アルトリアと再会して、一ヶ月が経つ。

 その間に俺は、それまでバイトしていた居酒屋に惜しまれながらも別れを告げ、冬木から離れた喫茶店を新たな職場としていた。

 理由なんて、それこそ一つか二つしかない。

 喫茶店“翠屋”のメインシェフ、高町桃子さんの料理の腕前は人並外れていてひどく興味があるし、翠屋は高町宅に近く、つまるところ――――

 

 

 

「シロウ、お仕事はもう終わりですか?」

 バイトを終えて翠屋を出ると、ドアの外で待っていたアルトリアが声を掛けてきた。

 俺は頷いて答え、小さく苦笑する。

「桃子さんがさ、早く行ってあげてー、って。アルトリアさ、中から思いっきり見えてたぞ」

「そ、そうですか? 私は隠れていたつもりでしたが……」

 言いながら露骨に視線を逸らすアルトリア。

 その様子は、嘘をつくのが上手いとか下手だとか、そういった話を越えたレベルだと思う。

「そんな訳ないだろ。アルトリアならもっと巧く隠れることができるはずだ。オマエ、わざと見つかるように隠れてただろ」

「な……! そ、それは誤解ですシロウ! わ、私はその、別に」

 真っ赤になって否定し、俯きながら尻すぼみの弁解をするアルトリア。

 

「別に……その、私が来ている事をシロウに知っておいて欲しかっただけです」

 

 小さな声でそう言って、かぁぁ、と赤くなる。

 

 

 ――――いや、だから、その。

     あまりにも真っ直ぐすぎる発言は、お互いにダメージが大きいというかなんというか。

 

 

 

 

 

 

 

「そ、そうか。それは、その……ありがとう」

「……はい」

 会話が途切れる。

 顔を紅潮させたまま固まるアルトリアと、同じようにかちこちで佇むしかない俺。

 気まずいわけでもないのに、なんとなく言葉が浮かんでこない。

 必死になって言うべき言葉を検索するが、該当する言葉が浮かぶより早く、

「二人とも」

「――――!」

 背後から掛けられた声に、俺たちは揃って息を飲んでしまう。

 振り返れば、そこに立っていたのは翠屋店主の長男、高町恭也。

 恭也はいつもの仏頂面で俺たちを眺めたあと、別段感情の篭もらぬ声で言った。

「いつまでもドアを塞いでいるのは感心しない」

「え? あ、す、すみません」

「……用事が無いなら早く帰れ。今日は美由希も暇をしているはずだ。稽古相手になってもらえると、嬉しい」

 帰れというのは、衛宮邸(おれのいえ)に、ではなく、高町家に、という意味だ。

 この人は最近、何の躊躇いも違和感もなくそんなことを言ってのける。

 それは心遣いと呼べるのか、それとも、この人自身それが当たり前だと思い口にしているのか。

 まあ、なんにせよ返事は一つしかない。

「はい。じゃあ、一足お先に失礼します」

「ああ。忍によろしく言っておいてくれ」

 短く言い残し、恭也は見せの中に戻る。

 閉じたドアの向こうから、邪魔しちゃダメじゃない恭也ー、と不平を垂れる桃子さんの声とそれに呆れながら反論する恭也の声が届いた。

「……シロウ? その、帰りましょう」

「え? あ、ああ、そうだな」

 相変わらず顔は赤いまま、けれどどこか緊張の解けた笑みでアルトリアは歩き出す。

 俺はその横に並んで、

「あ、あの? シロウ?」

「――――いいから。行こう」

 自分がこれ以上なく赤面するのを感じながら、アルトリアの手を握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  Fate/stay night after story…

  新たな誓い、或いは戦いの幕開け

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴんぽーん、と親しみが持てる音のインタフォンを押し、導かれるままに玄関をくぐる。

