分が口にするであろう、当然の主張に対する期待だ。
 諌那は苦笑した。その期待を、笑ってしまうぐらい鮮やかに切り捨てるこれからの自分に、何よりも苦笑した。

「諌那」

 隣に立ったジャスミンが、進言するように小さく名を呟く。
 うん、と諌那は呟いた。分かってる、と告げる。
 ふう、と深い息を吐き、諌那は周囲を見渡した。黒い荒野にぽつんと佇むこの慰霊碑。この碑が立っている場所は、崩壊で唯一生き残った土地だ。即ち、この自分が佇んでいた場所に他ならない。
 硝子の荒野は依然として消えない。この傷跡は、たとえ復興事業が興ったとして、まだ何年も残るだろう。
 しかし。
 少なくとも、いま雨は降っていない。空に広がっているのは、うだるような暑さをもたらす夏の青だ。

「――皆さん」

 暗記したスピーチの原稿を、何度も繰り返した内容をいま声高に主張する。
 この場に集まった全員が期待しているそれと、まるで反対の内容を。



「僕達と天使は、分かり合えます」



 ざわざわと、会場にざわめきが生まれた。向けられた視線にはどんどんと困惑の色が濃くなり、明確な敵意すら篭もり始める。
 数多の人間に睨まれながら、それでも諌那はそれを涼しい笑顔で受け流した。
 窺うように見れば、傍らのジャスミンもこちらを見ている。
 視線が絡み、どちらともなく微笑んだ。



 さあ、と諌那は気合を入れた。
 今更口篭もることもなかろう。一度口にした言葉は消せないし、消すつもりも毛頭無い。
 世間の言い分と願いと要望を真正面から受け止めて、全部変えてみせる。
 そのために、いま、僕はここに来てみせたのだ。



「僕達と天使は、分かり合えます」



 いま一度、諌那は繰り返した。
 それが、自分があの日に生き残った何よりの理由だと感じながら。









(完)




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