葬送曲 1

 

 かつて王であり、いままた王でありつづける者は、ふぅ、と吐息をした。

 王が座す故にそれは玉座。そして玉座を包むは常夜の闇。そこには一片の乱れもなく、微塵の変化も無い。

 ふぅ。明かりもなければ従者もいない謁見の間に、王の吐息がただ繰り返される。

 その様子を気遣う王妃も、機嫌を伺う重臣ももはや過去の藻屑だ。

 王は吐息を、嘆息を繰り返す。

 その胸に抱いているのは、一握りの願い。欲望。あるいは疑問。

 王は座し、微動だにせず、ただただその解答を得るために思考を巡らせていた。百を何度も何十度も繰り返す膨大な時間の中で、いまだその答えの片鱗さえも見えてこない。

 

――――構うまい。

 

王は、その寛大な御心でもって現状を甘受した。もとより叶うはずの無かった願い、抱くことの無かった疑問だ。それに向き合う立場を得ただけでも僥倖と思わねばならない。

ああ、しかし悔やむなら。たとえ永久の猶予が与えられたとしても、我が思考はそこに辿り着くことはできないだろう。惜しむは不完全なこの身体とこの知識。私如きでは、永久にその答えを目の当たりにすることができない。

ふぅ、と王は悲嘆にくれる。

その疑問は永久に氷解することは無い。

取りも直さず、その疑問そのものが不完全であるがため。

 

 

 

 

 

 さて、と前置きしてシリウスは歩き出した。その後方に一歩送れて、いつものようにラーシャとアヤが続く。

 先の休憩からおよそ一刻。軽い睡眠と共に疲れを抜いた一同は、ピラミッドの最奥に向け足を向けていた。

「それ、持ってくの?」

 シリウスは肩越しにアヤを振り返り、そんなことを尋ねる。

 アヤは、それを、カインが使用していた弓を軽く掲げ、頷いた。

「無いよりましだろ?」

「まあ、ね。どっちかって言うと僕の疑問は、君がそれを使いこなせるのかってことなんだけど」

「弓の扱いにならそこそこ自信があるぜ? 前に見せただろ」

「――――そう言えば、あの時ゴーレムを作り出したのはあなただったわね」

 思い出したかのように、ラーシャ。

それは数日前の出来事だ。ごく最近のはずなのに、何故だかずいぶんと昔のことのように感じてしまうのは、たぶん気のせいではないだろう。

シリウスと共にモロクに留まっていた日々は、それまでに比べ刺激が多かったと思う。しかしこの数日に起こったことは、さらに輪をかけて多彩で想定外だ。懐かしく感じるのも無理はない。

アヤはおう、と頷き、そして眉をひそめる。

「そういや、あん時の岩の心臓はどうした? あれ、貴重品なんだが」

「知ってる。でも回収は無理だよ。粉々だったから」

 物憂げにシリウスは答えた。先ほどひとりで花壇のある広場を改めて訪れたとき、床に転がるその破片を見つけていた。

 アヤはげ、とうめいた後、仕方ないかと肩をすくめた。

「ま、どうにかごまかせるだろ」

「……まあ、幸運を祈る」

 しゃあしゃあとシリウスは言い放つ。アヤが岩の心臓を持ち出したということをコートに告げたのは、他ならぬシリウスだというのに。

 そのことを思い、ラーシャは小さく笑った。

 アヤが怪訝そうに目を細め、シリウスは我存ぜぬといった風に先を急ぐ。

 そんな少年に置いていかれぬよう、ラーシャも少しだけ歩調を速めた。

 

 

 シリウスが足を止めたのは、それから幾時も経たぬうちだった。

 少年は凍りついたかのようにぴたりと足を止め、目の前の闇を、足元から伸びる階段を見つめていた。白い石段は緩やかな昇りを描いている。横幅は、今まで歩いてきた通路と同じだ。