 廊下の置くからててて、と走ってきたのは、高町家末女高町なのはちゃんだった。

「いらっしゃいませー、衛宮さん、アルトリアさん」

「うん、ちょっとお邪魔するよ。美由希さんは?」

「お姉ちゃんは道場です。呼んできましょうか?」

「いや、いいよ。俺は稽古着けて貰いに来ただけだから、こっちから伺わせて貰う。

 アルトリアもそれでいいよな?」

「はい。私もミユキの剣術には興味がある。一手合わさせていただきます」

 剣士として美由希さんと打ち合うのが楽しいのか、アルトリアはどこか弾んだ口調でそう言った。

「わかりましたー」

「――――ん? あれ、なのはちゃん」

 ドアを出て道場に向かおうとしたとき、ふとそれが目にとまり、俺は奥に引っ込もうとしたなのはちゃんを呼び止める。

「遠坂、来てるのか?」

 玄関に行儀よく並んだ靴たちの中に、あのあかいあくまの靴がある。

「はい、いらしてますよー。いまはリビングで月村さんとなにかお話してます」

「へぇ。なに話してるんだろ」

「うぅ、それが秘密って言って教えてくれないんですよー」

 二人に仲間外れにされたことが不満なのか、なのはちゃんは拗ねたようにうなだれた。

 その頭をぽんぽんと撫でながら、俺は靴を脱いで廊下に上がる。

「シロウ?」

「挨拶だけしてくる。アルトリアは先に行っててくれ」

「――――いえ、私も行きます」

 即断即行動。アルトリアは俺に続いて靴を脱ぎ、廊下に上がる。

「じゃあお茶をお出ししますねー」

「あ、いいよなのはちゃん。そのくらい俺がやる。なのはちゃんの分も用意するから、先アルトリアと一緒に先行っててよ」

 二人にそう言い残し、勝手知ったるなんとやら。俺は躊躇いも無くキッチンに向かうと、人数分の紅茶を用意してリビングに向かった。

 高町宅のリビングには見知った顔四つ。アルトリアとなのはちゃんはともかくとして、先客の遠坂と月村さんはなにやらこそこそと話し合っていた。

 どうにも俺たちの姿が目に入っていないようなので、俺が二人に声を掛ける。

「遠坂、月村さん。紅茶、入りましたけど」

「あれ、士郎? 来てたんだ」

「こんにちは、衛宮くん。久しぶり」

 きょとんとする遠坂と、にこやかに挨拶をしてくれる月村さん。

「お久しぶりです。――――なのはちゃん、砂糖とミルクは?」

「あ、えっとー。お願いしますー」

 この面子では唯一ミルクティーを嗜むなのはちゃんをしっかりとフォローしつつ、全員分のカップを配る。

 俺はアルトリアの隣に腰を下ろし、自分の淹れた紅茶で喉を湿した。

「リンがこの家に来るとは珍しいですね」

 アルトリアが遠坂を身ながら言う。

 遠坂はそう? と首を傾げ、

「結構お邪魔させてもらってるんだけど」

「衛宮さんたちと遠坂さんは来る曜日が違いますから、そのせいで顔を合わせないだけだと思いますよ」

 遠坂の意見をなのはちゃんが補強する。

 ふむ。そんなものなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は現在、二日に一日程度のペースで翠屋のバイトをしている。

バイトが終わったあとは、大体こうして高町家にお邪魔することが多い。お茶会に付き合う日もあれば、美由希さんや恭也に実戦もどきの打ち合いをさせてもらうこともある。そのあとはちゃっかりと夕食にご一緒したり、逆に振舞ったり。

……なんか、既に半分ぐらいこの家の居候もどきになっている気もする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? ちょっと待って」

 なのはちゃんの言葉に思うところがあったのか、片手を上げて会話の中断を望む月村さん。

「衛宮くんたち、ってことは、二人ともいつも一緒に来てるの?」

「いや、それは、えっと」

「――――ッ」

 できれば聞き逃して欲しかった個所を的確に突かれどもる俺と、固まるアルトリア。

 そんな俺たちを見て、あかいあくまがにやりと笑う。

「あら、別に隠さなくてもいいんですよ? お二人の仲がどれほどのものか、皆さんよくご存知のはずですし」

 うわしかもお嬢様言葉で言うかその台詞。

 それを笑って聞くのは俺でもアルトリアでもなのはちゃんでもなく、多分この場では紛れも無く遠坂の味方である月村さんだ。

「だめよ、凛ちゃん。純情な二人をからかっちゃ」

 

