屈強な戦士に憧れた。

 鍛えぬかれた鋼の肉体と、逆境をものともしないその精神。

 ただ己の力と技だけでモンスターをなぎ払う、その猛々しくも雄々しい姿。

 それら全てに憧れた。





 人間用のそれよりも二廻りは小さな手斧が、俊敏な動作で男の腕に食い込んだ。





 非力だった。

 運動も苦手だった。

 それになにより、臆病だった。








 腕が切断されるようなことはなかったが、それでも斧は腕の半分までを切断した。
誰が見ても、その腕がもう使い物にならないことは明らかだ。
幸運なのは、それが男の利き腕ではなかったということかだろうか。

 男はぎりと歯を食いしばり、斧を振ったゴブリンを蹴飛ばした。
せいぜい子供ほどの体躯しかないその魔物は、まるで鞠か何かのように飛んでいく。








剣士を目指したとき、誰もが無謀だと忠告した。

なってやるさと、楽観していた。







別のゴブリンが、短剣を男のわき腹に突き刺した。

男の口からかすかな吐息が漏れる。もはや悲鳴を上げる余力も残っていないのだろうか。

構えたままの男の手から、業物のツーハンドソードが滑り落ちた。







愚かだった。

どうしようもないほどに愚かだった。







反撃がこなくなったことを悟ったか、男に群れていた数匹のゴブリンは
いっせいに己の武器を振るい、突き刺し、男の衣類を赤く染めていく。

その命が消え果るのも、そう遠くない現実だった。




なにが剣士だ。
なにが冒険者だ。

武器を落とし、腰を抜かし、ただ震えることしかできない自分が
そんなものになれるとでも思ったか?







男の身体がゆっくりと崩れ落ちた。
倒れたその音は、もはや水音を呈してすらいる。

返り血で赤く染まったゴブリンたちは、それでもなお倒れた男に暴力をふるう。
男の命がとうに絶えていることは明らかなのに、子供のような魔物は発条仕掛けの機械のように延々と
繰り返し遊戯に溺れる幼児のような無邪気さで
男の身体を刻んでいく。


無理だ。
無茶だ。
無謀だ。

全て正しかった。全て道理だった。

自分に、冒険者などが勤まるとでも思ったか?


そうして、不意にゴブリンは動きを止めた。
男の身体は既に遺体を通り越しただのパーツに成り下がっている。

助力を申し出たお節介なナイトは、こうして自分の命に幕を閉じた。
果たして彼はこの結末を受け入れたのだろうか。

自分は臆病だ。
武器も振れない。
立ち上がる事だってできやしない。

故、己にできることはただ一つ。





ゴブリンはゆっくりと回頭し、その赤い仮面をこちらに向けた。


覗き穴の向こうには、炯々と輝く愉悦の光。



ただ、静かに。

己が誇りを守るため、彼に対する追悼のため。

取り乱すことも泣き叫ぶことも泣く、

そう、

故にただただ静かに――――






変化するはずもないゴブリンの仮面が、

にやり、と笑ったような気がした。




ただただ静かに――――


――――殺されろ。







目を閉じた。聞こえるのは軽快な足音。

どうせそんなに距離はない。
俊敏なゴブリンの足ならば、ほんの数瞬で詰まってしまう僅かな時間。

それを放棄するかのように、瞼を閉じて視界の全てを黒く染め上げた。




このまま、静かに。

眠りに落ちるかのように。




そう決めた、はずなのに。

頬に感じる、僅かな熱が気になって目を開いた。


いつしか、視界は赤に塗りつぶされていた。







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買ったばかりのメイスを振るい、一匹のお化け飛蝗――――ロッカーに挑みかかる。

私よりも大きいその魔物は、小枝のように細い足でそれに応えた。
お互いの武器が数度相手の身体に叩きつけられて、私が六度目の打撃を繰り出すより少し早く
ロッカーはゆっくりと地面に倒れた。

ロッカーはしばらくの間足を弱々しく動かしていたが、やがてそれも終わる。

かくて、また一匹のロッカーが退治された。
私はふう、と息を吐き額をぬぐう。
夏も近いこの時節、ずっと外で飛蝗(ロッカー)退治をしていたせいですっかり汗だくだ。
下ろしたての法衣(ヴァージンローブ)もこの数時間の狩りですっかり身体に馴染んだし、そろそろ
プロンテラに戻ろうかと思う。
空を仰げば、馬鹿馬鹿しいほどの青空と真上に浮かんだ白い太陽。