「――――シリウス?」

「二人とも。覚悟、決めてね」

 不信に思ったラーシャの声に、少年は小さな、しかし芯のある声で返した。

「ここが死線だ。ここを過ぎれば、もう謁見の間はすぐそこなんだ」

 シリウスは語る。瞳は真っ直ぐ前を、石段の先に蟠る闇を見据えたまま。

「もう一度聞いておく。二人とも、僕に力を貸してくれるかい?」

 淡々とした問いかけ。顔をこちらに向けすらしない、淡白な問いかけ。

 だから、ラーシャは沈黙で答えた。アヤも同じように無言。見れば、その口端にはかすかな苦笑が浮かんでいる。

 空白は、多分一拍足らず。ごくごく短い時間に、語るより雄弁な答えが紡がれた。

「――――ありがとう」

 静かに言って、シリウスは歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空気が変わったことに、ラーシャは気付いた。

 どこがどう、と問われれば、ラーシャには答える術が無い。長い石段を上り詰めたそこは小さな広間で、その奥に絢爛な装飾を施した観音開きの扉が見える。異質な空気は、まさにその向こう側から滲んできていた。それはまるで、阻めど阻めど砂に染み込む水のように容赦なく、静かに、世界を侵食している。

 

 もはやシリウスは、躊躇いすらしなかった。

 

 扉に歩み寄ったシリウスは、その表面に軽く手を触れ何かを呟く。

 そして、ぱちんと指を弾く音。

 がこ、と音がして、扉が向こう側に開いていく。

 

 漏れ出してきたのは、畏怖さえ含んだ異質な空気。

 

 ああ、とラーシャは悟った。

 この空気の異質さ。何がこの部屋を、空間を世界から切り離しているのか、その原因を知った。

(――――止まっている)

 ひやりとした空気が、首筋を舐める。

 ぞくりと震えた身体を無理やり押し込め、ラーシャはシリウスに声を掛けた。

「シリウス」

「ん?」

「守りなさいよ」

 何を、とは言わない。

 だがシリウスは、その意味をこれ以上ないほどによく理解したようだ。

「分かってるよ」

 苦笑交じりに呟き、シリウスは足を踏み出す。

 停止した王の待つ、過去の謁見の間へと。

 ラーシャはアヤと共に頷き、その後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中は闇だった。

 いったいどれほどの広さがあるというのだろうか。広がった闇は何処までも深く、シリウスのルアフが照らす範囲などその一片でしかないと思わせるような、そんな空間が広がっている。

 シリウスは右手を軽く掲げると、やおら指を弾いた。刹那、ぼっ、という音が連続して響き、部屋の中があっという間に明るくなる。壁に等間隔で設置された燭台に、シリウスが一息で火をつけたのだ。

 部屋の中に淀んでいた闇が、一瞬で払拭される。

 光が照らし出したそこは、ここが建造物の中だということを忘れさせるような広さを持った広間だった。小さなホールならばまるまる入ってしまいそうな広さと高さがある。部屋は長方形に近く、いまくぐった扉からは、部屋の奥に向け真っ直ぐに装飾の施された石畳が伸びていた。

 その道の先には、部屋の広さと比較すれば余りに小さな玉座が一つ。

 そこにうずくまる影を確認し、ラーシャは息を飲んだ。隣で、アヤが同じように身を強張らせたのを悟る。

 緊張していないのは、シリウスだけのようだった。いや、それは単なる思い込みか。あれほどの存在を前にして、緊張すら抱かない者など居ないだろう。

 しかし、横目で見やれば、シリウスはまったくの自然体でそこに在った。アークワンドを右手で軽く握りながら真っ直ぐに前を向き、部屋の奥に座す全ての元凶を見つめている。

 自然体――――で、あるように見えた。しかし。

(シリウス)

 胸中で、その名を呼ぶ。口端を、小さく噛み締めた少年を。

 それは怒りか。それとも悲しみか。或いは恐怖なのか。

 少年は軽く俯くと、すっとアークワンドの先端をオシリスへと向けた。

 僅かな空白。

 そして、シリウスは顔を上げた。

 

 その瞳に、もはや迷いはない。

 

「不死の王よ」

 

 声は堂々と、真っ直ぐに。

 

「僕達はお前を倒しに来た」

 

 シリウスは指を弾いた。