木洩れ陽喫茶



 電話の音で目が覚めた。

 カーテンから僅かに差し込んでいるのは月の光。今夜は雲も無いようだから、外に出ればきっと綺麗な月が臨めるのだろう。

 私は覚めやらぬ意識のアクセルを踏みながらベッドスタンドのライトを点灯し、やかましく自己主張する電話を手にした。

 こちらが名乗るより早く、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「夜分申し訳ありません、ミストオサカ。時計塔から緊急の要請です」


 その一言で、眠気なんて完全に霧散した。

 私は最低限の情報を受け取り、数十秒の会話を終える。

 情報の成否とか、その正確さについて考えるのはとりあえず後回し。電話の口の声は憎らしいほどに落ち着いていたけれど、そこにある真剣さは汲み取れたからだ。

 それに――――なんか複雑だけど、アイツはこんな嘘をつくような女じゃない。

 私はベッドを抜けようとして、ふと、同衾相手が目を醒ましていたことを知る。

「……凛?」

「あ、起きた? なら急いで準備して。時間無いみたいだから」

 告げなければならないことだけを告げ、ちゃちゃっと服を着る。

 ハンガーのコートに手を掛け、戦闘用の宝石が幾つか詰まったポーチを装着。他細々とした準備を整えると、既に準備を終えていた士郎がドアの手前で立っている。

「士郎は執行部に確認を。私はセイバーを起こしてシャワーを浴びてくるわ」

「分かった」

 こちらの真剣さが伝わったのだろう、士郎は文句も不平も言わず私の指示に従ってくれる。

 その様子があまりに可笑しくて、嬉しかったから、私は忘れていたその言葉を口にした。

「士郎」

「ん? まだ何か――――」

「――――おはよう、一応日付が変わってるから、今日もよろしくね」

 唇を離し、私は身を翻す。向かう先はセイバーの寝室だ。

 しばらく呆然としていた士郎がふと我に帰り、顔を赤くしながら挨拶を返してくるのを確認し、私は緩んだ頬を正しながらセイバーの部屋に足を踏み入れた。















 Fate/stay night after story…

 倫敦遊紀 後編


















夜の帳に覆われたブルームズベリ公園スクウェアで、白鳥のような魔術師が俺たちの到着を待っていた。

「ごきげんよう、ミストオサカ。今宵の無礼、先んじてお詫びいたします」

「いいえ、結構ですわミスルヴィアゼリッタ。私の方でも執行部に確認を取らせていただきました。鉱石科ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト並びに遠坂凛の両名は全力をもって彼の幻想を駆逐すること、との命を受けています」

「そうですか。では、お互い異論は存分にあるのでしょうけれど」

「ええ、今宵ばかりはそれを抜きにして行きましょう」

 言葉を交わし、ルヴィアと凛は同時に頷く。

 と、ルヴィアは凛の左右に控えた俺とセイバーに眉を潜める。

「ですがミストオサカ、この場にシロウを連れてくるとは何をお考えになっているのです」

「あら、心配は不要ですわミスルヴィアゼリッタ。私の弟子ですもの。貴方がお思いになっているより役に立ちますわ」

「いいえ、私はそうは思いません。使い魔セイバーならば私も異論はありませんが、この場にこのような半人前を持ち込んで、盤が崩れたらどのように責任を果たすおつもりですか?」

