小さな衣擦れの音と共に、彼の魔法使いは姿を見せた。
「ベディヴィエール殿よ。王は逝かれたか」
木の幹に背中を預け、静かに息を引き取った王を看取った騎士は振り返り、言葉もなく頷いた。
マーリン。彼が使えた凛々しき王の御意見番であり、相談役であった魔法使い。
「つい、いましがた。私に聖剣の返却を命じ、静かに息を引き取られました」
ベディヴィエールの声には覇気がない。それも当然か。彼がその剣を預け、一心に支えようとした王が、目の前で息絶えたのだから。
魔法使いは息を吐いた。それは悲しみを押さえるためのものではなく、微塵の同情も含まない嘆息なのだとベディヴィエールが理解したとき、
「この愚か者が。意地を張りおって」
誰よりも慈しみを含んだ親の声を絞り、彼の老魔法使いは懐から一振りの短剣を取り出した。
「魔術師殿、それは」
「儂の秘奥じゃよ。儂はこれからこの馬鹿者を癒し、誰も辿り着けぬはずの理想郷に送ろうと思う。異論無いか?」
「死んで――――死んでらっしゃらないのですか、王は」
悲しみを湛えていた顔に僅かな希望を見せ、騎士は尋ねた。
魔法使いは頷く。
「死にかけてはおるが、な。いまならまだ間に合おうぞ」
「ならば魔術師殿、早く――――」
「その前にベディヴィエール殿よ、尋ねておきたい」
氷を思わせる冷酷さで、魔法使いは問うた。
「そなたが望むのは王の存命なのか、こやつの存命なのか」
「? 魔術師殿、それは」
言いかけて、はたと気付く。
その問いの意味。そして魔術師の決意。
王として生き長らえるのか、それとも――――その責務から解き放たれた、ただの人間として許された生を謳歌するのか。
「――――」
考えるまでも、無いことだった。
ベディヴィエールは剣を抜くと、それを儀礼に乗っ取り構える。
「我が剣は我が主の為に。この命は我が王の為に輝き、燃え、散らされるでしょう。
――――我が王の為に。我が剣はその為に」
剣とはつまり騎士の命。
誓いとは即ち騎士の在り方。
故に、彼の騎士は、自らの剣を大地につきたて手を離した。
静かに顔を上げ、躊躇いの無い口調で自らの思いを語る。
「我が王はここに亡くなられました。我が誓いも、いまここに終えるだけです」
「――――そうか。王は、もう崩されたのであったな」
魔法使いの声には苦笑の色が濃い。
騎士の答えは、彼が期待したものそのものであった。
騎士の柔らかい視線を受けながら、老魔法使いは抜いた短剣を王にかざす。
それは、珍妙な短剣だった。
間違いなく儀礼用のものだろう。切れ味など微塵も考慮していないそれは、その実、金属ですらない。
多数の面によって構成された刃は、そう、宝石。
老魔法使いが秘奥とする、宝石剣――――
透明だった刀身が七色に輝き、無限に連なる隣の世から無制限に魔力を吸い上げる。
宝石の内より出でた光は王の身体を纏い、そして、
「アルトリアよ。よくぞ耐えた」
魔法使いの言葉に応えるように、繭を編むかのごとく王の全身を包み込み、
「故に――――そろそろ目を醒ませ、この馬鹿者が」
千を越えた年月の後に第二魔法と呼ばれることになるその技術により、王の体は薄れるように空気に溶けた。
己の王が姿を消す様を、騎士は静かに見届けてる。
その視線は安らかな王の顔と、老魔法使いの、孫を見るような愛しさに満ちた顔つきに向けられている。
……マーリン。
彼の王の相談役であり、誰よりも優れた魔法使い。
その正体は、実のところ王の近衛兵であった騎士でさえ知るところではなかった。
だから、耳にするのは僅かな噂ばかり。
曰く世界と時間を渡る旅人であり、
曰く悪に義憤し善を笑う変わり者、
