夢売り




 からんからん、と音を立ててドアは開いた。わずかに開いた隙間に彼は身を滑らし、今度は音も無くドアを閉めた。中の暖かさを、たとえ一握りでも外には出さぬように。外は寒い。この街には冬が訪れていた。

 店の中には雪が降っていた。ちらちらと、ゆらゆらと。石造りの天井から降り敷く白い結晶は、床につくなりその姿を消した。床には(これも天井と同じ石造りだが)染み一つ、湿り気一つ残さない。雪が降っている。なのに、店の中は暖かかった。ストーブが店の隅の方に、まるで取り残されたかのように置かれていた。その上には銀色のヤカンが見える。ヤカンの口からは白い湯気が立ち上っていた。

 彼は着ていたカーキ色のコートを脱いで脇に持ち、かぶっていた黒い鍔付き帽を手に持って酒場の中を見まわした。狭い酒場だ。十人も入れば人があふれてしまうようなスペースに、見える影は三つ。それが季節のせいなのか、それとも他に理由があるのか、彼にはわからなかった。見えた影は三つ。ネズミ、ネコ、そしてキツネ。ネズミとネコは店の隅のテーブルで向かい合い、キツネはカウンターの向こうでグラスを磨いていた。

 彼はコートを脇に抱えたままカウンター席に腰を下ろした。無言でガラス製(だろう)のコップを磨いていたキツネが、面倒くさそうに顔を上げる。綺麗な緑色の瞳をしたキツネだった。多少歳を老いてはいるものの、まだまだその顔には張りがあり、鋭さがあった。毛並みもいい。

 キツネは口を開いた。

「あんた、どこから来た」

「南のほうから」彼は答えた。コートと帽子をカウンターの脇に乗せる。「暖かいミルクをお願いします。外はあまりに寒い」

「それは冬だからだ」

 カウンターの中から小さなガスコンロを取り出し、キツネは言った。中にミルクを注いだ小さななべを上に載せ、火をつける。ミルクは一瞬で温まった。キツネはコンロの火を止め、鉄製のカップにミルクを注ぎ彼の前に出した。

「どうも」

 彼が答えると、キツネは小さく鼻を鳴らしてコンロをしまった。再びグラスを磨き始める。彼は小さく一口、ミルクを含んだ。とても熱かったけれど、冷えた身体にはちょうどいいように思えた。

「あなたは誰ですか?」

 突然掛けられた声に、彼は首を動かした。すぐそこに、ネズミが立っていた。ネズミは青い、上等そうな張りのあるスーツに身を包み、右手にワイングラスを持っていた。中では赤い液体が揺れている。ネズミは銀色の体毛を持ち、その緑色の瞳が彼を真正面から見ていた。

「彼は――――」彼は口を開いた。「夢売りです」

「ゆめ? 何ですか、それは?」

 夢と言う言葉を聞いたことが無いのだろうか。首をかしげるネズミに、彼は畳んだコートのポケットから幾つかの色付きガラス球をとりだし、それをカウンターの上に並べた。

「これが夢です」彼は言った。

「ほほう、そうですか。美味しそうですね。食べれるのですか?」

「ええ。ドロップのような味がしますよ。一つ、そうですね……これを食べてみてください」言って、彼はガラス球――――夢球(ゆめだま)を一つ手でつまんで取り上げた。「あなたには、この“澄んだ灰色”がふさわしい」

「いえいえ、私はこちらにさせてもらいます」

 首を振りながらネズミは言った。そして、“金色”の夢球を手で掴み上げ、そのまま三角形のような口に運ぶ。ネズミが口を開くと、親指ほどの長さはありそうな前歯が二本、並んで生えているのが見えた。

「ほうほう……確かに甘いですね」喉を鳴らすように、口の中で夢球を転がしながらネズミは言った。その表情からだんだんと力が抜けていく。目はとろんとなり、口からは締りが無くなっていった。

「なんでしょうか……なんだか、気分がよくなってしまいました…………」

 言うが早いか、ネズミはゆっくりとその場に崩れ落ちた。石畳の上に座り、完全に眠りに落ちたネズミを見て、彼は小さく苦笑した。だから言ったのに。あなたには“澄んだ灰色”がお似合いだ、と。

「あなた……ヒトですね」

 次に声をかけてきたのは、さっきまでネズミと同じテーブルに向かい合って座っていたネコだった。ネコはそこに座ったまま、首だけをこちらに向けていた。金色に輝く、まるで太陽のような毛並みを持つネコは、くたびれ薄汚れた緑色のスーツに身を包み、同じく緑色の瞳でじっと彼を見つめていた。

