狂詩曲[

 

 ぎぃん、ぎぃんと金属のぶつかり合う音が立て続けに響き、火花が散る。防戦一方に回っているのは、ラーシャのほうだった。

逆袈裟に切りかかってくるミハルの一撃を剣の腹で受け止め、流す。重い一撃に舌を打ちつつ、流れるように攻撃の動作に移る。斜めに構えていた剣をそのまま振り上げ――――既に迫っていた次の斬撃を弾くため、急いで振り下ろす。ラーシャの腹を狙った横薙ぎの一撃は、危ういところで防がれた。

(埒があかない……!)

 次々と迫るミハルの攻撃を全て危ういところで防ぎつつ、ラーシャは胸のうちで叫んだ。こちらにも攻撃の機会が回ってきたのは最初のころだけで、いまは防ぐだけで精一杯だ。それはつまりミハルが手加減していた、ということに他ならない――――こちらの疲労を考えたとしても。

 いったい、幾つの攻撃を防いだだろうか。意識はだんだんと遠くなりかけている。耳元で響く剣閃さえもどこか虚ろ。自分、という意識が何かに覆われて、身体がひとりでに動き始める感じ。忘我。

 がきん、と剣と剣が打ち合った。そのまま、互いに力任せの鍔競り合いに転ずる。

「ほんと、しぶといわね……まさかここまでやるとは思わなかったわ」

 震える腕でミハルの力にかろうじて抗うラーシャに、黒髪の剣士はそう声をかけた。そこには純粋な敬意の色が窺える。もっとも、力を緩めるつもりは毛頭なさそうだが。

「――――」

 ラーシャのほうに、言葉を返す余裕などない。一瞬でも気を抜けば、たぶんミハルの剣が深々と身体に突き刺さるだろう。いや、両断されたとしても不思議ではない。

 それが、両者の溝。

 詰めようと思って詰めれるものではない、実力という名の距離だ。

「あの子ったら、あなたの実力を見抜いて仲間にしたのかしら? きっとそうでしょうね。

 シリウスは、無駄なことは絶対にしない人間だから」

 言葉に耳を傾けるな、勝機を探せ。

 ラーシャは自分に言い聞かせ、現状を分析する。結果は――――絶望。どこをどう探しても、この窮地を脱する手段などありそうにない。暗いものが、心を覆っていく。

(……ここまでなの?)

 ぽつり、とラーシャは思ってしまった。

(こんなところで?)

「あなたも、あの子に惚れなければもう少しまともな人生だったでしょうに――――」

 絶望が、ラーシャの身体から力を抜いていくのとほぼ同時。

 何の脈絡もなく、突然。

 ミハルの身体が、大きくぐらついた。

「っ!?」

 物事を把握するより、剣士としての本能の方が早かった。ラーシャは一旦剣を退き、手首を切り返し体勢を崩したミハルの胴を狙う。ミハルの顔が驚愕に開く。

 そして、ラーシャは視認した。ミハルが体勢を崩すこととなったその要因。

 すなわち、その足に深々と突き刺さった見覚えのあるナイフを。

「――――はぁっ!」

 かろうじて迸った気合。

 繰り出された渾身の一撃は、まるで吸い込まれるかのようにミハルの腹部を薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

 背後でラーシャとミハルが一方的な戦いを展開しているのを感じながら、アヤは相変わらずちまちまとした攻撃を繰り返していた。

 きっ、きっ、きぃん、と、硬質な音が続けざまに響く。上段、中段、フェイント交じりに再び中段。三次元の軌跡を描いて切り結ぶアヤのナイフは、全てカインに塞がれるが……アヤの狙いは、まさにそれであった。

「……ちっ」

 つまらなそうに、カインが舌を打つ。ここにきて、アヤとカインの精神的優位は完全に逆転していた。

 ひゅっ、と空気を切り裂いて繰り出されるカインの攻撃。手の中で翻ったナイフは間違いなくアヤの瞳を狙っている。その動作はまさに見事。流れるような身体の運びには、無駄と思えるところが一つもない。

 しかし、その完成されたと思しき残撃を、アヤはわずかな動作で避けてみせる。攻撃の後にくるのは殺しきれない隙だ。眼球をえぐるために伸ばした腕を再び引くまでの一呼吸、そのわずかな間隙はアヤにしてみれば絶好の機会だ。手首に切りつけ動脈を切る。腱を切断し自由を奪う。いや、腕に沿って残撃を繰り出せばそのまま首筋にナイフを立てることすら不可能ではない。少なくとも、カインならばそうする。彼にできて、短剣の扱いにおいては本家といえるアヤにできないはずもないだろう。

 なのに、アヤは敢えて何もしない。ただその一撃を見過ごし、こちらが体勢を整えたあとで無駄な攻撃に移る。防がれると容易に想像のできる残撃だ。そんなものに意味はない。

 いや――――あるのか。数十回に及ぶ切り掛かりを防ぎ、ようやくカインはその考えに至った。自分がこうしてアヤにくぎ付けにされている以上、本領となる弓を使うことなどできはしない。アヤの目的は、おそらくそれだけだ。自分を倒すことではなく、自分の注意を引くことで矢を射させない、ひいてはミハルの支援をさせない――――という一点。