「はえ? 衛宮さんとアルトリアさん、恋人同士なんですよね?」

 

 本当のことを言うのがどうしてからかうということなのか――――そんな疑問の瞳を俺に向けるなのはちゃん。

 その台詞に、アルトリアが完全にショートした。顔を真っ赤にして、ぴくりともしなくなる。月村さんは口元を隠すようにして忍び笑いをもらし、遠坂は涼しい顔で紅茶を飲んでいたりする。

 で、なのはちゃんは相変わらず「?」という視線を向けてくるし。

「――――」

 ……ゴッド。子供の純真さがイタいです。

 俺は何か言おうとして、しかし言葉が浮かばず、ついでに今の状況で何を言っても遠坂に新しい玩具を提供することになるだけだとということをなんとなく悟った。うわ、しかも頭から信じられるぞその直感。

 なのはちゃんは相変わらず素朴な疑問の視線を向けてくる。

 からかわれるということが分かっていても、答えないわけにはいかなかった。

「ええと、なのはちゃん……うん。君も、好きな人ができれば分かるよ」

「はえ?」

 きょとん、と首を傾げるなのはちゃん。相変わらず忍び笑いをもらす月村さんと、いじめっ子モードに突入した遠坂の視線が物凄く痛い。

 俺は残っていた紅茶を全部飲み干すと、遠坂から更なる一撃が来る前にここを離脱するべく、わざとらしく声を上げて立ち上がった。

「さ、さて。アルトリア、美由希さんは道場にいるみたいだしそろそろ行こうか」

「あ――――そ、そうですね。ええ、早く行きましょう」

 俺の言葉で硬直が解けたか、顔には赤みを残したままアルトリアは立ち上がる。

 逃げるようにリビングを去るとき、背後から、

 

「二人とも頑張って汗かいて来てねー」

 

 なんていう、いかにも嫌味ったらしい追い討ちが掛けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔を真っ赤にした二人がリビングを出たあと、私はなのはちゃんに向き直った。

「なのはちゃん」

「はい、なんでしょー?」

 士郎の返答がいまいち納得いかなかったのか、なのはちゃんは首をかしげながら私の方を見る。

「これから私、また月村さんと秘密のお話するから、少し二人だけにしてくれない?」

「ごめんね、なのちゃん。また今度一緒に遊んであげるから、ね」

 月村さんはそういい、手を合わせながらなのはちゃんにウィンクしてみせる。

 なのはちゃんはうー、とちょっとだけ不服そうな顔を見せた後、

「わかりました。でも月村さん、こんど遊んでくださいね」

 なんて、最高の笑みで言って自分の部屋に戻っていった。

 ……いや、聞き分けのいい、素直な子供だこと。なのはちゃん。藤村家に住み着いた小悪魔(イリヤ)に爪の垢を煎じて飲ませてあげたいぐらいだ。

 部屋の中に二人だけになったことを確認し、私は士郎たちが来るまで話していた“秘密の会話”を再開した。

 

「じゃあ月村さん、桜の件、よろしくお願いします」

「ええ、分かったわ。“夜の一族”としても、そんな外道な行いは認められない。私とさくらが持つ力で一族全体を動かして、その臓硯ってお爺さんを処罰するから、後のことは任せておいて」

 私の言葉に、月村さんは僅か鋭い目つきになってそう答えた。

 月村さんは、日本の吸血種“夜の一族”を束ねる数家の一つである月村家の現当主は、そのまましばらく虚空を見つめたあと、肩の力を抜くようにして息を吐く。

「でもまさか私が一族の力を使うことになるなんて思わなかったなあ」

「……申し訳ありません」

 私の謝罪に、いいよいいよ気にしないで、と月村さんは言ってくれるが、その内心はいかがなものか。月村さんが“夜の一族”の力を気に入っていないのはなんとなく察している。その力を、同朋を滅ぼすために、しかもついこの間まで他人だった人間の為に使おうというのだ。それがどれほどの決断なのか、部外者である私には想像もつかない。

 