私がアコライトに転職してから、まだ半日も経っていなかった。





プロンテラを目指して来た道を戻る途中、私は力尽きて手近な木の根元に腰を下ろした。

かすかに風が出ていたらしく、緑のにおいを存分に孕んだそれが座った私の髪の毛を靡かせる。

舞い上がった髪を片手で抑えながら、私はもう一度ふう、と息を吐いた。
火照った身体に気だるい疲労。
手にはメイスをロッカーに叩きつけたときの触感がしぶとく残留している。

自分が貧弱な身体をしているということは百も承知だったが、それにしてもこの体力のなさは情けなかった。
ロッカーを続けて七匹、いや八匹?
そのくらい退治しただけで、もう満足に動けない。

女の身ということを考えても、自分がまだまだ未熟者であるということはどう考えても明らかだった。


そう、明らかだから、どうにかしたい。
けれどこの暑さでは、それも無理のようだ。

何をする気も消えうせて、私は大きく伸びをした。
背中を幹に預け、ぼんやりと身体の力を抜く。

呆、と空を仰いでいると小鳥が一匹高い空を飛んでいった。


ひどく、のどか。

このまま目を閉じたなら、心地よい眠りにつけることは間違いないだろう。

そんなことを考えいた私の耳に、かすかな音が聞こえた。

瞬間的に、立ち上がる。

耳を澄まそうと神経を集中すれば、それはさっきよりも近くから聞こえているように感じられた。

私は走り出す。


耳に届いたそれは、小さな呻き声だった。






ロッカーの一撃が、左の肩にはいった。

「……っ」
口の端からかみ殺した悲鳴が漏れる。
同じ場所に続けて打ち入れられたせいで、その痛みも尋常じゃない。

威力としては、たぶん子供が木の棒で殴ってくるようなその程度なのだろうけど
何度も何度も叩かれれば話は変わってくる。

緩んで落としそうになったスティレットを握りなおし、僕は右に構えたそれを肩の高さまで上げた。
そのまま、刺突の形で短剣を一息に突き出す。

その形は、まあそろそろ様になったと思う。
けど問題なのは、この僕の腕力が絶望的という点だ。

案の定、繰り出したスティレットは硬い音とともにロッカーの外骨格に弾かれ、流されてしまった。

慌てて手を引き、体制を立て直そうとするけど――――あちらの方が早い。

ロッカーの枯れ枝みたいな足が、したたかに僕の手首を打ちつけた。

その一撃で僕は完璧に体勢を崩し、今度こそスティレットを取り落としてしまう。

あげくそれに終わらず、ロッカーはその意思のない複眼で僕を見つめながら続けて足を振るった。
その一撃は、真っ直ぐに僕の顔面を狙っている。




――――避(かわ)せない!!


来る衝撃を覚悟して、僕はぎゅっと目を瞑った。

けれど、その直前。

いままさに帳を下ろそうとしている視界に、一つの影が飛び込んだ。

「はっ!」

長い金髪を携えた女性のアコライト。
メイスを握り締めた彼女は颯爽と表れ、ロッカーの巨体に痛快な一撃を極めてくれた。

ぐらり、とロッカーが姿勢を崩す。

絶好の好機。
僕は倒れながら、姿勢を直すのも後回しにして本来の力を行使する。

「ファイアボルト!!」

僕とロッカーを結ぶ直線状に一瞬だけ魔法陣が現れ、消えた。
代わりに出現した炎の矢は僕の意思に従い、何の感情も映さぬロッカーを撃ち貫く。

一、ニ、三。
放った三本の矢は、全部狙ったとおりに命中した。

絶命したロッカーと僕が地面に倒れるのは、ほぼ同時だった。

うつぶせに倒れた僕の視界に、ぴくりとも動かない緑の巨体とそれに向き合う彼女の足だけが見える。

彼女はしばらくの間構えを解いていなかったようだが
やがてロッカーが死んでいることを悟ると踵を返し僕に向き直った。
けれど、そこまで。

彼女の顔を見上げようとした僕は、疲労と痛みの二重奏の下真っ暗な暗闇に落ちていった。





倒れたロッカーはぴくりとも動かない。
たぶん――――この魔物は、もう、死んでいる。
三本の炎の矢はロッカーに命中し、反対側に抜けていった。
傷口は完全に炭化しているし、それは確実な致命傷だったのだろう。

