Fate / other night

Epilogue / Sunny Days



 学校の帰り道。
 夕食の準備の為に立ち寄った商店街で、士郎は彼女と出会った。
 別段珍しいことではないし、避ける理由も無かったので、お互いに軽い挨拶を交わしたあと士郎は彼女と並んで歩きながら商店街を歩く。今日の特売だとか最近の野菜の値段だとかをお互いに話しながら歩みを進めていると、思い出したかのように彼女はその問いを掛けてきた。

「じゃあ、衛宮くん。腕の調子はいいのね?」
「ああ、問題ない。ちゃんと前みたいに動くし、料理だって出来る」

 左手を握ったり開いたりしながら、士郎はそう答えた。
 その言葉に、彼女は満足そうに頷き、そう、と呟く。
 季節は春。あの馬鹿げた戦争から既に二ヶ月ほどが過ぎており、世界の移り変わりと共にいろいろなものが変化し、その在り方を変えていた。

「切り落とすって言われたときは驚いたけど、まあ、これなら問題ないかな」

 聖杯戦争の折に、自己の魔術の暴走とセイバーの宝具の侵食によって内側から蹂躙された士郎の左腕。健が断たれ骨が捻れ肉が変質していたその腕は、既に無い。感覚も無ければ自由も利かず、自己治癒すら満足に働かなかった左腕は、その後切り落とされ、新しい腕に挿げ替えられていた。移植した当初はどうしても拭いきれない違和感が付きまとい、また肌の色を含めた外見も周囲のそれと微妙に異なっていたため馴染めなかったが、今ではすっかり元の腕と大差ない感覚を得ることに成功している。
 肌の色もすっかり他の箇所と同じに染まった腕を見下ろして、士郎はリハビリと大差なかったその記憶を思い出した。他人の腕を二人羽織で動かしているような奇妙な違和感は、忘れろと言われてもそう簡単に拭い去ることは出来ないだろう。

「そう、ならいいわ。これで約束は一つ果たしたことに――――あら、今日は鯖が安いわね」

 彼女の声に釣られてそちらを見れば、馴染みの鮮魚店の軒先に並んだ氷水を張られた発泡スチロールの容器と、その中に横たわる鯖の姿が見えた。紙に赤いマジックで書かれた値段を見て、なるほど、と頷く。確かに安い。

「今夜は鯖の味噌煮込みにしようかしら」
「味噌煮込みもいいけど、トマトと一緒に煮込んでも結構いけるぞ」

 士郎の言葉に、え、と驚いたように声を上げる彼女。

「鯖と、トマト?」
「ああ。途中までムニエルみたいに焼いて、その後トマトソースで煮込むんだ。それに、キャス――――」

 言いかけ、止める。またやってしまった、と顔を顰めながら、言い直した。

「メディア、この前間違えてホールトマト大量買いしてたろ。何と間違えたのか知らないけど」
「……あまりどうでもいいこと憶えてると、何時か痛い目を見るわよ、衛宮くん」

 笑顔のまま、しかし声のそこに静かなものを顰めて言うメディアに、士郎はう、と息を飲む。
 メディアは――――今ではメディア・葛木と名乗る女性は、二ヶ月前の聖杯戦争の折りに呼び出されたサーヴァント、キャスターその人だ。現在では柳洞寺を離れ、遠坂邸のすぐ傍の貸家に宗一郎と移り住んでいる。
 聖杯戦争に呼び出されたメディアが、何故いまもこうして世界に留まっていられるのかといえば、それは主に凛の協力が理由らしい。何でも堕ちた竜脈にあたり、冬木の魔力を容易に収集することが可能な二つの土地のうち片方、即ち遠坂邸に基点を置き、宗一郎だけでは決して賄いきれないメディアが現界するために必要な魔力を工面しているとのこと。尤も、凛が提供している魔力はメディアが現界するために必要な魔力量ぎりぎりらしく、メディア自身はろくに魔術も行使出来ないそうだ。
 加え、凛はその代価としてメディアに細々とした魔術礼装を作らせ、それをどこぞに卸しているらしいのだから、本当にあくどいというか。まあ、凛に言わせれば接収しているのはあくまで手数料だけで、代金はちゃんとメディアに返しているとかなんとか。メディアもそれで文句は無さそうなので、まあ、問題はないと言えば無いのかもしれない。
 メディアはしばらく考えたあと、やおら諦めたかのように息を吐いた。