「凛ちゃん」

 

「はい?」

 顔を上げると、月村さんは満面の笑みで私を見ていた。

 その青い瞳が、どことなく楽しそうに揺れている。

 

「話は変わるけど、凛ちゃんは衛宮くんのことどう思ってるの?」

 

「――――え?」

 ぽかんと。

 私は自分でも呆れ返るぐらいの間抜けさで、それまでの思考を瓦解させてしまった。

「なななんで突然そういう話になるんですか!」

「純粋な好奇心かな。ね、いいでしょ? あのお願い聞いてあげるんだから、私にだけ内緒で教えて?」

 答えを迫る月村さんは、どう見てもあの月村家当主には見えない。

 私は顔が赤くなるのを実感しながら、必死に平静を装いそれに答えた。

「わ、私と士郎はただの師弟関係です。それに士郎にはアルトリアがいるじゃないですか」

 ってなに余分なこと言ってるんだ私。これじゃあ仕方なく諦めたってのがまる分かりじゃない……!

「ふーん」

 私の内心を的確に読み取ったかのように、月村さんは言う。

「アルトリアちゃんの登場で仕方なく退いた、ってことね」

「……ッ!」

 叫びだしそうになるのを、理性を総動員して押さえる。

 

――――落ち着け私。

というかなんで“夜の一族”の実力者の前でこんな会話してるのよ……!?

 

「あのね、凛ちゃん。いいこと教えてあげる」

 頭のクールダウンに全力を尽くす私に、どこか神妙な顔で語りかけてくる月村さん。

「私たち“夜の一族”は、自分の秘密を明かすとき“誓い”をたてなくちゃいけないの」

「誓い、ですか?」

「そう。私たちのことを誰にも明かさず、その秘密を貫き通してくれるかどうか、っていう誓い。もし建てられなかったら、そのときは魔眼で記憶を弄って、誓いの選択を迫られたってコト自体を忘れさせちゃうんだけどね」

 弾んだ調子で語る月村さんだが、話の内容は決して笑えるものではない。

 自分たちの秘密を守れるか、という誓い。

ああ、それは私たち魔術師にとっても割と馴染みの深いものだ。社会から孤立した私たちは決して自分の存在を世界に知られてはならない。もし私が魔術師だと一般(がいぶ)の人に知られてしまったら、私はその人の記憶を弄るか、殺すしかない。

それは無論士郎にも、イリヤにも言えることだ。まあ、イリヤにはそういった常識が欠如しているけど、それならば私が代行するだけの話。

 だから誓いというのは、私にとって他人事ではない。

「あ、でも凛ちゃんは大丈夫だから。月村家が“夜の一族”だってことをもとから知ってたみたいだし、私も凛ちゃんが魔術師だって知ったからね。秘密の交換ってワケ。

それはそれとして、だけど。実は私、高校時代に恭也に誓いを迫ったことがあるんだ」

「え?」

 聞き返す私に、月村さんは同族の中でごたごたがあってね、と苦笑い気味に答えた。

「まあいろいろあって、私が人間じゃないってことが知られちゃって……誓いを立てるか、忘れるかって尋ねたら、恭也はどうしたと思う?」

「どうした、って」

 誓いを立てたのだろう。誓いを立てなければ、いまの恭也さんと月村さんの関係はありえないのだから。

 私がそう言うと、月村さんは小さく微笑んだ。

「うん、普通ならそうなると思う。でもね、凛ちゃん。恭也は私の誓いを拒んだんだ」

「誓いを、拒んだ?」

 

 ――――おかしい。もしその話が事実なら、恭也さんは月村さんが“夜の一族”だということを忘れたということになる。いや、ひょっとしたらそれ以上自分に近づけないように、恭也さんのなかから自分に関する記憶を消し去ったのかもしれない。

 

