デバイスに関する彼女たちの見解



 目を覚ますと、薄緑色(ライトグリーン)の天井が視界に広がった。
 それは見慣れた光景のようで、ここ暫く、いいや、数年レベルで世話になっていない光景だと気付く。故に直ぐに此処が何処であるのかは分からず、彼は周囲を見渡そうとし、ずきり、と走った痛みに顔を顰めた。

「痛……ッ」

 刺すような痛みは肩口の辺りから。首だけをそちらに向ければ、はだけられた上半身にぐるりと巻かれた包帯に気付いた。特に痛みの走った周辺が念入りに巻かれている。しかし痛みはあっても出血は無いらしく、包帯は綺麗なままだ。巻かれてからそれほど時間も経っていないらしい。
 そんなことを考えながら彼が無意識に行ったのは、自らの身体の四肢の確認だった。両手両足の有無と怪我の確認。次いで各感覚が正常に機能しているかどうかを確かめる。
 自分がそれを行っていることに気付き、彼は小さく苦笑した。士官学校のサバイバル教目で叩き込まれたスキルなのだが、身体はしっかりとそれを覚えていたらしい。

「まぁ、ロッテにもしっかり叩き込まれたしな……」

 フィジカル担当の師匠であった使い魔のことを思い出し、彼、クロノ・ハラオウンはその苦笑を深めた。
 と、不意にドアが開き誰かが部屋に入ってくる。そちらに顔を向ければ、そこには見知った顔が二つ並んでいた。

「あ、クロノ君起きてる。大丈夫?」
「大丈夫? クロノ」

 驚いたような顔をした二人は、それぞれに同じ問いを口にしてベッドの傍まで近寄ってくる。エイミィ・リミエッタとフェイト・T・ハラオウン。知り合い、というより最早家族に近いその二人を確認し、クロノは自分が此処に運ばれてくるまでの経緯を全て思い出した。
 あぁ、と反射的に呟き――次の瞬間、複雑そうな顔のフェイトを見て、苦笑する。申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな、そして、そんな自分を誰よりも叱責するかのような表情の義妹に、クロノは身体を捻って左手を差し出した。

「?」

 不思議そうな顔をするフェイトの頭に、ぽん、と左手を乗せる。その瞬間、叱られるとでも思ったのか、フェイトの身体がびくりと震え、すぐにそれは驚きの気配に転ずる。

「え、ええと……クロノ?」
「とうとう、やられたな。僕も注意はしていたんだが」

 くしゃくしゃとフェイトの髪を撫で回しながら、クロノは韜晦する。かつて――まだ執務官ではなかった頃、初めてロッテから一本取った時に自分がそうされたことを思い出しながら。

「そう簡単に負けてなるものか、とは思っていたけれど、まさかこんなに早く一本取られるとはね」
「そ、そんなこと無いよ……ぐ、偶然。そう、偶然だよ。次にやったら、私が負ける」
「当たり前だ。あんな奇手、一度知られたら使えないぞ。アレは初見だからこそ有効な技術だ」

 尤も、その手の奇術でもなければ格上の相手には届かないということは、クロノ自身よくよく理解している。
 褒められたその次に冷然とした指摘を受け、フェイトは申し訳なさそうに項垂れる。
 素直なフェイトの反応にクロノは自然微笑を浮かべ、ぽん、と最後に軽くフェイトの頭をはたいた。

「すまないが、喉が渇いた。フェイト、何か持って来てくれないか?」
「あ――う、うん。ちょっと待っててね」

 言うが早いか、フェイトはクロノに背を向けて小走りで部屋を出て行った。
 軽い作動音と共にドアが閉じ、ふぅ、と息を吐けば、

「……なにか言いたそうだね。エイミィ」
「いや、べっつにー」

 にやにやと、意地の悪い笑みを浮かべた執務官補佐の姿があった。
 エイミィは遠慮の欠片も見せぬ動作でベッドに腰を下ろし、先ほどクロノがフェイトにそうしたようにクロノの頭を撫でてくる。

「クロノ君、思ったよりお兄さんお兄さんしてるんだね。ちょっと驚いちゃったよ」
「何だよ、お兄さんお兄さんって。僕は別に」
「だって気遣ったじゃない、フェイトちゃんのコト。わざわざ左手で頭撫でたり」
「……」