「……私の弟子に対する心遣い、師の私からも心より感謝いたします。ですがミスルヴィアゼリッタ、その心配は杞憂だと断言させていただきますわ」

 凛はルヴィアの言に僅か頬を緩め、柔らかい、しかし否定を許さぬ声で言う。

 そんな凛の様子に、ルヴィアは苦渋に満ちた顔を返す。

「いまの一言は聞き逃せませんわね。何を根拠に、そのようなことを仰るのです」

「あら――――そんなの、言うまでも無いことだと思いますけれど」

 そうして凛は、俺を見てにこりと笑う。

 本当に。

 文句のつけようもないぐらいに憂いない、それが真実だと信じるが故の微笑。

「セイバーは私の最強の使い魔で、士郎は私の最愛の恋人です。そんな二人が敗れることがあるとでもお思いですか?」

 微塵の冗句も疑いも無く、凛はそう言い切った。















「セイバーは私の最強の使い魔で、士郎は私の最愛の恋人です。そんな二人が敗れることがあるとでもお思いですか?」

 そんなことを、トオサカは言い切った。

 トオサカがシロウに向けている微笑は、心からシロウを信用しているが故のもの。

 そこに理論は無い。何故ならば客観的に見てシロウの実力はトオサカに及ばず、私に及ばず、セイバーに及ばない。

 ならばこの場におけるシロウは完全な足枷ウェイトのはずだ。この状況における一番の正解はシロウをこの場から遠ざけ、抹殺対象には私たち三名であたること。セイバーには盾代わりの接近戦を任せ、その間に私とトオサカで対象を殲滅する。それが唯一の解。最適値のはずだ。

「……何を、そんな、無根拠に」

 なのに。トオサカの言葉には、他のどんな案も地に堕ちようかという自信があった。説得力があった。

 理を無視し、合理性を放棄し、論理性を棄却する。そんな、魔術師としては三流に劣る筈の選択が、何故か正しいと思わされてしまう。

「リン、ルヴィアゼリッタ」

 私が言葉を失っていると、リンの傍らに控えるセイバーが静かな声で口を開いた。その姿は時計塔で見かける清楚な服を着た少女ではなく、白銀の甲冑に身を包んだ青い騎士である。

 その姿を改めて認識し、私は知らず息を吐いていた。

 ――――なるほど。剣の精霊というのも、頷ける。

「議論は後にして、まずは状況の説明をお願いします。私はまだ何も聞いていません」

「あ、そうだったわね。じゃあかいつまんで話すけど、士郎、セイバー、貴方たちも昨日時計塔に運び込まれた宝石のことは知ってるわよね?」

 こくり、と頷く両名。

「あれの表面にはびっしりと抑圧の文字が刻まれていたんだけど、やっぱりあれ、何かの封印に使われていたものらしいのよ。で、今回、それの調査にあたっていた三流魔術師が誤ってルーンを解除してしまい、」

「――――宝石に封じられていた幻想に捕食され、死亡いたしました。一時間ほど前のことです」

 トオサカの言葉を私が引き継ぐ。

 シロウが僅かに息を飲んだのが知れた。

「宝石より開放された幻想は解析にあたっていたその魔術師を捕食したのち、時計塔に残っていた数名の魔術師を相次いで捕食、執行部の攻撃を受け時計塔を脱出いたしました。現在セント・ポール大聖堂方面に向かい逃亡中です。私とミストオサカに与えられた任務は、彼の幻想を逃走予測地点であるここで迎え撃ち、無力化すること。既に執行部隠蔽部隊がこの一角に結界を張っていますわ」

「分かりました」

 頷くセイバー。

 トオサカははしたなく腕を組み、シロウとセイバーを見、

「セイバーは前線で敵に接敵してもらうわ。士郎はそれの援護をお願い」

 だなんて、無茶を口にした。

「ミストオサカ、それはあまりな策ではありませんか?」

 思わず口を挟むと、トオサカは不服そうにこちらを見る。

「あら、何故ですか? 接近戦に長けるセイバーを遊ばせるわけには行きませんし、まして私たちが前線で戦うなど愚を冒すわけにも行きません。私たちは後方からセイバーと士郎の援護。これが最善だと思いますわ」