それでも、私は警戒を解かなかった。
ううん、解けなかった。

用心深い、と言われれば私は首を横に振る。

ただ、怖いだけ。
ロッカーが死んでいるという、そのことが信じられない。

私はまだアコライトに転職したばかりだけど、それでもこの魔物をもう何匹も倒している。
この魔物の強さは分かっているつもりだ。

だから、信じられない。
ロッカーが、あんな簡単な呪文で倒されるなんて、本当に私の想像を越えている。

しばらくの間、草の上に横たわって微動だにしない緑の巨体を睨んでいたけれど
やはりロッカーが動き出す気配はない。

それを何度も確認し、ようやく私は緊張を解いた。
ふぅ、と息を吐いて背後を、正確にはそちらにいるであろうマジシャンの方に向き直る。

果たして、彼はそこにいた。
倒れたまま、僅かに覗く茶色の瞳がこちらを見ている。

大丈夫ですか、と声を掛けようとしたそのときだった。

少年は――――まるで眠りにつくかのように、ゆっくりとその瞳を閉じた。




少年が目を覚ましたのは、あたりが赤く染まり始めた黄昏時だった。

私は少年を運んだ木の本に腰を下ろし、ぼんやりと暮れ行く太陽を眺めていた。
耳に届くのは草原になびく夕風と、姿の見えないお化け飛蝗たちが奏でる稚拙な、けれど素朴な調べだけ。
今日中にプロンテラに戻ることはできないかもしれない。
草原の向こう側に聳えるその街並みを視界に収めながら、ぼんやりとそう思った。

「……あの」

不意に声を掛けられて、私はそちらに顔を向けた。

木の幹に背中を預けさせる格好で休ませていた少年が目を覚まし、すこし眠たそうな目でこちらを見ている。
茶色の瞳と黒い髪。その両方が、あたりの草原と同じように赤く染まっている。

「起きましたか?」
「どうにか。えっと……介抱してくれたんですか?」
「はい。もっとも、たいしたことはしていませんが」

答えながら、私は一つのことに気がついていた。
この少年。顔つき、背格好、声、どれをとってもまだ子供のものだと思ったけれど
それはどうやら私の勘違いだったようだ。
せいぜい十六、十五だと踏んだが、少年の……彼の声の端や僅かな振る舞いには
虚勢でない、確かな大人びたそれが感じられる。
もしかしたら、年齢的には私と大差ないのかもしれない。
疲れを振り払うかのように頭を振った後の少年の目には、確実な理性の輝きが見て取れる。

彼は空を仰いで、うわ、と顔をしかめた。

「……なんだかつき合わせてしまったようで申し訳ありません。
 プロンテラまでお送りします」
「結構です。それに、いまから出発して日没前にプロンテラに戻れると思いますか?」

私の言葉に少年は申し訳なさそうに、そうですけど、と呟いた。

「じゃあ、野宿するつもりですか?」
「そうするより他になくなってしまいましたから」
「危険ですよ」
「私がですか? それとも、あなたがですか?」
「……」

少年は一瞬息を飲みなにかを言おうとして――――代わりに、ため息にも似た笑いをもらす。
その瞳には、どこか諦めのような光が見えた。

「あなたの言うとおりです。危険なのは、僕の方なのかもしれない」

でも、と彼は続ける。

「少なくともあなたより冒険馴れしています。その心配は無用ですよ」
「……なぜ、私が初心者だと?」
「そんなの一目でわかります。法衣は真新しいし、メイスの扱いにだって慣れてない」

断言するようなその物言いに、私は何ら異論をはさめない。
彼は懐をあさり、一つのアイテムを私に差し出した。

「これを使ってください。プロンテラまで戻れます」
「蝶の羽、ですか。あなたは?」
「僕はもとから戻るつもりなんてありません。オークダンジョンに向かう途中でしたから」