 あっさりと指摘され、クロノは渋い顔をする。
 エイミィはそんなクロノに破顔した。

「ま、自分で分かってるならおねーさんから言うことは無いよ。安静一ヶ月。出来れば仕事も少し休めって、ドクターが」
「やれやれ……」

 確認するように右手に力を入れれば、痺れるような痛みが返って来る。慣れた、そして久しぶりの痛みだ。骨折を治癒魔術で癒された後に残る種類のそれである。骨そのものを癒着させても、それが安定するまでにはやはり相応の時間を必要とするのだ。
 まぁ、とクロノは思う。自業自得だ、と。この怪我の原因の半分はフェイトの奮闘で、残りは慢心だ。甘んじて受け止めるつもりだし――こんなことを口にすれば何を言われるか、特に目の前に座るこの怪我人を労わる様子を欠片も見せない相棒に何を言われるか分かったものではないが、本音を言うのなら、喜ばしいのだ。ついに自分から一本を取った義妹の成長が、自分のコトであるかのように嬉しい。
 そんなことを思いながらクロノが右腕に巻かれた、フェイトには意図的に見せないようにしていた包帯と拘束具(ギプス)を見ていると、それでね、と若干言い辛そうに、エイミィが口を開いた。

「戦闘の結果。何処まで覚えてる?」
「至近距離に踏み込まれて全力攻撃をされた所までは、なんとか」
「うん、まあ、フェイトちゃんもちょこーっと力はいって防護服(バリアジャケット)貫通しちゃったんだけど――ついでに言うとその骨折、フェイトちゃんの一撃をとっさに右腕で受けたせいなんだけど、ええと、その」
「どうしたんだ。言い淀むなんて珍しいじゃないか。エイミィの癖に」
「……ほほぅ。その言葉は私に対する挑戦と受け取るよ?」

 不意にきらーんと光ったエイミィの瞳に、クロノは口は災いの元というなのはの世界の諺を思い出した。

「ええと、それで?」
「……もう。覚えててよね。具体的には次の食餌を。で、その時のことなんだけど」
「ああ」
「……S2U、どうなったか覚えてる?」
「S2U?」

 それは、クロノが愛用するストレージデバイスの名称だ。人工知能こそ搭載していないものの、持ち主の趣味嗜好に沿い質実剛健を地で行くようなそれは、母、リンディ・ハラオウンから貰った最初のデバイスでもある。
 もう何年も前の型ではあるが、マイナーチェンジを繰り返し未だに現役のその杖は、勿論フェイトの模擬戦の時も右手にしっかりと握っていて――

「……あ」

 記憶を失う直前。
 踏み込まれたフェイトの渾身の一撃を防ぐために掲げたS2Uが、確か、砕かれた、ような。
 金色の光――フェイトの魔力光に流されるように散っていくS2Uの欠片を、見た、覚えがある。

「……どうなった?」
「その様子じゃ、大体の予想はついてると思うけど」

 遠まわしな言い方は、何ももったいぶっている訳ではないだろう。出来るなら、その顛末を口にしたくないだけのようだ。
 しかしクロノは首を振った。横に。

「構わない。ちゃんと教えてくれ」
「……うん」

 敵わないな、と言うように苦笑して。
 エイミィは、その事実を告げる。

「端的に言うと、中破以上大破以下。て言うか一歩手前。辛うじてフレームが残ったかな、って程度で、ほとんど大破と捕らえていいって、マリーが言ってたわ」
「そうか……」

 覚悟して聞いたことではあるが、それでも口調が沈むのは止められなかった。
 口の中に、苦いものが走る。仕方が無いことだ、と思うし、誰に責任を求めるつもりも湧かないが――それでも。フェイトがこの場に居なくて良かったと、フェイトが居なくなってからその報告を受けてよかったと思ってしまう。

「修理は? 可能なのか?」
「出来なくは無いけど、一から作った方が早いだろうって。直すにしても、フレームごと歪んじゃったから、どっちにしろ新調と大差ないみたい」
「……」
「――ゴメンね」
「……謝られてもな。エイミィのせいじゃないだろう」
「じゃ、フェイトちゃんのせい?」
「まさか」