曰く宝石を用いた魔法を使い、
曰く万華鏡を自称する――――
……そんな断片的な情報では、この魔法使いの本性などつかめないだろう。
王が消え去ったあと、ややあって恭しく騎士は魔法使いに頭を下げた。
「感謝いたします、魔法使い殿」
「頭を下げられる謂れはあらぬ。儂もまだまだ修行が足りぬわ」
老魔法使いは呵々と笑った。
顔を上げた騎士は安らかに微笑を浮かべる。
「魔術師殿は、これからどうなされるのです?」
「あの馬鹿者に説教をしたのち、別の世にでも渡るとするかのう。まだまだ命を終えるには遊びたりんのでな」
真顔で言う魔法使い。
騎士はそうですか、と改めて頭を下げ、
「それでは、よき旅路を」
「そなたもな」
別れの挨拶を告げ頭を上げると、魔法使いは名残も残さず旅立っていた。
Fate/stay night
after story…
全て遠し理想郷
春はもうすぐ終わろうとしていた。
衛宮邸から学校に向かう道中に咲いていた桜は既に散り、青々とした葉桜を見せ始めている。
街に残った聖杯戦争の爪痕も段々と薄れ、あの悪夢めいた日々は日常の記憶に埋もれていく。
俺だって、そうして風化していく記憶から逃れることはできない。
あまりに多すぎる思い出は俺の手をあふれ、無残にも色あせていくだろう。
だから俺は、ただ一つの記憶を知識と代えて胸に刻む。
――――衛宮士郎は、セイバーを愛していた。
ただそれだけの、些細なことを。
新都のバス停をあとにし、俺たちは駅前に向かった。
面子はいつものとおり。俺とイリヤ、桜に藤ねえ。ついでに春先からこっち何かと接触してくる遠坂の五人だ。
休日の昼間と相成り、混雑する駅の改札口を越え電車に飛び乗った。
人数分の席を確保し一息をつく。この時間帯、新都に向かう人は多くとも離れる人は少ないというのが幸いしてか、空席が目立っていたからそれほど難しいことでもない。
「シロウ」
呆、と窓の外を眺めていると、隣に座ったイリヤがこちらを覗き込んできた。
「今日はどこに行くの? 私、知らないんだけど」
「なんだ、藤ねえから聞いてないのか?」
「え? 私、イリヤちゃんが行くからついて来ただけよ?」
「私も何も聞いてないわね。説明してくれる? 桜」
「――――」
俺たちの言葉を受け、僅か目を細める桜。
桜はしばらく沈黙したあと、小さく小さく呟いた。その目はどこか責めるように俺を見ている。
「私、イリヤちゃんにも今日のことお話した覚え、ないんですけど」
「え? じゃあイリヤはどこで知ったんだ? この話」
はてな、と首を傾げる俺。俺はイリヤに喋った覚えは無いし、桜がそういうのなら桜が喋ったわけでもないのだろう。しかし遠坂と藤ねえはイリヤから情報を得たっぽい。
俺の言葉に嘘が無いことを汲んだか、桜も驚いている。となると、やはり桜が口を滑らせたわけでもないのだろう。
……ん? だとするとどうなってるんだこれ。
一人頭を悩ませていると、イリヤが冷めた口調で口を開いた。
「シロウを責めないで、サクラ。私は自分で調べたの。シロウから聞き出したわけじゃないわ」
「だよな。俺もイリヤに言った覚えは無い。
……でも、ならどうやって知ったんだ?」
言ってから、不意にぞくりとする。
それはイリヤの目を見たからで、正確に言えばかすかに歪んだその口元と僅かに細められた瞳を見たからだ。
「そうね、シロウ。一ついいことを教えてあげる」
口元に指を当て、怪しげにイリヤは言う。
……聞きたくない。直感だけど聞いちゃいけない気がする。ていうか頼むからそれ以上言わないでくれ。
かなり本気で願うが、そんな曖昧なものはどこにも届かなかったらしい。