さらりと聞き流した言葉。
けれど、すぐにその意味を知る。

「……!?」
「どうしました?」
「オークダンジョン? あなたみたいな人が?」

話に聞いたその迷宮は、プロンテラの南西、森の中にあるらしい。
凶暴で貪欲な魔物、オーク。
その亡霊と死骸とが生息する、紛れもない闇の世界。
初心者である自分にとって、そこは煉獄以外の何物でもない。

呆然とした私に、彼は今度こそ顔をしかめた。

「僕みたいって……僕、これでも十九ですよ。
 腕にだって多少自信があります」

やはり少年は私より年下だったようだ。
もっとも、二つも違わないのだけど。

「……その割には、ロッカー相手で苦戦していたようですが」

衝撃を受けいてた私は、思わずそんなことを呟いていた。
言ってから、はっ、とする。自分の台詞がいかに失礼なのか、遅まきながら悟った。
思わず顔をしかめる。いつもこうだ―――― 一言多い。
どうにか弁解しようと言葉を捜す私に、彼は声を掛けてくる。

「――――否定はしませんよ」

少年は涼しい顔で言うが、その真意のほどはわからない。
素顔を隠す仮面に笑顔を選んだ人間の、柔らかい微笑。彼にはそれが張り付いていた。

「僕はマジシャンですからね。ナイフの扱いなんて、疎くて当然です」

それは、確かに道理。
でも、だとしたらなぜ彼は?

「でも、ま、本音と建前ってやつです。僕は、体術においても――――長けていたい」

淡々と呟くその理由は、まさに建前だ。
彼の表情や声音からは、何ら真実味が感じられない。
まず間違いなく、その理由は嘘だろう。
しかし、なぜそんな嘘を突く必要がある?

「なんだか納得いかないって顔ですね」

苦笑したかのような彼の言葉。
私は遠慮なく頷いた。

「私、そう言うことに関しては鋭いと思っています。嘘ですね、その理由」

きっぱりと言い放つと、彼は目を丸くした。
しばらくの間沈黙が流れて、やがて彼は失笑する。

「完璧主義なんですよ、僕。何事も一番じゃなきゃ気がすまないんだ」

小さく付け加えられたそれは、気ほどの理由より何倍も信じやすかった。
さて、と彼は立ち上がる。その顔は、仮面ではない、正真正銘の微笑みのままだ。

「それじゃあ、僕は行きます。蝶の羽ですけど、使ってくださって結構ですよ。
 ――――ああ、そうそう。名前、教えていただけますか?」
「なぜ?」
「今日のお礼をするとき、名前がわからなくちゃどうしようもないですからね」

彼の差し出した手を、思わず握り返す。
私より年下のくせに、彼の手は私のそれより大きかった。

「僕はテトラ=リッスンといいます」
「私はリジィ。リッツウェル=ロースワーズ」


一瞬少年の顔がこわばり、そしてもとに戻る。
結んだ手は、数度上下して離された。

「ではリジィ、さようなら。
 いつか自分に自信が持てたら、そのときはあなたの役に立ちます」
「……結構ですよ。私は、一人でやっていくつもりです」
「それは寂しいですよ。それに、リジィ、
 僕はどうやらあなたに返さなければならない借りが山ほどあるみたいだ」
「え?」

言い残し、彼は身を翻した。マントを纏うその姿が闇に沈んでいく。
私の疑問に答えることはなく、しかししばらく歩んだ後で足を止め、彼は肩越しに振り返った。

「僕はね、リジィ! あなたの父親に存分に世話になったんですよ」
「――――!?」

その言葉はあまりに意外で、あまりに唐突だった。
父。根っからの冒険者で、年中大陸を歩き回り、時々私と母さんの待つ家に帰ってきた人。
正直、これと言った思い出はない。顔を合わせるのなんて年に数回しかなかったのだ。
過ごした時間は、今までの人生に比べればほんの一瞬。
顔だっておぼろげにしか覚えていないし、ここ数年なんて家に帰ってきてすらいない。
なのに、私にこうしてアコライトという冒険者の道を歩ませるきっかけになった人。

間違いなく、私の生き方に一番影響を与えた人。

その父と、このマジシャンが、知人関係にある?