 カインは初めて顔をしかめた。面白くない戦い方だが、確かにこれ以上ない策でもある。戦いが始まって既にそれなりの時間が経過していた。おそらく、いや確実に、アヤとラーシャでは自分達を倒すことなどできはしない。所詮はただの人間とそうでない者だ。消耗戦ともなれば、優劣などはなから判りきっている。

 その現状を打ち破るのが、シリウスという存在だ。シリウスの扱いはパンドラに任せたが、それとて安心できるものではない。なんと言ってもあのシリウスだ。こちらの意に従わないという事態ぐらい、嫌になるほど想像できる。

 時間稼ぎ――――消極的ながら、最高の手段。

(つまらん)

 内心で侮蔑して、カインは迫りくるナイフを捌く。アヤの攻撃に無駄がなければ、カインの防御にも隙がない。いいかげん飽きてきたカインは、自分の注意がアヤのナイフだけに引きつけられていることに気付かなかった。

 にやりと、アヤが笑みを浮かべる。

「ばーか」

「――――っ!?」

 気付くより、アヤの動作の方が速かった。翻ったナイフの光。それに続いて飛んできたのは、まるで注意を払っていなかったアヤの右足だった。救い上げるかのような、見事なハイキックはカインの頭部を狙うと見せかけ、その途中でくんっ、と起動を変更する。

 ばしぃっ、と音がしてカインの手からナイフが滑り落ちた。アヤの蹴りは、最初からそれを狙っていたのだ。そこから続く動作も、全て計算のうち。当面カインに切りつけられることがなくなったアヤは身を翻しながら手の中でナイフの持ち方を変える。反転させ、刃を挟み込むように親指と手のひらで保持する。

 視界に映ったのは、鍔競り合っているラーシャとミハルの姿。気合を上げることはできない。気付かれる恐れがある。それにそんな余裕もない。

 故にアヤは無声のままに、身体のひねりを最大限に利用してナイフを投げた。

 音も立てずに飛翔する小さな刃は、狙ったとおりミハルの足に突き刺さる!!

 

 

 

 

 

 

 追撃に移ろうとして、ラーシャの背中を冷たい何かが走り抜けた。

 とっさに動きを止めると、目の前を――――本当に髪の毛数本の差異で、白い刃が横に過ぎる。あのまま突っ込んでいたら、たぶん顔が上下に分割されていただろう。それはあまり面白くない想像だった。

「やって……くれるじゃない」

 蹲った声の主は、わずかに震える声でそう言った。ミハルはその姿勢のまま片手を足に刺さったナイフの柄に伸ばす。ざっ、と――――あろうことか自らの肉を切り裂いて、彼女は足のナイフを横に抜き去った。

 ぼたぼた、と床に赤い液体が落ちる。

「ほんと、あの子が選んだだけのことはあるわね――――悪足掻きも、度が過ぎると痛い目見るわよ?」

「確かにね」

 答えたのは、まったくの第三者の声だった。

「ッ!?」

 ミハルが、ラーシャが、カインが声のした方向を見やる。焚き火の炎が照らし出す世界の片隅に、その少年は立っていた。

 方袖の失せた修道服に身を包み、顔には柔らかな笑みを浮かべた――――道化師(クラウン)の姿。

 最悪のタイミングで舞い戻った少年に、ミハルはあからさまに顔を歪めてみせる。

「シリウス……パンドラはどうしたの?」

「すぐに来ると思うよ。足止めしただけだからね」

 静かに答えながら、シリウスは悠々と戦場を横切りラーシャの隣に歩み寄る。

 誰もが動けなかった。ラーシャも、アヤも、ミハルもカインも。

 特に、かつて仲間だった二人はその恐ろしさを知っているがゆえ、恐怖が身体を縛りつけいてる。

 呆然とするラーシャに、少年は初めて顔をしかめた。

「ごめん、僕が迂闊だった。こんな状況も想定していたのに、信じたくなかった」

 聞きなれた指を弾く音。体の内部に穏やかな熱が生まれ、それが指の先まで浸透していく感覚をラーシャは覚えた。

 疲れが、癒えていく。

「ミハル」

 続けてアヤにヒールを掛けたシリウスは、むしろ穏やかな声で彼女の名を呼んだ。しかしその顔はラーシャに向けられたままだ。

「なにかしら?」

「君達の考えはよくわかった。百年は、やはり長いんだな。

 心まで――――亡者になったのか」

 問い掛けでもなく、確認でもなく。

 ただ独り言のように、シリウスは呟いた。

 くるり、とミハルに向き直る。

 すぐ目の前で剣を構え、しかし切りかかってくる度胸など絶対に持ち合わせていないだろう女性に、シリウスは――――ラーシャまでもが息を飲むほどに冷めた、ぞっとする声で、

「なら僕が、君たちを殺そう」

 と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちんっ! とシリウスが指を弾く。それが戦闘の合図だった。