「ええ、そうです」彼は言った。

「ずいぶんと久しぶりです。まともなヒトを見るのは」ネコは懐かしそうに、そしてどこかうらやましそうに言った。「あなたは南から来たと言った。南には、あなたのようなヒトがまだ沢山いるのですか?」

「さあ、どうでしょう。彼ももうずいぶんと長い間旅をしていますから。彼の生まれ故郷がどこにあったのか、彼はもう覚えていません」

「夢は売れましたか?」

「いいえ」彼は言った。言って、ミルクを一口すする。「まったく売れませんでした。なぜなんでしょうね。この町にはもう、夢を見ることすらできないヒトであふれているんでしょうか」

「かもしれません」言って、ネコは笑った。彼もつられて笑った。

 しばらくしてネコは笑いを収めると、ゆっくりと椅子から立ちあがった。おぼつかない足取りで彼の元までたどり着き、小さく頭を下げる。

「私にも、夢を一ついただけないでしょうか」

「ええ、結構ですよ。あなたにはそう……“純粋な白”がふさわしい」

 言って、彼は真っ白な夢球を取り出した。だけれどネコは首を横に振り、彼の言葉をやんわりと退けた。

「私にそれほどのものは似合いません。私はこれで結構です」

 言って、“光をすいこむほどの黒”を取りあげ、口に運ぶ。ネズミほどの時間も立てず、ネコもその場に崩れ落ちて寝息を立て始めた。

 静かに眠る二匹を見て、彼は小さくため息を吐いた。なぜ? なぜなんだろう。なぜ、みんな自分にふさわしい夢を拒むのだろう。

「……なあ、夢売りさんよ」

突然、キツネがグラスをふく手を止めて声を掛けてきた。

「なんです?」

「ミルク、もう冷めちまったようだ。暖めなおすかい?」

「いえ、結構ですよ」彼は言った。そして、キツネの指摘通りすっかりさめてしまったミルクを胃に流し込む。と、彼はふとそのことを口にした。

「だけれど、不思議な町ですね。ここは」

「なにがだ?」

 キツネの問いに、彼はゆっくりとあたりを見まわした。音も無く降り敷く雪。石の天井から舞い降りる白い結晶。

「外では冷たい風が吹き、建物の中では雪が降る」

「これは、本物の雪なんかじゃない」キツネは言った。いまいましそうに。「これは幻雪(まぼろしゆき)だ。町の連中が雪が綺麗だからって言って、これを降らすシステムを作りやがった。寒くも無い、解けてあたりを濡らすわけでもない。なんの益体もない、ただのゴミだ」

「綺麗に見えますけどね」

 正直に、彼は言った。そしてミルクをすべて飲み干す。

「綺麗? 馬鹿言っちゃいけないよ。こんなの、すぐに飽きる。いまじゃあもう、誰だってこんなものを綺麗だなんて思わない。思えないのさ。ああ、若いの、あんたはまだ救いがある。あんたは、わしらみたいになっちゃいけない」

 一息に言って、キツネはグラスをカウンターに逆さに置いた。どれだけ磨いていたのだろう。表面には傷一つ、曇り一つ無く、鏡のように彼の顔を映し出していた。

「なあ、わしにも一つ夢をくれないか」

「ええ、結構ですよ。あなたにはこの“悲しみの蒼”をお勧めしましょう」

 差し出した夢球に、キツネは首を横に振った。「わしが見る夢だ。わしに選ばせてくれ」

「……わかりました」

 キツネはしばらく迷った後、なんの色もついていない“透明”な夢球を選んだ。それを手に持ち、まるで吾が子のように慈しみの満ちた目で眺める。

「それでは、彼は行かせてもらいます」残った夢球をかき集め、彼は立ちあがった。コートをまとい、帽子をかぶる。ゆっくりと身を翻し、ドアへと向かう。

「なあ」

 ノブに手を掛けたところで声を掛けられ、彼は首だけでキツネのほうを向いた。キツネは夢球をいままさに口の中に入れようとしているところだった。

「一つ訊いておきたかったんだが」

「はい」

「なぜあんたは、自分のことを“彼”と呼ぶんだ?」

 彼は即座に答えた。

「彼が夢売りだからですよ。夢は他人にしか扱えないんです」

「なるほど」

 納得したように声を上げ、キツネは夢球を口の中に放り込んだ。彼はそれを確認した後、改めてドアを開ける。暗い外では冷たい風が吹き、明かりのともった街並みがひっそりと並んでいた。

「さて……行きますか」

 ドアを閉め、彼は歩き出した。

 北へ。

 北へ――――――――――――僕は。


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