「家に帰ったら電話の受話器、よく調べたほうがいいわよ。ひょっとしたらあるはずの無い機械が入っているかもしれないから」
「――――イリヤ、まさかアンタ」
愕然とする遠坂。
イリヤは妖艶な笑みを消すと表情を一転させ、満面の笑みで俺に抱きついてきた。
「えへへ、お兄ちゃんの言動なんて全てお見通しなのだー」
「って、いきなり抱きつくんじゃないイリヤ!」
「……はあ、まあ、いいけど」
呆れながらに言う遠坂。ちょっと待て。全然よくない。
そう思いながらイリヤを剥そうと多少は抵抗するも、手荒なことができるはずもなくあっという間に成すがままにされる俺。ああ、なんかイリヤにすらパワーバランスで負けている気がする。
そんな俺たちを見て笑いながら、藤ねえは仕切りなおしをするかのように桜に向き直った。
「それで桜ちゃん、結局今日はどこに行くの? 行き先は海鳴みたいだけど」
「……はい。その、今日は海鳴で有名な喫茶店に行ってみようかなって思ったんです」
観念したか、肩をうなだらせながら応える桜。
「海鳴の喫茶店?」
「はい。美綴先輩に教えてもらったんです。なんでも、有名歌手も時々顔を出すほどのお店らしくて」
「へぇ、綾子の紹介なのね。なら味のほうも期待できるかな」
「……む。私美綴さんにそんなの教えてもらってない。今度ちゃんと言っておかなきゃ」
なんか理不尽なことを言いながら頬を膨らませる藤ねえ。ちゃんと言っておくって何を言っておく気なんだろうか。
行き先が喫茶店と知ってからは女性陣の会話に花が咲いた。
唯一の男である俺は微妙に疎外感を感じながら、何とはなしに外を見つめる。
……結局、何故桜がイリヤにすらこの件を話していなかったのかは分からなかったが、とりあえず列車はもうすぐ海鳴に着こうとしている。
久しぶりに見た隣街に、俺は幸先のいい予感を感じずには居れ得なかった。
いや、人の予想なんて当てにならないなホント。
「本日3時より貸切って、なによそれ」
道中、一番興味なさそうな振りを装っていた遠坂が看板を睨んでいる。その視線の先にはアンティークなドアに掛けられたプレート。そこに書いてある内容は、遠坂の呟きそのものだった。
目に見える落胆をしているのが二人。桜とイリヤ。
一見堪えて無さそうだが、確実に瞳に影を落としているのが遠坂と藤ねえ。
……いや、前言撤回。藤ねえの反応はアレだ。影落としているとかそのレベルじゃなくて、この世全ての希望を奪われたようなそんな反応。ショックのあまりフリーズしました、ってのが一番正しいと思う。
「三時か。あと三十分早ければどうにかなったかもしれないな」
腕時計を見ながら俺は言った。現在時刻三時十五分。惜しいといえば惜しい時間帯だろう。
「うぅ、悔しいよぅ」
と、ショックから抜けたのか、藤ねえが本気で涙ぐみながら看板を見やる。
その視線は羨ましさと悔しさと悲しさと殺気で――――傍から見たら洒落にならないほどの気配を纏っていることになる。
「私も食べたかったなー」
こちらはこちらで純粋に悲しそうなイリヤ。
好対照の二人を見て、俺は小さくため息を吐いた。
「遠坂」
「……そうね。このまま藤村先生を放っておくのも気が引けるわ。
どこか場所移して、三人のストレスを発散させたほうが、」
いいわね、と言い切るより早く。
背後に立っていた影に、俺と遠坂は反応していた。
いつのまにか背後に立っていたのは、一人の青年だった。
すらりと高い背。黒いシャツとズボンに身を包んでいるその姿には、正直隙が無い。
……当たり前だ。俺はともかくとして、遠坂ですらこの距離になるまで反応できなかったのだ。
そんな男が、ただ者である筈がない――――!