「だからどうしてそんな――――いいえ、もう結構」

 ダメだ。どれだけ責めたところで、諭したところでトオサカはその意見を変えないだろう。

 だから私は士郎に向き直った。この場に到着してから一言も発することができず、いま難しい顔で中空を睨んでいる半人前を。

「シロウ、この場からお逃げなさい。このような危険なことは私たちだけで十分です」

 私の言葉に一番驚いたのは、トオサカでもセイバーでもなく、それを言われたシロウ当人だった。

 シロウは目を丸くして私を見る。信じられない、とその顔が語っていた。

「分からないのですか? 私たちがこれから合間見えようとしている幻想は、時計塔主席候補二人があたらねばならないほどのモノなのですよ。そんなモノを目の前にして、私は貴方を護りきる自信がありません。最悪、私は貴方を盾にして自分の身を守るでしょう。ですが――――貴方の淹れてくださる紅茶も、貴方の用意してくださるパイも、ケーキも、クッキーも……全て、無くすには惜しいものばかりです。ですから下がりなさい、シロウ。ここは私たちだけで十分です」

 それは――――多分、私の紛れない本心で、上辺だけの他愛無い嘘。

 ああ、もう、何故こんな回りくどい言葉を使わなければならないのか。

 見ればトオサカはとても不愉快そうにこちらを見ているし、セイバーは使い魔としてあるまじきことにそんなトオサカと私を呆れた様子で眺めている。

「ええと」

 そんな二人に気付いているかいないのか、シロウは困ったような顔で、


「心配してくれるのは嬉しいけど、ルヴィア、それはできない」


 そんな馬鹿げたことを、あっさりと言い切った。

「――――」

「いや、危険だってことは十分承知してるんだけど。でもそんなの、ルヴィアたちも同じだろ? なら人手は少しでもあったほうがいいじゃないか」

 シロウの言葉には他意がない。

 この半人前の魔術師は、心から私たちの身を案じ、同じ場所に立とうとしてくれている。

……なんで、そんなことを言うのか。思うのか。実行に、移せるのか。

 人がせっかく――――その、心配、しているのに。逆に心配されては、立つ瀬がないではないか。

「無駄よ、ルヴィアゼリッタ」

 言葉を失った私を見てか、それともそんなことを口走った自分の弟子を見てか。トオサカは呆れた顔で言う。

「士郎はこういったとき、絶対に引かないんだから。説得できるものなら私が説得してるわよ」

「……む。なんかその言い方だと、俺が物凄い頑固者に聞こえるんだけど」

「今更なに言ってるのよアンタ。私がどれだけ言ったって、貴方絶対に方針を代えないじゃない。少しは心配する方の身にもなってよね」

 呆れた様子のトオサカは、それでも顔に笑みを浮かべる。

 なんと表すべきなのか。いまある状況の全てを納得しているような、そんな笑顔。

「――――」

 ああ、なんだ、そういうことなのか。

 つまりシロウの身を案じる度合いは私よりトオサカの方が当然に高くて、

 シロウはそんなトオサカを見て、なおこの場に来ることを決めたのか。

「……もう結構です」

 不思議と。

 不思議と、私の口に笑みが浮かぶ。

「分かりました。ではシロウ、力を貸していただけますか」

「ああ、俺なんかでよければ使ってくれ」

 差し出した手を、シロウは躊躇いながらもしっかりと握り返してくれる。

 そんな私たちを面白く無さそうな顔で見るトオサカ。

 トオサカが口を開こうとしたとき、


「――――リン、何かが近づいてきます」


 セイバーの醒めた一言が、全員の意識を現実に引き戻した。

 私たちはセイバーの視線の先を見る。公園に等しく降りた夜闇の果て、見えることのない暗闇を。

 一律とした闇だった其処に、不意にゆらりとより濃い闇が揺れ、そして、
























 ――――俺たちの前に、夜の闇よりなお昏い幻想が姿を見せた。


 その影はかろうじて人形ヒトガタ。けれどその全高は優に3メートルを超えている。そのうち胴の長さが二メートル以上を占め、足は子供のそれのように短い。両手の長さは左右で異なり、太さも違う。片方は肘下あたりから急に短くなり、ほとんど糸を引いているようにして手首のほうに繋がっている。反対側の腕は異様に長く、手首が地面を抉っている。頭はまるで大きな力でもって押しつぶされたように横に広く――――全体として、黒い電柱とかそのあたりのイメージを覚える。