 窺うような視線を見せるエイミィに、クロノは苦笑を返す。

「誰のせいでもないよ。敢えて言うのなら、扱いきれなかった僕のせいだ」

 確かに、古い品ではあったのだ。設計思想も技術も、そして規格も。現行品と比較すれば二歩三歩劣るのは否めない。最新機器を組み込むためには接続器(コンバータ)さえ噛ます必要があった。唯一の特徴は、その拡張性の広さで、だからこそ、前線に出るクロノが未だに使い続けることが出来たのだ。
 尤も、それにしても限界が見えていたのは――半年前の闇の書事件で、痛いほど思い知っているが。
 と。

「クロノ!」

 病室のドアが開くのと同時、金色の髪をツーテールに纏めた少女がクロノの名を叫びながら部屋に入ってくる。
 少女は手に持った紙コップの中身を零さんばかりの勢いでベッドに駆け寄ると、泣きそうな顔で勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい! ごめんなさい、私――」
「なんだ、聞いてたのか」

 悲痛な響きさえあるフェイトの謝罪を、クロノは気にした風も無く苦笑で遮る。

「なら聞こえていただろ? フェイトのせいじゃない」
「でも」
「気にしないでくれ。あまり気に病まれても、その、ええと。困る」
「クロノは……リンディさんに貰ったデバイス、壊れても平気なの?」
「平気か、と言われると、それはそれで困るんだけどな」
「だ、だから私――私、ちゃんと直すから!」
「は?」

 突然の単語に、クロノは素で疑問の声を上げていた。

「直すって、何を」
「も、勿論、クロノのデバイス」
「だって……大破なんだろ? ほとんど」
「マリーはそう言ってたね。ほとんど。一応、修復も可能だ、とは言ってたよ」

 答えたのは微笑みながらフェイトを見るエイミィだ。
 フェイトはそんなエイミィの表情に気付いているのかどうか、泣きそうな顔で迫ってくる。

「お願い。直させて、クロノ」
「それは構わない……と言うかありがたいが、大丈夫なのか? 君にだって用事があるだろう」

 今年の春に正式に管理局に入局したばかりのフェイトは、現在執務官候補生として色々なものを学ぶ立場にある。それは管理局法だったり、戦闘技術だったり、魔導運用理論だったりと多岐に渡り、執務官を本気で目指す以上、避けては通れぬ道だ。その忙しさは、自分がかつてそうだったからこそ、わざわざ口にするまでも無く理解できる。素直な話、デバイスの修理は勿論、簡単な改修さえ満足に行えるような時間は無いだろう。
 無論、フェイトだってそんなことが分かっていない筈がない。義妹は、おそらく、自分が思っている以上に優秀だ。だがそれでも、フェイトの身体は一つで、時間という物差しは時に喜劇的にまで冷徹なのだ。それまでの自分のノルマとデバイスの修理を同時に進行などさせたら、さしものフェイトも簡単に倒れてしまうのではないだろうか。
 しかし。

「大丈夫」

 強い意志と、決して折れぬという決意を灯し、フェイトは頷いた。

「ちゃんと、やるから。ちゃんとS2Uを直して、クロノの心配するようなことにもならない。体調管理は全ての基礎だって、そう言ったのはクロノだよ」
「それは」

 ああ、言った気もする。執務官を目指すと家族の前で表明したフェイトに、クロノが最初に送った言葉だ。
 それを実感として認識するにはまだフェイトは幼いが、だが、だからこそこの義妹は、その言葉の意味を理屈の面では正確に理解しているのだろう。

「止めても無駄みたいだよ、クロノ君」

 言葉に若干の苦笑を滲ませて、最早明白な事をエイミィが口にした。
 はぁ、と口から漏れたのは諦めの嘆息だ。

「分かった。じゃぁ、任せるよ」
「うん。……ありがとう」
「礼を言うのは僕のほうなんだがな」

 クロノの言葉にフェイトは、そうだね、とやっと微笑んで部屋を出て行った。その様子は、まるでいたずらをようやく許された子供のようで、これではまるで自分がフェイトを叱ってたみたいじゃないか、とクロノは気付き、小さく笑った。
 それが目に留まったのだろうか、エイミィが疑問を口にする。