「恭也ね、すまなそうに言ってくれたんだ。いまの俺は半人前だから、人を背負う資格は無いって。

だから私は恭也の記憶を少し弄って――――次の日から、恭也の内縁の妻を自称したの」

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 幻聴だろうか。

 なんかいま、あるまじき単語が聞こえた気がする。

「私は恭也の内縁の妻だ、って内外でいいふらしたの。うん、あのときの恭也は見物だったなぁ」

 言ってて思い出しのか、月村さんは口の端に柔らかな笑みを浮かべた。

「で、まあいろいろあって……私たちは同じ大学に進学して。私はずっと、高町恭也の内縁の妻を続けるつもりだった。

あ、言葉のあやじゃないからね? 本気で裏から恭也を支えようと思ってたんだから」

「――――」

 凄い。いまどき内縁の妻なんてものを嬉々としてやろうとする月村さんも凄いし、日本の吸血種を束ねる月村家当主の支援を、何の見返りも求められずに受けていた恭也さんも凄い。

 呆然とする私には構わず、月村さんはどこか夢見るように続けた。

「それであっという間に季節が巡って、もうすぐ卒業ってときになって……ある日恭也に言われたんだ。内縁じゃない妻になる気はないか、って」

「……それは、また」

 凄いプロポーズというかなんというか。

「私は驚いて、何度も確認を取って……もう一度、誓いを立てることを迫っちゃった。本当なら笑いながら断らなくちゃいけないのに、それができなかった。一度誓いを迫った人に、もう一度誓いを迫るなんてどう考えても過去の焼き増しでしょう? 断られることは目に見えていたのに、私は堪えきれないくて……そしたら恭也、覚えてる、って。思い出したって、言ってくれたの」

「そんなことがあるんですか?」

 私の問いに、月村さんはわからない、と小さく首を振った。

 そして私は、一つのことに気付く。

 月村さんの瞳から溢れる、涙に。

「弄られた記憶が元にもどるだなんて話、私は聞いたこと無かったけど……それでも、恭也は思い出してくれた。思い出して、必死で悩んで、私と私の誓いを選んでくれたんだ。ねえ凛ちゃん、これって私の勝ちだと思わない?」

「勝ち?」

「ええ、そう。私は恭也に拒まれて、でも諦めきれなくて、ずっと、それこそ自分でも意地になって内縁の妻であろうとした。拒まれたのを認められなかったからずっと傍に居て、何年もかけて私を受け入れさせたってことだもの」

 

 

 月村さんは笑う。

それはもう本当に、心から幸せそうに。

 月村さんは目元の涙を拭い、言った。

 

 

「諦めなければ、チャンスは絶対やって来る。勿論これは相手にも言えることだけど、私は諦めなかったから、恭也と一緒になれた。凛ちゃんも、そのことを覚えておいて」

「――――」

 私は答えれなかった。

 ううん。正確に言うのなら、何を言うべきなのか分からなかった。

 私は呆然と。月村さんは涙ぐんでいると、不意にリビングのドアが開き、見覚えのある男の人が姿を見せた。

「ただいま。……む、どうした、忍」

「ううん、なんでもない。ちょっと昔のこと思い出しただけだから。……これ、嬉し涙」

 心配する恭也さんの声に答え、月村さんは立ち上がった。そのままとてて、と恭也さんに掛けより、その胸に顔をうずめる。

 恭也さんは仏頂面のまま、それでもどこか苦笑したように言う。

「忍、こういったことはあまり……人前では、しないほうがいい」

「今日だけは特別。許して、ね」

 別段見せ付けようというわけではないのだろうけど、これ以上なく幸せな恋人っぷりを見せてくれる二人。

 それを見て私は――――ああもう、あんなこと話されて、しかも目の前であんな様子を見せつけられたらもう認めるしかないじゃない――――心底羨ましいな、と思ってしまった。

 恭也さんはしばらく月村さんの身体を抱きしめ、やがて月村さんが離れると、落ち着いたいつもの口調で言った。

「衛宮たちは?」

「まだ道場だよ。ねえ凛ちゃん、一緒に見に行かない?」

 こちらを見て、挙句こちらの内心を見透かしたかのように月村さんは誘ってきた。

 それは私をからかうためだったのかもしれない、けれど――――

「――――行きます」

 自分でも、それはどうかなー、なんて呆れながら、私は一つの決意を胸にして立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一呼吸のうちに二度、或いは三度の攻撃が繰り出される。