私はどうやら、しばらくの間呆然としていたらしい。
気がついたとき、既に視界にテトラの姿はなかった。
追いかけようと目を凝らしても、どこにも見当たらない。

夜闇の中で、私は一人きりだった。



「……テトラ=リッスン」


私が彼とであったのは偶然か、それとも。

そんなことを考えながら、渡された蝶の羽を握りつぶす。
まばゆい光が指の隙間から漏れて、意識が遠くなる。



そうして、私は喧騒のプロンテラに舞い戻った。













襲い来るゴブリンたちをフロストダイバーとファイアーワールで蹴散らし払いのけながら
僕は森の中を歩いていた。
あたりは闇。月明かりも、木々の天蓋に遮られてここまでは届かない。
僕の視界は全てサイトに依存している。
視界が確保できるのはありがたいが、それが同時に魔物たちのを呼び寄せている点も事実だった。

たらり、と汗が伝う。
長らく、ここには足を踏み入れていなかった。
それは、まず一つ、純粋に自分の実力のせい。
ここに進入し、抜けられるだけの実力がなかった――――昨日までは。

そしてもう一つの理由は、拭い去ることのできない恐怖のせい。

「ライトニングボルト!」

フロストダイバーで氷付けにしたゴブリンを、雷の魔法で粉砕する。
ここに来て、既に何匹のゴブリンを退けたか分からない。
けど、まだまだ大丈夫。
動悸が激しい。
息が上がっている。
疲れはぜんぜん感じていないのに、記憶が、意識がここから逃げ出したいと叫んでいる。

「しっかりしろ、テトラ=リッスン……!」

小さく渇を入れながら、僕はさらに奥に進む。
木々を掻き分け、草を踏み分け、見覚えのある獣道を先に向かう。
まだノービスだったあのころ。一人で全てを片付けようとしていた自分と
それを危惧し助力してくれたあのナイト。
そして僕らは運悪く、こんな場所まで迷い込んでしまった。

群がるゴブリン。
僕は何もすることができなくて、彼はあっさりと死んでしまった。
死を受け入れた僕が瞳を閉じて、開いたときに見たものは、真っ赤な真っ赤な――――炎の壁。
標的を僕に変えたゴブリンを一掃したのは、通りすがりのマジシャンだった。
彼は適性があると言い、僕を弟子にした。
異論はなかった。自分が戦士になることなんて、とてもはかない希望だと充分実感していた。


そして、はや三年。
僕は師匠のもとを発ち、いまは一人で冒険を続けている。
いっぱしの冒険者には、まだまだ遠いと思う。

目の高さにある枝を潜り抜けると、見覚えのある場所に出た。

目の前に聳える林檎の巨木。
その根元に拵えられた、
簡素で質素な手作りの十字架。
そこに刻んだ名前を指でなぞり、僕は黙祷を捧げた。

ゴーシュ=ロースワーズ。

僕を守り、そして果てたお節介な、とても大事な命の恩人。

「僕――――」

どこだろう。
あたりは暗闇。星の光だって見えやしない。
すぐ近くから、ものすごく遠くから。
梟が、鳴いている。
















「――――テトラ!?」
「やあリジィ、また会いましたね」
「あなた、どうしてこんなところに?」
「偶然ですよ。それに、後から入ってきたのはあなたでしょう?
 それに、大声を出すのは感心しません。他の客が変な目で見てます」
「……」
「驚くのは分かりますけど、それは僕も同じです。
 ああ、そうそう。あの時言い忘れたことがありました」
「……なに?」
「僕――――」





「僕――――永久に、あなたへの忠節を尽くします」



昼時の食堂は、まさに喧騒の海と化す。
リジィは驚いたような、ぽかんとした目で僕を見返している。
台詞の真意がわからないのだろう。それとも呆れているのだろうか?

けど、まあ、真意も何もない。額面どおりとってくれればそれで充分。
この誓いは、今は亡き貴方と、その愛娘の貴女に。
ごく近い未来、リジィの父親が僕をかばって死んだことを話すことになるだろう。
返せるかどうかは分からないけれど。
命という、何よりも大切なこの借りを返すため、

僕はこの一生を、あなたたちに捧げようと思う。



【Fin】