「どうしたの、クロノ君」
「いや、なんでもない。エイミィ、デバイスの件だけど」
「うん、分かってる。私も手伝うよ。流石にフェイトちゃんだけじゃ荷が勝ちすぎちゃうしね」
「すまないな。手間を掛けさせる」
「いいっていいって、気にしない気にしない。今度ご飯奢ってくれればそれで許しちゃうよ?」
「相変わらず現金だな、エイミィ」
「何よ。不満?」
「いや。感謝してるよ――産業区に新しいカフェが出来たって聞いたけど、そこでいいか?」
「ん、オッケー。期待してるよ」

 そう言ってにこりと笑ったエイミィは、制服のポケットから折りたたみ式のメモリデバイスを取り出した。小さな電子音を何度か響かせ、ぱたり、と閉じる。

「じゃあクロノ君のアカウントにメール送っておいたから、見たら折り返しでメールしてね」
「要求仕様調査?」
「そ。いくつか項目作っておいたから、そっちはイエスかノーで答えておいて」
「分かった。今日中に見ておくよ」
「お願いね。さーて、じゃあ私はフェイトちゃんのお手伝いと行きますか。あ、それと当面の代替機だけど、管理部からデュランダルの使用許可貰ってきたから。はいこれ、使用許可証。保管しといてね」

 エイミィの差し出した書類を受け取るクロノ。ぱっと目を通すと、成る程、エイミィの言葉の通り、闇の書の一件以来管理部の備品とされていたデュランダルを、期限付きではあるもののクロノ・ハラオウン執務間に預けるものとする、との旨が書かれている。
 お大事にねー、と軽く言い残して病室を出て行ったエイミィの背中を見届けて、クロノはサイドテーブルの紙コップに手を伸ばした。フェイトが先ほど買ってきたもので、中身はありきたりなオレンジジュースではあったが既に中の氷が溶けており、味が大分薄くなっている。飲めない程ではないが、勿体無い気がした。



 管理局内部、リンディ・ハラオウン提督執務室。
 部屋の主であるリンディが書類との格闘に区切りをつけ、砂糖とミルクをたっぷりと混ぜた紅茶で一息を着いているのを見計らい、フェイトはリンディの下を訪れ事情を説明した。勿論、クロノのデバイスに関して、だ。

「なるほど。フェイトさんの気持ちは良く分かりました」

 ことりとカップをデスクに戻し、リンディは頷いた。

「そういうことなら私も応援させて貰うけれど、ちゃんと、約束してね。自分のこともちゃんとやる、って」
「はい、母さん」
「ん――よしっ。ちょっと待ってね」

 微笑んだリンディは、デスクに備え付けられた抽斗のその一番大きい一段を引き出すと、その中から分厚い紙の挟まれたファイルを取り出した。その厚さ、ファイルの表紙を除いても軽く一〇センチはあるだろう。
 どん、とデスクに置かれたファイルの厚さにフェイトは驚き、すぐにそれは、え、という呟きに変わった。

「……ふぅ。これで全部かしら」

 全部で五冊のファイルをデスクの上に積み、ふぅ、とリンディは息を吐いた。
 フェイトはもはや呆然と、その小山を眺めている。一冊一冊に厚さの差はあまり無く、だからこそそれはざっと五〇センチメートルもの山になっている。表紙に張られたラベルには簡単な通し番号だけがあり、飾り気のようなものは何も無い。それが一層、自らの持つ情報量の多さを物語っているようだった。

「懐かしいわねぇ」

 柔らかい光を瞳に灯し、リンディは一番上の一冊を手に取りぱらりと捲った。ひょい、と横からそれを覗き込んだフェイトは、綴じられた紙面に記された数字の多さと、文字の細かさに唖然とする。
 ひょっとして色々な意味で早まったかもしれない。クロノのS2Uを直すと言い出したのは自分だし、その申し出は当然だとも思っている。その為なら多少の、いいや、かなりの苦労も厭わないが、それにしてもこれは。
 思わずフェイトが一歩後ずさると、硬いノックの音が部屋に響いた。ファイルから顔を上げぬまま、どうぞ、とリンディが受け答える。

「失礼します、艦長」

 一礼と共に入室してきたのはエイミィだった。彼女はリンディのデスクに詰まれた小山を見て苦笑すると、こちらへと歩み寄ってくる。

「ええと、フェイトちゃんからもう聞いたと思いますけど」
「クロノの件ね。療養手続きは完了してるわ。尤も、そう長い間は休ませてあげられないけどね。書類仕事も多いもの」
「その辺は本人も承知の上でしょうから。それよりも、」
「ええ、S2Uの事でしょう? いま、フェイトさんにこれを渡そうと思っていた所よ」