「まあ、衛宮くんの言う通りだけど。じゃあ今夜、挑戦してみようかしら」

 自分に言い聞かせるようにそう言って、メディアは店の奥で魚を捌いている店主の下に向かう。
 その背中を見送り、さてどうしようと考えていると、今度は横合いから声を掛けられた。

「シーロウっ! 学校は終わったの?」
「ん?」

 声の方を振り向くより早く、腰の辺りに衝撃を感じる。
 受けた勢いを半歩だけ後ろに下がって流し、士郎は唐突に抱きついてきた声の主の頭に手を置いた。

「どうしたんだ、イリヤ? こんなところで」
「サクラが買い物するって言うから、その付き添い。ところで、シロウ?」

 言ってイリヤはにっこりと、これ以上無い最高の笑みを浮かべ、

「――――イリヤ、じゃないでしょう?」

 そんな台詞を、最高に冷たい声音で呟いてくれた。

「う」

 薄ら寒いものを感じて、士郎は思わず声を漏らした。いつもと変わらないイリヤの笑みが、なぜか信じられないほどの迫力を帯びているように感じる。

「ほら、シーローウー。イリヤ、じゃないでしょ?」

 抱きついたままの姿勢で、こちらを見上げながら繰り返すイリヤ。
 士郎は色々なもの、具体的にいえば道行く人の疑問と好奇の視線などに耐えながら、辛うじて口を開く。

「イリヤ、お」

 そこまで言いかけて、少女放つ希望の視線より、自分の羞恥心が少しだけ上回ってくれた。

「お――――姉さん」

 お姉ちゃん、と言いかけた口を無理矢理歪め、血を吐く思いでそれを告げる。
 イリヤはむー、と不満げに眼を細めたあと、それでも笑みを浮かべ、ようやく身体を離してくれた。

「まあ、妥協点ね。でもシロウ、私はシロウにお姉ちゃん、って呼んで欲しいな」
「ぐ」

 微塵の邪気もない少女の言葉に、士郎は呻くしかない。
 聖杯戦争が終わったあと、イリヤは士郎の申し出通りに衛宮邸での生活を始めていた。突如現れた少女に、衛宮の虎は猛然と叫んだが、それに対しては士郎が本当のことを話し、なんとか説得に成功している。尤も、大河の説得が終わった直後、さも当然のように姿を見せた二人のメイドには士郎自身我が眼を疑い、虎は先に勝る勢いで吼えたりしたが、それはまた別の話。
 現在、士郎はイリヤとそのメイドたちと共に暮らしている。イリヤのメイド、リーズリットとセラは確かに有能なメイドで、士郎にしてみれば自分の立場が半分以上脅かされていることになる。なんとか食事の支度当番はローテーションに持ち込んだが、他の家事は士郎が学校に居る間に勝手にこなされてしまうのだから口の挟みようが無い。

 そんなイリヤが当面の目標として周囲に言いふらしているのは、士郎に自分のことをお姉ちゃんと呼ばせることだ。当人曰く、事実その通りだから文句ないでしょう、とのことなのだが、士郎にしてみれば正直勘弁してもらいところだった。幾ら頭で理解していても、いざ面と向かい、しかも自分よりはるかに小柄な少女をお姉ちゃん呼ばわりするのは、もはや苦行と言っても問題ないだろう。まあ、そんな本音を漏らすと、イリヤが思いっきり不機嫌そうな顔をするので決して口に出来たものではないが。

「イリヤちゃん、何処に――――あ、先輩」

 ぱたぱた、という軽い足音と共に掛けてきたのは、見覚えのある後輩の姿だった。
 桜は士郎の前まで来ると足を止め、にこりと微笑んでみせる。

「こんにちは、先輩。学校帰りですか?」
「ああ。桜は部活じゃなかったのか?」
「今日はお休みです。新入生の勧誘が終わりましたから、久しぶりに身体を休めなさいって、藤村先生が」

 桜の説明に、士郎はへえ、と声を漏らした。分かっては居たことだし、理解もしていたことだが、あの大河にそうした教師然とした振る舞いをされると未だに驚きを覚えてしまう。