僅かに腰を落とす俺。それを見てか、僅かに男の表情が曇る。
男は申し訳ないといった風に視線を逸らすと、静かに頭を下げた。
「……すまない。驚かせたようだな」
「え? あ、いえ、別に……」
思わずしどろもどろに返す俺。隣ではぽかんと呆けている遠坂。
……遠坂がそんな反応をするなんて珍しいことこの上ないことだけれど、まあ、分からないわけでもない。俺たちの前に立っている男は、その気配、雰囲気、視線のどれをとっても戦闘訓練を積んだもののそれだ。人を斬ったこととて、一度や二度ではないと思わせるその雰囲気は一朝一夕で身に着くものではない。
身に着くものではないのだが――――男の外見は、まだせいぜい二十歳といったところだろう。それに加えて、いま漏れた声。その声は決して戦いに楽しみを見出すようなものではなく、また戦いに身を置く人間のそれでもなく。一言で言うなら、大事なものを知っている人間の、それだった。
男は顔を上げると小さく微笑んだ。思わずも漏れた笑み、というわけではなく、おそらくこの程度がこの青年の感情表現なのだろう。
ようやく第三者の出現に気付いたか、俺の背後で三人が振り向く気配がした。
「うちに、何か御用でしょうか」
「うちって……貴方、この喫茶店の人?」
この青年に危険はない。そう判断しても、身体が下した判断は簡単には覆せないのだろう。緊張を残したままで問う遠坂。
「ええ。一応、店主の長男です」
「……じゃあ聞かせて。今日に限って貸切ってどういうこと?」
躊躇いも怯えも遠慮も無く、イリヤが尋ねた。
その声の冷たさに驚いたか、青年は小さく首を振り、
「今日は身内の顔合わせでして……今日はどちらから?」
「冬木よ。楽しみにしてたんだから」
「……ダメですよ、イリヤちゃん。あんまりお店の人を困らせちゃ」
だってー、と駄々をこねるイリヤを諌める桜。
そんな二人を見て、僅かに逡巡する青年。
「それは……その、わざわざ出向いていただいてありがたいのですが」
「別にいいんじゃない? 恭也」
新しい声は青年の向こう、物陰から聞こえてきた。
ん? なんか聞き覚えのある声だぞ。
その声に顔をしかめる青年――――恭也? 彼が振り向くと、隠れていたのだろう、道の影から一人の老婆が姿を見せた。
「――――」
息を飲む女性陣。
……いや、俺も十分驚いてる。
老婆、いや、女性は柔らかい物腰で恭也の脇に立ち、身も知らぬ俺たちにたおやかに微笑んでくれた。
「申し訳ないわね。でも、どうかしら? これも何かの縁ですし、ご一緒しません?」
「えっ……いや、その。ええと」
本格的にどもる俺。
そんな俺を見てか、それとも自然とか。遠坂が震える声で、口を開いた。
「ティオレ・クリステラさん……ですよね?」
「ええ」
にこりと微笑む女性。
ティオレ・クリステラ――――イギリスの上院議員アルバート・クリステラの妻であり、世紀の歌姫と称された最高のシンガー。そしてイギリスが誇る最高のソングスクール、クリステラソングスクールの塾長。
俺が知っているのはそんなさわりの情報だけだが、逆に言えば俺ですらその程度のことは知っているという、世界レベルで有名な女性である。
あの遠坂も、さすがに緊張しているようだ。
……勿論俺もだけど。
答えに窮している俺たちを見かねたのか、すっ、とイリヤが一歩前に出る。