 ようやく顔を上げたリンディはファイルを閉じると、それら全てをフェイトに差し出す。受け取ると、やはりと言うべきか否か、無意味にずしりと重かった。

「えっと、艦長。そのことなんですけど」

 ファイルを受け取ったフェイトを見て苦笑を浮かべたエイミィが、リンディに何かを耳打ちする。
 きょとんとしていたリンディはやがて納得したように頬を緩め、そうね、と小さく頷いた。

「その方がいいわね、きっと。任せます、エイミィ」
「はい、分かりました」
「え、えっと……?」

 なにやら勝手に納得した二人に、フェイトはおそるおそる声を掛けた。ハラオウンの家の娘となってはや半年以上が経つし、PT事件の直後からこの二人とはずっと一緒だったが、その記憶の中で二人がこうやって勝手に物事を進めるということがどういう意味を持つのか、そろそろ何も考えずに理解できそうになりつつある自分が居る。ただ問題なのは、

「大丈夫よ、フェイト。気にしないで」
「このエイミィさんにまっかせなさーい」

 自分が口を挟んだ所でこの二人が止まるはずが無い、ということだ。
 以前クロノにそれとなく問うた対処法は唯一つ。ほとぼりが冷めるまで逃げるのだとか。
 それって結局解決になってないんじゃ、と呟いたときのクロノの沈痛そうな顔はそうそう忘れられそうに無い。

「けど、そういうことならこの資料は要らないわね」
「え?」

 うんうん、と笑顔で頷きながらリンディはフェイトが手にしたファイルを全て自分の手元に戻す。

「か、母さん?」
「大丈夫よフェイト、私、嫉妬したりなんかしないから」
「し、嫉妬?」
「さ、フェイトちゃんこっちこっちー」

 何か不吉な単語を耳にした気がして聞き返したが、その答えを聞くより早く、エイミィがフェイトの腕を取って歩き出した。
 ずるずると、不思議な怪力を振り払うことも出来ずフェイトは引きずられるようにエイミィの後に続く。

「エイミィ、ちょっと離して、母さんに聞きたいことが」
「気にしない気にしない。ほらほら、行くよー」
「任せたわよー、エイミィー」
「か、母さん――!」

 伸ばした腕は何も掴むことができず。
 蹴飛ばしたい程に朗らかな笑みを浮かべたリンディの姿が、ばたり、と閉じたドアの向こうに消えた。



 嫌な予感を確りと胸に抱いたまま、それでも観念して素直にエイミィに従い向かった先は、局にあるメンテナンスセンターだった。
 センター入り口のドアを潜ると、すぐ傍の休憩所で談笑していた何人かのスタッフが会話を止めて何かとこちらを見た。その中の一人に見覚えのある、どころか、常日頃からお世話になっている人物が居た。
 エイミィにとってもそれは同じ、と言うか、彼女の目的がその人物だったのか、エイミィはその集団に向かって手を振って言葉をかけた。

「ちょっと悪いんだけど、マリー借りてもいい?」
「どうぞどうぞ。持っていってください」
「ちょっと、何よその言い方! 私は物じゃないんだからね」
「いいからさっさと行けって。こっちはこっちで話進めておくから」

 似たような格好の二人に追い出されるようにして、その人物、マリーがこちらへとやって来た。マリーはエイミィの前で足を止めると、で、と前置いて口を開く。

「何のご用ですか?」
「うん、実はちょっと頼みたいことがあって。S2Uの事は聞いた?」
「あ、はい。さっき報告を受けました」
「それで、なんだけど……ちょっと耳貸してくれる?」

 ここでも秘密なんだ。絶対に悪巧みされてる。
 ちょいちょい、とマリーを手招くエイミィの姿にそんな確信を抱きながら、それでも為す術無くフェイトはマリーの耳元で何かを囁くエイミィの姿を眺めた。思うことはただ一つ。願わくば、どうか火に油が注がれませんように、だ。
 ややあって解放されたマリーは窺うようにこちらを見て――ぽそり、と呟いた。