「サクラ、今日は何を買うの?」

 桜に飛びつきながら、イリヤが問うた。桜は妹をあやすような仕草でイリヤの頭をなで、イリヤは擽ったそうに眼を細める。

「メインは牛乳です。あと、冷蔵庫の中からなくなりそうなものを少し」
「あれ? 桜、確か一昨日も牛乳買ってなかったか? 確か」

 数日前に、同じように学校帰りの商店街で見かけた後輩の姿を思い出しながら士郎は問うた。
 桜はその問いに苦笑して、そうですけど、と躊躇いがちに口を開く。

「その、姉さんが」
「遠坂が?」
「……負けてられない、って」

 俯くように視線を逸らし、ぼそぼそと言う桜。
 ん? と士郎が顔を顰めると、我が意を得たり、といった風にイリヤが頷いた。

「なるほどね。必死なんだ、リン」
「はい。なんかこう、鬼気迫る勢いで……あ、いまのは内緒ですよ? 先輩も、イリヤちゃんも」
「ええ、勿論よ。わざわざサクラを売るような真似はしないわ」
「……よく分からないけど、まあ、黙っておく」

 僅かに顔を赤らめた桜が神妙な顔で言うので、士郎は頷くことしか出来なかった。
 その返答に満足したのか、桜はほっと胸を撫で下ろす。イリヤに視線を送り、

「イリヤちゃん、どうします? 私はもう行きますけど、先輩と一緒に居ますか?」

 と問うた。

「ううん、サクラと一緒に行くわ。私が言い出したことだもの」
「じゃあ、そろそろ行きましょう、イリヤちゃん」
「うん」

 頷き、イリヤはとてて、と駆け出した。と、おもむろに足を止め、こちらを振り返る。

「じゃあシロウ、また後でねー!」

 元気いっぱいにそう言って、再びイリヤは駆け出した。少女はその身体に相応の速さで商店街を先に進む。
 人並みを綺麗に掻き分ける背中を見ていると、桜がじゃあ、と口を開いた。

「私も行きますね、先輩。また後でお伺いします」
「ああ。っと、そういや今夜は遠坂も来るのか?」

 その問いに、歩き出していたいた桜は肩越しにこちらを振り返って頷く。

「はい、姉さんと一緒です。でも、先輩?」

 彼女は困ったように、あるいは悪戯を仕掛けたかのように微笑み、

「私も遠坂ですよ、先輩」

 怒るでも諌めるでもなく、穏やかな口調で遠坂桜はそう言った。
 士郎は思わず、う、と声を漏らした。

「……悪い。まだ、慣れてないみたいだ」
「仕方ないですよ。まだ、一ヶ月しか経ってませんから」

 桜はその顔に苦笑を浮かべ、改めて別れを告げた。

「じゃあ、先輩。また後で会いましょうね」
「ああ。夕食は力入れて作っておく」
「はい、楽しみにしてますね」

 そう言って、桜は既に見えないイリヤの背中を追って歩き出した。向かう先は承知しているのか、その歩みに淀みはない。
 そうは見えない姉と、家族同然の後輩の姿が完全に見えなくなったあと、士郎は苦笑するように呟いた。

「遠坂、桜、か」

 かつて間桐という苗字だった後輩が、遠坂という苗字になった、否、戻ったのは、いまから一ヶ月ほど前の話だ。



 聖杯を破壊して、戦争が終わって、それぞれの家に帰る道中。
 唐突に、それこそ本来なら二人だけの問題の筈のそれを、士郎にも聞こえるように口にしたのは凛だった。
 凛は衛宮邸と遠坂邸、間桐邸との岐路に到着した瞬間、待ち構えていたかのようにその誘いを口にした。

 即ち。
 遠坂の家に帰らないか、と。

 士郎は、え、と疑問符を上げ、
 桜は、信じられない、と息を飲んだ。

 そんな二人の反応など一切お構い無しに、再び、凛はその問いを発する。その瞳は答えを促すようで、同時に、答えを聞くことを恐れるような輝きを携えていた。
 どれだけの無言が流れたのだろう。
 質問が風に消え、夜に隠れ切ってしまったあとで、ようやく。

 ようやく、小さく、桜は頷いた。

 凛は口の端を僅かに歪め満足そうに微笑むと、それ以上何も言わずに身を翻し歩き出した。その背中を、桜は一瞬躊躇い、しかしおずおずと追いかけていく。
 結局、その場に呆然と残された士郎が凛と桜の関係を聞かされたのは、その夜から数日が経った後のことだった。
 そして、士郎がその事実を説明されたとき、既に桜の苗字は遠坂となっていて――――それに一番衝撃を受けたのが、学校の一成だったりするのはまた別の話。