 ……なんという気配だろう。それを視界に収めただけで、吐気にも似た不快感を覚える。アレが世界に放っている、圧倒的な量の魔力。現世を犯し侵食するそれに、身体が激しく嫌悪感を覚えている。

 それはやけに緩慢な動作で視界に入ると、くるり、とこちらに向きを変えた。

「リン、あれですか」

「ええ、そうみたいね。……まったく、なんて魔力よ。驚きを通り越して呆れるわ」

 セイバーの確認に、凛が頷く。

「ルヴィアゼリッタ、貴方、あれの正体が分かって?」

「――――いいえ。残念ですがミストオサカ、私には皆目検討も着きません」

 ルヴィアゼリッタは幻想から視線をそらぬまま、静かに首を振る。

 ヒトガタはこちらに視線を、いや、全身真っ黒で何処に眼があるのかなんて分からないけど、とにかく意識をこちらに向けたまま微動だにしない。

 おそらく、俺たちが何なのか見極めているのだろう。


 即ち。食料なのか、障害なのか。


 静かにセイバーが構えを取った。見えぬ刃、見えぬ刀身が真っ直ぐヒトガタに向けられる。

「行きます。三人はもう少し下がっていてください」

 小さく宣言し、セイバーは駆け出そうとして、














「――――避けろセイバー!」







 俺の叫びに反応し、横に飛び退いた。

 それを視界の端で確認しながら、俺は凛とルヴィアゼリッタの身体を抱きしめて力の限り横に飛ぶ。

「きゃ――――」

 凛かルヴィアか、それとも両方か。小さな悲鳴が耳に届くが、そんなことを気にしている余裕は無い。

 俺とセイバーがそれぞれ横に飛び、ヒトガタの真正面から誰もいなくなったその直後。

 ざわりとヒトガタの腹が波打ち、刹那、其処からピンポン球サイズの黒球が無数に放たれ、俺たちが居た空間を穿った。地面に激突したそれは何ら破壊を生むことも無く霧散する。尤も、だからといってそれが無害であるはずが無いだろう。

 ヒトガタは獲物を逃したことを悟ると、ゆっくりと回頭しその身体を再び俺たちに向け、


「――――はぁっ!」


 一呼吸で距離を詰めていたセイバーの一撃を受け、ざらりと崩れた。

 見えぬ剣閃が遺した軌跡は逆袈裟。ヒトガタはセイバーの剣にばっさりと切られ、

「……ッ!」

 切られたまま、鞭のように長い腕をセイバーに振るった。セイバーはその一撃を剣の腹で受け、衝撃を利用し一歩を飛び退く。セイバーが振るった一撃は確かに深々とヒトガタを切り裂いていたが、そんな斬撃、何の意味も無かったらしい。

切り裂かれた傷のその奥に覗くのは表面と同じ闇で、ヒトガタは何ら被害を追った様子が無い。それどころかヒトガタはセイバーが退いたその隙に大きく蠢くと、切り離されそうになった部分を自身に融解、一瞬で再構築する。その無茶具合は、その造型の出来も含めて粘土細工を連想させる。

「お離しなさい、シロウ!」

 ルヴィアゼリッタの叱咤が飛ぶ。俺は二人の腰に廻していた手を慌てて離した。ルヴィアは何故か僅か赤くなった顔でこちらを一瞥したあと、右腕をヒトガタに向ける。その先にはヒトガタと、その攻撃を弾き、或いは流しながら反撃を返すセイバーの姿。

 俺がその動作を止めるより早く、ルヴィアの腕に有機的な魔術刻印が浮き上がり、その口が呪文を紡ぎ魔術を行使する。手の先から放たれた青い光はヒトガタに向かう最中で凍りの槍と化し、セイバーの傍らを通り黒い闇に突き刺さった。