驚く俺たちをよそに、イリヤは恭也とティオレさんの顔を交互に見つめ、静かに微笑み、スカートの端を掴んで恭しく頭を垂れた。
「身も知らずの私たちに対してのご好意、感謝してお受けいたします」
「いえいえ。……驚いたわ。あなた、一人前の淑女なのね」
「……まだまだ嗜みが足りません。貴方のような方が身近にいらっしゃれば、不平はないのですけれど」
イリヤは顔を上げる。そしてくるりと身を翻し、今度は子供らしい満面の笑みを浮かべた。
「ご一緒させてくれるって、シロウ!」
「あ――――え、うん。そうだな。いや、よかったよかった」
どうにか答えるが、声も返事もどこか的外れになっているのは、俺自身充分承知していた。
――――何というか。
信じられないような、豪華な面子だった。
温かみを伝えてくるアンティークな喫茶店。その店内には俺たち一行を除いて十人の姿があった。しかもそこにまだ四人ほど加わるらしい。
いま居る面子の中で俺が知っているのはティオレさんだけだが、遠坂の場合もう少し増えるらしい。店内に入った瞬間身体を強張らせ、一筋の汗を流したのを俺はちゃんと見ていた。
で、その遠坂はいま、椅子に座って賑やかな輪に加わっている。位置しているのは月村さん……だったかな。紫の髪をした女性の隣だ。どこか緊張したように言葉を交わすのは、正直遠坂らしくない。
藤ねえが捕まった――――というか捕まえたというか。とにかく輪を作っているのは、恭也曰く保護者チームとのこと。この店のオーナーにしてメインシェフ、高町桃子さんとその義理の妹らしい不破美沙斗さん。プラスであのティオレさん。ティオレさんはともかく、他の二人とは歳が近いからなのかどうか、四人はひたすらに気が合っている模様。
人見知りで、こういった賑やかな場はまず苦手だろうなと思った桜でさえ、いつのまにか輪に溶け込んでいる。眼鏡を掛けた黒髪の人は、確か恭也の妹で美由希さん。その友達の神咲那美さんと一緒に、女性らしくしとやかに会話している。神咲さんが連れている狐の効果もあるのだろうけど、あの桜が初対面であんな風に笑うのは、正直、意外だった。
で、ティオレさん曰く小さなレディのイリヤはというと、
「アキラ、レン、ちゃんと聞きなさい!」
「あうう……」
「な、なんかなのちゃんの数年後を見とるみたいや……」
お店の片隅で、高町家末女のなのはちゃんと一緒になって晶ちゃんとレンちゃんに延々と淑女の嗜みを説いていた。
「いい? 別に武道を身につけるなとは言わないわ。でもそれだけに秀でることもないでしょう」
「い、いちおう俺たち、料理も得意なんだけど……」
「せ、せやでーイリヤちゃん。うちはこのおさるみたいに体力バカってわけやない」
「……んだとこの亀」
「なんや。やるかー?」
「二人ともやめなさーい! いい機会なんですから、ちゃんとイリヤさんの話を聞くこと!」
「……ナノハは偉いわね。私以上の淑女になる素質があるわ」
「え? あ、いえ、そんなことはないですよー」
えへへ、と照れるなのはちゃん。それをみてとても優しそうな笑みを浮かべるイリヤ。
で、その隙をついてそっと二人から離れようとした晶ちゃんとレンちゃんに、イリヤの一喝が飛ぶ。
……あの四人、さっきから永久ループであんなことしてるぞ。ついでにイリヤ。微妙にさっきから説く内容がきつくなってるのは俺の気のせいか?