「面白いかも……」
「……どういう意味なのか教えて欲しいよ、エイミィ」

 無駄だと思いつつ、エイミィに懇願するフェイト。
 しかしエイミィはそんなフェイトをまるで無視し、だから、と言って胸の前で手を合わせた。

「施設、貸してもらえる?」
「ええ、どうぞ。ちょっと待ってください――はいこれ、キーです。終わったら返してくださいね」
「うん、ありがとっ。感謝するよ、マリー」
「先輩の頼みですから。それに、」
「大丈夫、任せなさい。ちゃんとビデオに取って教えてあげるよ」
「そうですか。楽しみにさせてもらいますね」

 言って、小さく笑いあう二人。その姿は、何故だろう、先日高町家に遊びに行った時に恭也が見ていた時代劇に出てくる悪代官と越後屋の会話を連想させた。
 さ、と呟いてエイミィはフェイトに向き直った。その手の中には静かに光る銀のカードキーの姿がある。

「こっちだよ、フェイトちゃん」
「ううう……」

 何されるんだろう、私。予感を確信に変えながら、フェイトはエイミィに導かれるままにメンテナンスセンターを奥へと進む。
 幾つかの区画(ブース)を抜けて通されたのは、分厚い扉で隔てられた防音室だった。

「よ、っと。さ、フェイトちゃん、入って」
「――」

 操作盤にキーを通して扉を開かせたエイミィが、フェイトに先に入るように促す。
 フェイトは大分躊躇い――それでも今更だよね、と大分後ろ向きな決意を抱えて部屋の中へと一歩を踏み出した。広い部屋である。防音室、という名の通り、壁や天井には吸音材がふんだんに用いられており、その代わり、部屋の中央には大きな作業代がある。備え付けの機械はあまり目にした覚えの無い類のものだ。
 しかし。

「あ、フェイトちゃん別にそれ関係ないから」
「そ、そうなの……?」

 部屋の中央に、まるでこの部屋の主だと言わんばかりに鎮座するそれらの機器を指差して切り捨てるエイミィに、フェイトは思わずそう問うた。
 うん、とエイミィは頷きながら、部屋に備え付けられた制御卓(コンソール)を叩いて幾つかの窓を空間に映し出す。

「私は単に、防音設備が欲しかっただけだからねー……っと。はいフェイトちゃん、これ持って」
「え? う、うわ、うわわっ」

 ひょいとエイミィが投げて寄越したものを、フェイトは辛うじて受け止める。掌に納まるサイズの、カード状の何かだ。黒いコードがぐるぐると何周分か巻かれており、その先端にはスポンジに包まれた長さ二センチ程の円筒形の何かがある。
 なんだろう、これ。首を傾げながらコードを解くと、カードの上面に見覚えのある模様が見える。簡略化された時空管理局のマークだ。フェイトは掲げるようにそれを持ち上げ、あ、と呟いた。思い出す。以前エイミィに見せて貰った管理局備品目録の中に同じものがあった。
 確か、それは。

「汎用音楽機器(サウンドデバイス)……?」
「そ。管理局の正式採用品だよ、っと。うわー、やっぱクロノ君手持ち多いなぁ。今週中に終わるかなこれ」
「エイミィ?」

 ウィンドウを覗き込みながら何か不吉な言葉を口にしたエイミィは、しかしフェイトの言葉をまるで気にした風も無く更に卓を叩く。
 ふぉん、とフェイトの目前に何も表示されていないウィンドウが展開された。

「よし、準備完了。フェイトちゃん、そっちはー?」
「準備完了って、な、何が?」
「え? だから、システムボイスの録音準備」
「――ちょ、ちょっと待ってエイミィ、何なのそれ」

 きょとん、とした物言いに、フェイトは慌てて疑問をぶつける。初耳にも程があったし、と言うか、

「システムボイスって、その、私が? クロノのデバイスのものを?」
「そうだよ? だってフェイトちゃん、厳しいことを言うけれど、デバイス工学に関しては手付かずでしょ? だったらデバイスを直すなんて出来ないよ」
「それは」
「だ・か・ら。フェイトちゃんは、フェイトちゃんに出来ることをやらなきゃ、ね? ハードやソフトは専門家に任せて、それ以外の所で誠意を見せなきゃ」
「でも……」
「責任。取るんでしょ?」