 しかし。


「凛、ルヴィア、二人とも下がってくれ」

 愕然とするルヴィアと、同じように驚愕を覚えている凛に俺は告げた。

「アレは、二人には無理だ」

 セイバーと対峙するヒトガタの胸の辺りに、氷の槍が突き刺さっている。

 だがその槍は、噛み砕かれるような音を残しながら人影に吸い込まれていった。

 吸収したのだろう、と何故か知れる。ならばいまのは、言葉の通り吸収なのだろう。

「……ちょっと士郎、それどういう意味よ」

 憮然とした顔で、凛。俺はヒトガタから視線を逸らさぬまま、声の震えを押し殺し答えた。

「分からないのか? アレ、魔力の塊そのものじゃないか」

「魔力の塊? ――――いいえシロウ、それはありえませんわ。あの幻想はいまこうして我々を敵視しています。ただの波動である魔力に、そんなことが可能だとでも思いますの?」

「そんなの分かってる。けど、現にアレはそういうものなんだ」

「ですから、何を根拠に――――」

 俺の意見に異論を挟むルヴィアを、凛が制した。

 凛は苦りきった顔で俺を見、ついでその視線を昏いヒトガタと、それに斬りかかるセイバーに向ける。

「……そうね、確かにアレは魔力の塊みたい。信じられないけど」

「ミストオサカ、貴方まで何を」

「根拠ならあるわよ。さっきから私の魔力がどんどん吸い取られているもの」

「え?」

 一瞬きょとんとしたルヴィアは、すぐに魔術師の顔に戻り、掠れた声を上げた。

「セイバーを通じてあの幻想に吸い取られていると、そう仰るのですか?」

「ええ、そういうことよルヴィアゼリッタ。それが私の根拠だけど――――たぶんそんなのは関係無しに、士郎がそう解析したのならそれが真実のはずよ。こと解析にかけては士郎の横に出る魔術師なんて居ないもの」

「どういう――――ことですか、シロウ」

「……俺、魔術師として半人前だから、一つの魔術しか使えないんだ。でも俺の属性がそれに特化をしてるんだよ。その関係で、モノの本質とか、構造とかを解析トレースするのは得意なんだ。

アレは多分、トラップとかそのあたりに類する品だと思う。宝石の中に魔術を封じて、それにある種の方向性を加える。あとは宝石そのものに抑圧の呪を重ね掛けして敵陣に放り込んでおけば――――何らかの衝撃を契機に魔力が開放され、方向性を持った魔力が周囲を蹂躙する。昨日運び込まれたっていう宝石は、そんな感じのものだと思う」

「……なるほどね。魔術がまだ魔法だった時代の地雷代わりってワケ、か。それなら確かにアレは魔力の塊でしょうし、私の魔力が吸い取られるのも納得がいくわ。水人形にどれだけ水流をぶつけても意味が無いものね」

「ああ、そう言うことだ。だからアレを駆逐するには、アレを構成する魔力が全部気化するのを待つか、それとも、」

「吸収を許さない量の魔力をぶつけるか、ね。ポリタンクにプール一杯の水を詰めればポリタンクは割れる、そういうことでしょう?」

「ああ、そういうことだ。問題はアイツのキャパシティが正直底が知れないってことだな」

「――――そうね。そのくらい分かるわ。アレ、一人の魔術師が一生を通して使うぐらいの魔力なら簡単に取り込めそうだもの」

「だから、現実的な手段としてはセイバーに宝具を使ってもらうしかないんだけど、」

 視線で問うと、凛は小さく首を横に振った。

 その視線の先には、先の場所から退くことも無く幻想と切りあう、否、幻想の攻撃を全て回避しつづける青い騎士の姿。

 幻想の腕は左右で長さが違い、またその形も歪なため攻撃手段には向かないと思ったが、そんなのは俺の見当違いだったらしい。アレはただ人間の形を、不細工ながらにも真似ているだけで、その本質は魔力である。魔力は力の流れであり、決して形を持たず――――故に、あの姿はただの擬態。つまり頭は頭でなく腕は腕でなく、腹は腹でなく足は足でないのだ。