「早く、慣れないとな」

 桜とその姉の姿を思いながら、士郎はひとりごちた。
 桜を救えなかった罪。助けを望んでいた少女を、ずっと、そうとは知らずに見捨て続けてきた罪過。
 その償いが、その代償として求められたものが、それまでと変わらない平穏な生活なら――――それに応えない理由がない。
 士郎はふがいない自分にもう一度苦笑して、ようやく、鮮魚店の中に足を踏み入れた。








 夕焼けに染まる町並みを視界の端に流しながら、家へと続く坂道を登る。
 買い物を終えた士郎の手には、右に三つ、左に二つのビニール袋がある。いっぱいに膨らんだそれらの中身は、結局買うことにした鯖を筆頭とする、今夜の主菜候補たちだ。
 中に入った卵や豆腐に気をつけながら、いつもより遅い足並みで坂を進んでいると、不意に背後から声を掛けられた。

「士郎、いま帰り?」
「ああ、見ての通りだ」

 声の主は、遠坂凛。
 士郎は軽い動作で後ろを振り返り、手に提げたビニール袋を掲げてみせる。

「凛も学校帰りか?」

 制服を着たその姿を見て、士郎はそう判断した。
 凛は頷き、さも当然のように横に並ぶ。そして、ん、と首を傾げたあと、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「士郎、桜に何か言われたでしょ」
「な、なんだよいきなり」

 おもむろに突かれた事実に、士郎は思わず問い返す。
 凛はその笑みのまま、簡単よ、と嘯いた。

「士郎が私のことを最初から名前で呼ぶときは、いつもそうじゃない。いい加減に慣れなさいよね、もう」
「う。努力する」

 この一ヶ月に何度か繰り返された遣り取りだなと思いながらも、士郎は顔を顰めながらそう答えた。
 凛は呆れたように、まあいいわ、と言う。

「そんなに機敏だったら士郎じゃないものね」
「ちょっと待て、それってどういうことだ」
「さあ?」

 最高に楽しそうな笑みでそんなことを言う凛。
 と、そのとき、丁度衛宮邸と遠坂邸への分かれ道に辿り着いた。

「じゃあね、士郎。またあとで」
「ああ」

 軽く手を振り背を向けた凛の背中を見て、士郎はふとその問いを思い出す。

「遠坂」

 呼びかけてから、あ、と思った。またやってしまった、と思う。
 こちらの失態はともかく、凛はん? と疑問符を表情に浮かべながら、肩越しにこちらを振り返った。

「どうしたの? 士郎」
「いや、前々から疑問に思ってたんだけど」
「何よ?」
「メディアの言う、約束、って何なんだ?」

 聖杯戦争は冬と共に終結した。しかしその為に呼び出された筈のキャスターは、いまもなお、葛木宗一郎の妻として世界に留まっている。
 その理由。彼女が現世に留まることを決めた原因は、どうやらセイバーとの会話にあったらしいが、自分はそれを知らない。セイバーとキャスターがその会話をしている間、自分はイリヤの説得に必死だったし、全てが終わった後で桜に尋ねても、桜は苦笑して言葉をはぐらかすだけだった。
 士郎の問いに、分かりやすく凛は顔顰めた。明らかに不快そうな表情で眼を細める。

「遠坂?」
「衛宮くん。また私の呼び方が元に戻ってるわよ」

 問いかけに、凛は棘のある口調でそう返す。

「……ふん。別に、何か特別なことを約束したわけじゃないわよ」

 そうして凛は、自分を落ち着かせるように息を吐き、肩の力を抜いた。

「あいつはね、士郎。誇りをあげる、だなんてふざけたことを言ったのよ」
「は?」

 言葉の意味が分からず、士郎は問い返す。

「だから、誇りをあげるわって……違うわね。セイバーはキャスターに、自分の生き方を誇る権利をあげるわ、って言ったの。あなたがどう生きようと、それがあなたの誇りだと私が認めてあげるわ、ってね。本当、なんてふざけた奴だったのかしら」

 言う内に凛は顔を顰めるが、最後の一言だけは苦笑にも似た響きを持っていた。
 その言葉に、士郎は唖然と思考を空白にし、次の瞬間隠しもせずに苦笑した。
 なんともはや、あいつらしい言い分だ、と思う。