 にこり、と問われ――
 ……小さく、フェイトは頷いた。
 ぱん、とエイミィが手を叩く。近くにあった椅子に座ると、幾つかの窓を同時起動させながら制御卓(コンソール)を叩き始めた。

「じゃ、始めよっか。そっちの窓の位置は丁度いい? 見える?」
「うん。大丈夫」
「結構結構。じゃ、そっちの窓にテキストを一つずつ表示するから、順番に発音していって貰えるかな」
「うん」
「覚悟してね、フェイトちゃん。結構、量あるから」
「……分かった」
「いい返事だね。デバイスを起動してくれる? もう録音モードになってる筈だから」

 エイミィの言葉に頷き、フェイトはデバイスを立ち上げる。
 ……確かに、と思う。デバイス、特に魔導師が魔法運用に用いるデバイスは、それがインテリジェントかストレージであるかを問わず、酷く複雑で高度な理論と技術に基づく品である。それを、幾ら責任があるからとはいえ、一人で作るだなんて無理な話ではあるのだ。仮に可能だとして、もし意固地に一人で作成を続けたら、どれだけの時間が掛かってしまうと言うのだろうか。
 けれど、だからと言って全てを他人任せにしていいとは思えなくて――ならば。予想外ではあったけれど、こういう形でクロノのデバイス作成に携わるのも、いいのでは無いかと思う。
 元々、S2Uのシステムボイスに宛がわれていたのはリンディの声である。それなら次のデバイスのボイスを担当するのが自分である、というのも存外奇異では無いだろう。以前にエイミィに聞いた話だが、ミッドチルダではデバイスのシステムボイスに親しい相手――家族等の声を用いるのは、ごく当たり前のことであるらしい。
 よし、と覚悟する。頑張ろう、と思った。悪いのは自分だし、その責任を取るためなのだ。少々の恥ずかしさは、この際、無視しよう。

「行くよ、フェイトちゃん。まずは汎用魔法からね」
「うん」

 小さく頷いて。
 フェイトは、(ウィンドウ)に表示された言葉を読み上げ始めた。



 成る程、と思った。
 これは、結構、厳しい。
 録音を始めてから既に数時間が経過している。しかし、終わりは欠片も見えて居なかった。

「……Blaze Cannon」

 淡々と、且つ、分かりやすく。いつも自分がバルディッシュから聞いている音声を再現するように発声を続ける。
 現在進めているカテゴリは砲撃魔法だ。始める前に抱いた、数も少ないし、直ぐに終わるだろう、などという想像は、とっくに瓦解している。クロノ・ハラオウン執務官という義兄のことを、どうやらまだ満足に理解はしていなかったらしい。

「Blast……Assalt……Catapult」

 次から次へと――知らない、見たことも聞いたことも無い魔法の名前が出てくる。これほど手札(カード)を持っていたのか、と思うと背筋にぞくりと冷たいものが走った。実際にクロノが使ったことを見たことが無い以上、これらの魔法は汎用性に欠けるか、或いはごく限られた状況でなければ使われないのかも知れないが、他でもない、その担い手(ユーザ)はクロノである。いくら使用頻度が低い、限りなくゼロに近くさえあるとは言っても、練度が他の魔法に劣るなどということは無いだろう。
 と。

「Magna Blast」

 表示されたテキストが、読み上げた後も消えなかった。それまでは一定調子で次に読むべき魔法の名前が表示されていたのだが、その変化が不意に止まってしまう。
 フェイトが首をかしげてエイミィの方を見ると、そちらでは制御卓(コンソール)に着いてリアルタイムで音声の編集を行っていたエイミィが大きく背を伸ばしていた。首を曲げると、骨の鳴る音がここまで届く。

「エイミィ? どうしたの?」
「ちょっと休憩――と言うより、今日はそろそろ終わりにしようか。そろそろ疲れたでしょ?」
「まだ大丈夫だよ」
「無理して初日から頑張ると途中でばてちゃうよ。まだまだ量はあるからね」
「なら、あと少しだけ」
「……オッケー、なら最後にシステムボイスだけでも終わらせちゃおうか。これなら量が少ないしね」
「ごめんね、エイミィ。お願いできる?」
「まっかせなさーい。行くよー」