「――――ふぅ」
なんだか会話に加わらずとも見てるだけで疲れるので、俺は息を吐きながら程よく冷えたアイスティーを口に含んだ。あまりに多い新しい名前に、正直意識が飽和気味。
と、いつのまにか隣にやってきていた恭也が失礼、と言って腰を下ろす。
「……どうかな。うちのシュークリームは」
「美味しかったです。できれば作り方教えてもらいたいほどに」
かなり本気で、心からの賛辞を返す。
恭也は嬉しそうに微笑み、自分のアイスティーで口を湿した。
……なんとなく、何を話しに来たのかは予想がついていた。
「不思議ですか、俺たち」
「……ああ。俺も人のことは言えないが、君の物腰は異質だ。普通の人間には見えない」
内容が内容だからだろう。潜めた声で恭也は言う。
「……その通りですよ。俺と遠坂――――分かりますか? あのあかいあくまですけど」
「ああ。忍と話してる人だろう」
「ええ、アイツです。俺とアイツと、あとイリヤは――――微妙に裏の人間というか、灰色というか」
「ふむ。イリヤさんはそうは見えないが」
「ですよね。でも、それを言ったら、ここにいる人たち大半がそうとは見せずに訳ありじゃないですか」
「――――」
恭也の眼光が僅かに鋭くなる。
気にせず、俺は続けた。
「恭也さんと美由希さん、あと不破さんは刃物を日常的に扱う人ですね。それにあの狐はただの狐じゃない。神咲さんだってどうにもきなくさい。晶ちゃんやレンちゃんは武道に精通している物腰ですし、月村さんに至っては――――俺、あの人が純粋な人間には思えないんですけど、違いますか」
「何故、そう思う?」
「勘、と言えば信じますか? 俺たちはそっち方面の感覚を磨く人間です。――――少なくとも。殺し殺されを、受け入れなくちゃいけない人間ですよ」
言いながら、俺は思わず苦笑していた。
初対面の人にこんなことをばらすだなんて、遠坂に知れたら百度殺されておつりがくるかもしれない。
「なかなか込み入った事情がありそうだな」
「そちらも同じだと思いますけどね。
――――そう言えば、まだあと四人ほど来るって言いましたね。いつ到着されるんです?」
「そろそろだと思うが――――」
言う恭也の言葉を遮るように、店の外から車のブレーキ音が響く。
「来たようだな」
「ですね。俺たちはまた挨拶ですか」
「……なに、気負うことはない。全員俺の身内だ。悪人は居ない」
「そのぐらい、想像はつきます」
「そうか。……君達の中にも悪人は居なさそうだな」
「……分かります?」
言って、お互いに苦笑。
と、ドアベルが鳴り響きドアが開く。
姿を見せたのは――――ええと。なんなんだこの喫茶店。
「到着ー。フィアッセ連れて来たでー」
「ハイ、みんな、久しぶり。元気してた?」
ごく自然な足取りで姿を見せたのは、“天使のソプラノ”ことSEENAと“若き天才”アイリーンの二人だった。
息を飲む俺。ついでに目を見開く遠坂と桜。
二人は店内の俺たちに気付くと僅か首をかしげ、まあいいやー、とかいうそんな笑みで頷いた。
「――――」
凄い。
何が凄いって、あれだけの有名人が集う場所に居合わせたのも凄いし、世界レベルで人気を持つ二人が不信感を微塵も見せず俺たちを受け入れてくれたのも凄い。
それが二人の性格なのか、それともこの高町という家の持ち味なのか……きっと両方だなと思う。
……って、なんかさっきもう一人有名人の名前が出たような。
「ごめんー、妹の着替え手伝ってたら遅くなっちゃった」
やや照れたような顔で入ってきたのは、ティオレさんの愛娘、いま現在日本で売り出し中の注目歌手、“光の歌姫”フィアッセ・クリステラ。
ああもう、なんなんだよいったい! なんでこの日本の一箇所に、こんな有名人が集うんだ!?
唖然とする俺たち一般人。あの藤ねえですら固まってる。
と、そんな俺たちに構わず、僅かに眉を潜めたのはずっとカウンターで藤ねえと話していた不破さんだった。
「妹さん……ですか?」
「ええ、そうですよ」
答えたのはフィアッセさんではなく、その母、ティオレさん。
「もっとも、養子ですけどね。なんだか故のある出会いでしたので、思わず引き込んでしまいました」
苦笑交じりに語るその顔は、紛れもない母のそれだった。俺は不意に、一ヶ月ほど前のニュースを思い出す。その内容はクリステラ夫妻が養子を迎えたというもので、まさにいまティオレさんが話した内容そのものだ。
「今日の集まりは、私の新しい娘の紹介なんです」
「そうだよ。ほら、だから早くこっちきなよー」
フィアッセさんは笑いながら、ドアの外に居るのだろう妹さんとやらを手招きする。
だけど返ってきたのは、恥じらいを含んだ返事だった。
「ちょ、もう少し待ってくださいフィアッセ……!」
――――え?