「嬉しそうね、衛宮くん」
「まあな。セイバーがそういう奴だ、ってのは良く知ってたから」

 士郎は息を吐いて、頷いた。

「ありがとな、凛。ようやっと支えが取れた」
「あら、そう。よかったわね。で、他に用事は?」
「いや、それだけだ。引き止めて悪かった」

 本当よ、と呟きながら歩き出す凛。
 士郎も自分の家に向かおうと歩み始め、

「士郎」

 ひっそりとした問いかけに、振り返ることなく足を止めた。

「士郎、私からも一つ質問。いい?」
「ああ」

 おそらく、凛はこちらを向いていないのだろう、と士郎は思う。
 声は何処か別の方向に向けられたまま、しかし明らかに自分への問いかけとして続けられる。

「士郎は、アーチャーの正体、分かった?」

 その言葉に、息を飲んだ。
 思い出す。遠坂凛の従えていた、赤い弓兵。いけ好かなくて、皮肉気で、しかしなぜか、イリヤのことを気に掛けていたサーヴァント。
 予感は、確かにある。だがそれは、確信と断ずるにはあまりに弱い。
 だから士郎は、首を振った。見えていないとは承知の上で、それでも誰かに示すように、首を振る。

「いや、分からない。誰だったんだ、あいつ」
「私にも分からないわ。あいつ、最後までそれを教えなかったから」

 凛の言葉には、静かな響きがある。そして、その響きの原因が分からないほど、士郎は愚かではなかった。

「嘘だろ、遠坂」

 呼び方が以前のままに戻っている事にすら気付かず、士郎は断言した。
 遠い背後で、誰かが苦笑する気配。続いた声には、僅かな柔らかさが潜んでいた。

「まあね。教えてはくれなかったけど、私の中で結論は出てるわ」
「そっか。それで、遠坂。用はそれだけか?」
「ええ、そうよ。引き止めて悪かったわね」

 苦笑するような響き。そして、足音が遠ざかっていく。
 士郎は赤く染まった空を見上げながら、ふう、と息を吐いた。唐突と呼ぶには、あまりに唐突過ぎた問い。聖杯戦争が終わって二ヶ月が経ち、今更、あるいはようやく問われた一つの問い。
 それに対する返答は、限りなく誠実に行ったつもりだ。返事に嘘偽りはなく、凛の言葉にも、おそらくは真実しか含まれていないだろう。
 士郎は思う。これが最後だろう、と。これから先、思い出としてあの日々を語ることがあったとしても、そこに並んだ彼彼女たちの正体について問うのは、これが最後の機会だと思う。

 だから。
 本当に最後の問いとして、士郎はその質問をぶつけた。

「遠坂。俺からも聞いておく」

 足音が止まる。

「セイバーの正体、分かったか?」
「いいえ。分からなかったし、分かりたくもないわよ、あんな奴」

 苦々しく、同時に、それが本心だと信じさせる声音で凛は言う。
 士郎は苦笑した。凛はどうやら、セイバーのことが嫌いだったらしいが、それも当然か、と思う。
 何せ――――親近憎悪とか、そういったレベルの話ではないのだから。

「他に質問は?」
「いや、それだけだ」

 先ほどの会話を、立場を逆にして繰り返す。
 凛はそう、と頷き、

「じゃあ士郎、また後でね」

 苦々しさなど微塵も含まない、いつも通りの声でそう言った。
 ああ、と頷くと、今度は止まることはなく足音が遠ざかっていく。
 軽い足音を聞きながら、士郎も足を動かし始めた。既に菫色に染まりつつある空を見上げ、急ごう、と思った。












 聖杯戦争が終結して、既に、あるいはどうにか、二ヶ月が過ぎ去った。
 戦争の前後で変化したものは多すぎて、喪ったものすらおそらくは数え切れないほどだろう。
 だがそれでも日付は変わるし、季節は巡る。冬は終わったし、春もいずれ終わるだろう。
 変わった物事は、それが収まるべき場所に帰結する。
 だから、いずれ、そう。


 トオサカも、その願いを叶えるのだと信じている。


 士郎は衛宮邸の玄関を潜ると、そこに並んだ靴を認めた。
 規則正しく並べられたそれらの中で一際目立つ小さな靴は、小柄すぎる姉の所有物だ。
 何時抜かれたのかはわからない。単に、桜と共に買い物を終えたのが単に早かっただけかもしれない。
 士郎が帰ったことに気付いたか、廊下の方からぱたぱたと軽い駆け足が聞こえる。

「おかえり、シロウ!」

 出迎えてくれたのは、満面の笑みを浮かべた妹のような姉だった。
 士郎は自覚する。苦笑のような笑みが浮ぶのを、確かなそれとして自認する。
 だから、士郎は答えた。自分の幸せを、噛み締めながら。












「ただいま」


















[ "Fate / other night" ends.]