 エイミィの操作に合わせ、一度、窓に浮かんでいた文字が綺麗に消えた。数秒の間を空けて、再び文字が映し出される。

「System booted……Circuit drived……」

 フェイトは先ほどまでと同じ調子でそれを読み上げた。一つ一つ、丁寧に。自分の声を録音する、というのはこれが初めての経験だが、数時間も続けていればいい加減コツも掴めようというものだ。
 魔法のそれとは違う、短いながらも明確な意味を示した文章を淡々と読み進め――しかし、次に浮かんだその文章を見て、え、とフェイトは言葉を上げていた。

「え、えーっと……エイミィ?」
「ん? どうしたのフェイトちゃん。さ、早く読んで読んでー」
「け、けどこれって……」
「いいからいいから。さ、早く」

 疑問の声は、卓を操作するエイミィににべも無く撃ち落される。
 フェイトはそれでも、なんでこんなメッセージが必要なんだろうと思いながら、けれどエイミィの無言の催促には抗えず、

「……う」

 どうにか、その文章(メッセージ)を読み上げた。





「"うまく言語化できない"……?」





 なんでこれ急に普通の文章なんだろう。ちらりと脳裏を掠めたそんな真っ当な疑問を、エイミィの言葉が遮った。

「駄目駄目、リテイクだよフェイトちゃん」
「……え? ええ!?」

 リテイク。録り直し。意味は分かるが、その理由が分からない。
 と言うか、エイミィが録り直しの指示をすること自体、これが初めてだった。

「もっと可愛く! それでいて無機質に!!」

 手をぐっと握り締め、なにやら力説するエイミィ。どうしよう。フェイトは思わずそう思い、その瞬間、

「いい!? フェイトちゃん!!」

 ぐりん、と以前なのはの家で見たエクソなんたらとか言うタイトルの映画に出てきた少女並の勢いでエイミィがこちらに顔を向けた。
 ひっ――と息を呑むフェイトに気付いたかどうか。
 エイミィは真面目な瞳で続ける。

「私ね、萌えって大事だと思うの」
「も、萌え……?」
「そう、いわゆる一つの萌えよ萌え。これからは萌えを決して無視できない時代だわ」

 何を主張しているんだろうこの人。と言うか、萌えって何。
 頭の中をぐるぐると廻るそんな疑問を全力でもって無視して、フェイトは一応、エイミィに確認の言葉を向けた。

「え、エイミィ、確かこれデバイス用の録音じゃ……」
「そうよ。だからじゃない! あのクロノ君がデバイスのシステムボイスで悶える姿、見てみたいと思わないの!?」

 それは確かに――と納得しかけた思考を、辛うじて押さえつける。
 ただ、エイミィを止められるかどうか、というのは問答無用のレベルで無理そうだった。

「さ、行くわよフェイトちゃん! 無愛想そうに、けれどもっと可愛くね!」
「……う、"うまく言語化できない"」
「駄目駄目駄目ー! もっとこう、ぐっと来るようによ!」
「え、エイミィ……」


 訳が分からず、最早半泣きになりながらフェイトは姉同然に慕う執務官補佐に視線を向けるが――

「さ、出来るまで何度でも行くわよー」
「…………」

 無駄にスイッチが入ったらしいエイミィに何も言っても無駄と悟り、がくり、と項垂れた。






 余談ではあるが。
 およそ一ヵ月後、ほぼ新調されたデバイスを受け取ったクロノは、その場でエイミィに問いかけたらしい。

「なんでシステムボイスが2パターンあるんだ」
「だってクロノ君、一応人前に立つ時もあるし。通常仕様(ノーマルモード)は必要でしょ?」
「…………で、このもう一つのモードは何だ」

<あのね、あのね……くすん>

「と言うかなんなんだこのボイス」
「待機ボイスだよ。"らぶらぶお兄ちゃんモード"には必須でしょう? 感謝してよね、作成するのに随分と時間掛かったんだから。最後の方で急に仕様変更なんてするから最後まで掛かったし」
「……フェイトが最近妙に憔悴してたのはこのせいか」
「へっへーん。どーよクロノ君。嬉しいでしょ? ドキドキしない? 萌えるでしょでしょ?」
「……とりあえずエイミィ、君減俸な」
「えぇ!? なんでッ!?」
「本気で言ってるのか」

 とかなんとか。



[ 完 ]





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