 がちがちがち、と連続で繰り出されてくるのは美由希さんが左右に持った短めの木刀だ。

 それを一手一手流し、防ぎ、あるいは回避しながら、俺は俺で精一杯反撃を試みる。

 俺が手にしている武器も、美由紀さんと同じ短目の木刀二本。俺にとってそれは干将莫耶の代わりだ。俺が行使している戦闘術はアルトリアに叩き込まれたものと、聖杯戦争を通して身に着けた剣術とすら呼べない、ただの“生き残る術”だった。

 少なくとも、一ヶ月前までは。

「はぁっ!」

 気合を吐きながら、美由希さんが“貫”を放ってくる。あらゆる防御を想定し、その間隙を突くという特殊な一撃で、最初に喰らうときはあらゆる防御を“貫”てくる一撃のように感じる。

 というか、感じた。一発目をまともに受けたときは。

 くん、と下がった切っ先はそれが刺突をしようとする証。

 俺は先に喰らった一撃で崩したバランスを辛うじて立て直し、ぎりぎりの姿勢から、こちらはそれを叩き落すようにして、

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()――――!

 

 がちん、と硬い音がした。ついでに手首に鈍い痛み。被害はそれだけで、どこに一撃を食らったわけではない。だが俺たちの間に大きな変化がある。美由希さんにはなんら変化が無い。にもかかわらず、俺が左右に持っていた木刀の、いま美由希さんの一撃を受けた一本が根元から折れていた。

 俺は根元で折れた右の剣を放り投げ、慌てて距離を取ろうと後退し、

 

「そこまで。シロウの負けですね」

 

 審判役のアルトリアの声を聞いた。

 俺は構えを解くと肩で息をしながらアルトリアの方を見る。壁際で正座し、静かに俺と美由希さんの打ち合いを見つめていたアルトリアは、いまはどこか難しい顔をしている。

「す、凄いですね、衛宮さん」

「いえ、まだまだ、美由希さんには適いませんよ」

 力を抜けば折れてしまいそうな膝に必死に活を入れながら、俺は美由希さんの顔を見た。

 美由希さんは力なく笑みを浮かべたまま、

「まさか、一ヶ月で“貫”まで身に付けるだなんて……私の立つ瀬が、ありません」

「そんなことはありませんよ、ミユキ」

 美由希さんの言葉を訂正したのは、俺ではなくアルトリア。

 アルトリアは難しい顔で俺を見つめた後、はあ、と疲れたように息を吐いた。

「シロウの戦い方は傍から見て無茶苦茶です。実戦なら何度死んでいるか分かりません」

「なんだよ、そんなこと、俺だって承知してるって……」

 途切れ途切れに弁解しながら、俺はアルトリアの座る場所まで歩く。同じようにアルトリアに近づき腰を下ろす美由希さん。

「シロウは相手の隙を見つけるのが上手い。ですが、まだそれを的確に突ける腕がありませんね」

「ああ、知ってる。だからこっちは防戦一方、十本二十本に一本打ち返せればいいほうだよ」

「あ、あのー……それでも十分凄いと思うんですけど」

 俺たちの会話を、乾いた笑みで聞く美由希さん。

 美由希さんはタオルで汗を拭いたあと、ふう、と息をついた。と、窓の外を見やり、何かに気付いたか口を開く。

「あ、恭ちゃんだ」

「……本当ですね。忍とリンも居ます」

 道場の外を見やり、美由希さんの言葉に頷くアルトリア。

 その言葉の通り、数分も経たないうちに道場に三人が姿を見せる。

 恭也さんは折れた俺の木刀を見、

「……ふむ。御神流をかじらせたのは正解だったな」

 なんて、微妙な誉め言葉をくれる。

「どうしました、リン。何か言いたことでもあるのですか?」

「ん?」

 アルトリアの言葉に、俺は視線を遠坂に向けて、そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 固まった。いやもうかちんと。宝箱は罠だった、石化ガス! って感じに抵抗する間も無く、蛇に睨まれた蛙状態になった。