 筋肉も無ければ骨格も無い。そも形すらない。

蛇のようにしなって襲い掛かってくる腕を回避すれば、交わした腕から突然錐のようなものが飛び出し追撃される光景など、先ほどから何度も目にしている。

 ただ、それでも流石と言うべきか、セイバーはいまだ一撃も喰らっていない。上下左右、同時に或いは連続して襲い繰るありとあらゆる種類の攻撃を、ただ一心に回避を続けている。他でもない、俺たちの盾であるために。俺たちがアレを妥当する手段を見つけ出すまでの時間稼ぎとして、セイバーは自らそう行動している。

 そんなセイバーを見ながら、凛は言う。

「無理よ。いまの私の魔力じゃあ、宝具なんて使えない。戦闘活動をさせているだけで、正直厳しいんだもの」

「だよな。なら――――俺が、用意する」

「……他に無いものね、方法。いいわ、やりなさい。但し死んだら地獄にまで行って連れ戻すから、覚悟しなさいよ?」

 なんだか冗談には聞こえないことを言う凛。

 いや、というか、俺地獄行き決定なのか。既に。

 俺はそんな凛に苦笑しながら呼吸を落ち着かせ、静かに目を閉じた。

 世界への知覚を全てカット、瞼の裏に浮かぶ剣を更に正確に精密に丹精に想像する。


 青い騎士が使うその剣。

 金色のその剣を、いま本物が目の前にありながら、それを凌駕する複製として投影する――――


投影開始トレースオン


 がちりと、撃鉄が堕ちるイメージ。

 そんな感慨を抱きながら、俺は自己の魔術に没頭した。



















「トレース・オン」

 瞳を閉じたシロウは短い言葉を紡ぎ、その腕を自らの胸に当てた。

 その行為にどれほどの意味があるのか疑問ではあるけれど――――正直、私は何も言えないでいた。

「…………」

 呆然と。言葉すらなく、シロウを見てしまう。

 視界に焼きついて離れないのは、先ほどのシロウの瞳。

 真っ直ぐな、そう、あらゆる隠匿を許さぬ光明の如き鋭さと冷たさを湛えた、あまりにも真っ直ぐすぎる魔術師の瞳。

 ああ、トオサカの言葉にも頷ける。この青年がそうだと断言したのなら、それは因果を反転させてまで真実であるはずだ。

 物事の解析に長けているとか、これはその程度の話ではない。

 正真正銘、特化と評するに値する、才能だ。

「――――」

 シロウの口端が僅か苦渋に歪む。額には驚くほどの脂汗。

 それはおそらく、酷使されている肉体が上げる悲鳴。魔術回路という、本来あらざるべき部分を使うことによる反動だ。

 シロウはそんな、見ているのが痛々しくなるような魔術回路を作動させ、そして、

「――――嘘」

 私は思わず呟いていた。

 だって、ほら、シロウの手には。




 夜闇に浮かび上がる、金色の西洋剣が――――





















 そうして、投影は完了した。

「く……ぁ」

 ずきりずきりと脳裏が痛む。俺は手にずしりとした質感を感じながら、それを補って余りある頭痛を感じていた。

 だがいまは、そんな身体が上げる警告すらも無視し、ただ、


「受け取れセイバー―――――!」


 全力でもって、投影したばかりの宝剣を投擲した。

 回転しながら飛ぶ剣は真っ直ぐセイバーに迫り、騎士の手に、しかと渡る。

「――――感謝します」

 セイバーはその剣を構え、僅か一歩後方に下がる。

 その剣がどれほどの脅威なのかは知れるのか、それまで意思らしいものを微塵もうかがわせなかった幻想が、小さくたじろいだようだった。それは本当に一瞬の、隙とも言えないほどの躊躇。如何に方向性を与えられただけの流動だとは言え、この世に生まれたモノとして当然兼ね揃えた危険意識という名の生存本能だったのかもしれない。