かちりと。時が止まる。
その衝撃をなんと呼べばいいのか。世界から音が消えるとか色が消えるとか、そんなのをはるかに超越した衝撃。
……見れば、遠坂も桜も、藤ねえですらも驚きに息を飲み、互いに目を合わせている。平然としているのはイリヤぐらいなものだ。
「どうした士郎君」
「え、いや、えっと……」
しどろもどろになる俺。
ああ、でもしょうがない。なにせ頭はパンクしそうで、理性はショートしそうで、意識はオーバーロードしそうなんだ。
……覚えている。
思い出ではなくただの知識にしようとしたその想いを、いまだ俺は覚えている。
その声も。その身振りも。その肌の柔らかさも。
あいつに関する記憶の全てが箱から溢れる光のように意識を蹂躙している。
「ほらほら、早く早く」
「……分かりました。覚悟を決めます」
恥らうような、それでも必死に平静さを保とうとするあの声。
――――記憶は、それが本物だと断定する。
俺は立ち上がった。
高町家の関係者全員が何事かと俺を見る。
けど、そんなのは気にならない。俺はただドアを見つめる。
人影は、しずしずと店内に足を踏み入れた。
纏っているのはワンピース。青い、藍よりなお青い奥ゆかしいワンピース。
僅かに伏せた顔は、おそらく羞恥に耐えるもの。……ああ、理解できないわけではない。あんな女の子らしい服、アイツは一回だって着たことがなかったのだろうから。
少女は顔を上げることも無く、ただかつかつと歩み、そして足を止め僅かに深呼吸し、意を決したかのように顔を上げ――――
「――――シロ、ウ?」
夢でも見たかのように。
二ヶ月前に愛を告げ、そして分かれた少女は俺の名を呼んだ。
「セイ、バー」
俺は熱病患者のように彼女の名を呼び、思わず一歩を踏み出した。
たぶんそれが、お互いを現実に引き戻し――――目の前の不思議を、現実として受け入れさせた。
「シロウ? 本当にシロウなのですか?」
「馬鹿……! 他の誰だって言うんだ……!」
駆け寄る距離は、お互いほとんど無くて――――
――――俺たちは、お互いの身体を抱きしめた。
「シロウ、シロウ、シロウ……!」
ぼろぼろと。
瞳から涙をこぼしながら、セイバーは俺の名を呼ぶ。
――――否。彼女は、もう、セイバーなんかじゃない。
だから、
「アルトリア……!」
俺は彼女の名を呼び、抱きしめる腕に力を込めた。
全員が、呆けたように二人を見ている。
その視線の先。店の中央に立つ二人は、お互いに涙しながら、お互いの存在を確かめるようにその身体を抱きしめている。
「……ねえ、ちょっと」
場を壊さぬためだろう、月村さんが小さな声で耳打ちしてきた。
「どうなってるの?」
疑問には思っているのだろうけど、不審がってはいない声。
見れば他の人たちも、二人を見つめたまま、それでも静かに微笑みだした。二人を嘲笑するでも揶揄する笑みでもない、ただ心から祝福する暖かい笑み。
ティオレさんが、孫の顔を見るのも近いわねぇなんて微妙に危機感を覚える台詞を仰ってくれる。
……まあ、うん。敵が居ないからってタカを括ってた私の落ち度だろう、これは。
あのセイバーは間違いなく本人だし、またサーヴァントなんていう出鱈目なものでもない、れっきとした人間だ。どういったからくりでこうなったのかは私如きには微塵も想像できないし、正直これで士郎を落とすのはほぼ不可能になったわけだけど――――
私は自分が微笑んでいるのをしかと認めながら、静かに月村さんに答えた。
「つまり、全てがうまくいったってことですよ」
だから、これは。
そんな、簡単な結末のお話。