 遠坂が、睨んでいる。

 いやあれは尋常じゃない。いままでにも何度か怒らせたことはあるけれど、いまの視線はそのときの遠坂を補って余りある。

「ほら凛ちゃん、リラックスして」

 そんな遠坂を窘める月村さん。

 遠坂はさらに眼光をきつくして俺を睨んだあと、やおら指を俺に、じゃない、アルトリアに突きつけ、

 

 

 

 

「士郎は譲らないからね、アルトリア。覚悟して」

 

 

 

 

 だなんていう――――ちょっと待て。いまなんて言ったオマエ。

「……リン。それは、なんの冗談ですか」

 呆然としたアルトリアの問いかけ。

 たぶんその心情も疑問も、俺のそれらとまるで同じだと思う。

 なのにあかいあくまはそれまでの眼光が嘘のようににこりと微笑み、

「言葉の通りよ。私は女として、アルトリア、貴方に勝負を挑むわ」

 だなんて、あっさりと言ってのけやがった。

「――――」

 先ほどの俺のように、あるいはそれより酷く固まるアルトリア。

 それを真正面から見据えながら、口元に不敵な笑みを浮かべる遠坂。

 ぽかんと、傍から見たら間抜けのように呆然とする俺、恭也、美由希さん。

 そしてそんな俺たちを面白そうに眺める月村さん。

 ……ああ、月村さん。

 あなた、遠坂に何を吹き込んだんですか。

 痛み始めた頭を押さえようとすると、それがきっかけであったかのように遠坂はこちらを見て、満面の笑みで口を開く。

 

「士郎、覚悟しないさい。私、貴方を落としに掛かるから。

諦めようと思ったけどできなかったの。恨むなら私じゃなくて、人生にしてね」

 

 言ってのける様子には、恥じらいとかいったその辺のものが微塵も無い。

 あの遠坂がそう言うんだ。言葉どおり、いろいろな手法でもって俺にちょっかいを掛けてくるつもりだろう。

その挙句に、俺を落とすと来た。

 確かにその自信にまみれた振る舞いは、遠坂、おまえの魅力だと思うけど。

 

「――――リン。それは、挑戦と受け取っていいのでしょうか」

 ようやく硬直から抜け出したらしいアルトリアが、遠坂を睨みながらそんなことを言う。

「ええ、だからそう言っているでしょう」

 答える遠坂は優雅の一言。サーヴァントすら怯ませた眼力を、笑って受け流す。

 そして、あろうことか。

「えい」

 だなんて掛け声と共に、微塵の躊躇も無く俺に抱きついてきた。

「――――!?」

「ば――――何をするのですかリン!」

「ふんだ。悔しいなら貴方だってして見せればいいじゃない、アルトリア」

 アルトリアの叱咤にまるで応えることなくそんなことを言う遠坂。

 それが火に油を注ぐ結果となったのか、アルトリアは顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

「そんな、他人の前で……はしたないとは思わないのですか!」

「窮鼠猫を噛む、よ。だって二人とももうできあがってるんだもの。いまから士郎を振り向かせようっていうなら、もうなりふりなんて構っていられないじゃない」

 遠坂の言葉には開き直りの色が濃い。

 アルトリアは目を潤ませながら俺をきっ、と睨み、遠坂を指差して、

「シロウも固まってないで何か言ってください!」

「あ――――う?」

 ごめんアルトリア。多分無理。

 俺の意識はフリーズ助けてライブでだいぴんちなのです。

「――――シロウ」

 俺の返事が無いのが癪に障ったか、すっ、と冷たい眼差しをするアルトリア。

 その視線は、まっすぐに俺を射抜いている。

 俺は思わず周囲に助けを求め視線をめぐらし、絶体絶命ということを思い知った。

 

 目の前には俺に抱きつき、首に手を回した遠坂。

 そしてその向う側で立ち上がり、静かに木刀を構えだしたアルトリア。

 壁際には唖然とする美由希さんと、事態を静観しようとする恭也、挙句いまの状況を心底楽しんでいるっぽい月村さん。

 アルトリアが黙って木刀を振り上げる。

 逃げ場は、どうにも無いっぽい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ゴッド。

俺、なにか悪いコト、しましたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【完】