 だが、その間隙は剣の精霊の前には致命的すぎて、

「――――はぁ!」

 短い気合と共に振り下ろされた刀身が、夜の闇に馴れた俺たちには眩すぎる光を纏った刀身が幻想の身体に深々と潜り込み、爆発的な光を放った。

刀身から放たれた光は須らく幻想に吸い込まれるようにして闇に消え、やがて溢れた。幻想は身体の中に風船でも埋め込まれたかのように身体の各所が歪に膨張し、爆ぜる。無数の飛沫になり飛び散ったその欠片は、方向性を失ったか、それとも単体として活動できないほどに細かくなったのか、雪が解けるようにして世界に気化した。

そんな中、くるりくるりと、太い腕が肘の先あたりから分断され空を舞っている。

「――――呆れた。分かってはいたけど、なんて威力よ」

 凛の不平が聞こえる。

「でも、うまく行ったから良しとしましょうか、うん。ところで士郎、どこかおかしいところとか、変なところとか無い?」

「……」

 心配そうにこちらを覗きこんだ凛に、静かに首を振る。

 いまは何も答えられない。答えるほどの余裕が無い。

「あ、は……が」

 頭痛が。

 ずきんずきんと痛む頭が、あまりに荒々しくてどうにかなりそうだ。

「シロウ、大丈夫ですか?」

 そんな俺を気遣ってか、沈黙していたルヴィアもそんなことを聞いて来る。

 俺は大丈夫だと手を振ろうとして、









 空を舞う闇の手首に、視線が釘付けになった。










「――――」

 ドクンと心臓が跳ねる。

 なんだ。なんだ、なんだ、なんだ、なんだなんだなんだなんだなんだなんだなんだ……!?

 意識が叫んでいる、理性が警告を上げている。衛宮士郎は何か、決定的なことを見逃していると切々と訴えている。

 手首――――手首だ。ただの手首。

 辛うじて形を保っている手首が、いまくるりくるりとこちらに向きを変え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・――――

「……!」

 そうだ、思い出した。

 アレは、あの幻想はあくまで方向性を持っただけの魔力の塊にすぎず、それが人の形を保っていたのは、おそらくそう設定されていただけだから。アレは結局のところ生物ではなく、ただ現世に関与するほどに濃密な力の塊にすぎず、詰まるところ生死とは無縁の、生死と呼ぶにはあまりに不都合な生死を持つ存在だ。

 だから、つまり。

 アレの頭は頭でなく腕は腕でなく、腹は腹でなく足は足でなく――――同じように、手首がただの手首であるはずが無い……!

「ルヴィ……!」

 名を呼ぼうとしたが、遅い。

 回転していた手首はぴたりと回転を止め、定められた方向性に従いながら新たな獲物を模索し、俺を気遣い一瞬注意の欠けたルヴィアに目をつけた。

 手首がぞぞりと形を崩し、最初に俺たちに向かって放たれたような純粋すぎる魔力の塊がルヴィアを狙う。

 名を呼んだのでは間に合わず、抱えて逃げるには遅すぎて。

 それに気付いた凛が身を捩るのが見えて。














 だから俺には、これしかなかった。


















「――――投影トレース開始オン




















 求めるのは壁。どんな攻撃もどんな最悪もどんな責め苦もただ防ぐ最高の盾。

 ああ、俺はそれを見たはずだ。俺がセイバーと出会い凛と親しくなった聖杯戦争、その終わりに他でもないアーチャーエミヤシロウが展開したそれを、しかと目の当たりにしているじゃないか。

 本物だとか、偽物だとか。そんな事実はこの際関係ない。

 何より俺が作り出した幻想が、本物オリジナルに劣るなどという事態そのものが有り得ない……!

 ぐらりと揺れた視界に、一瞬、あの剣の丘が浮かぶ。

 だから俺は、そこから一つの盾を検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索発見し、













「“熾天覆うロー――――”」



















 遅きに失し、今更背後からの攻撃に気付いたルヴィアを守るように手を掲げ、




















「“七つの円環アイアス――――!!”」


















 花弁による盾を展開し、それが魔力の砲撃をしかと防ぎ、残った手首が音も無く気化するのを最後まで見届け、







































 ―――――衛宮士郎の意識は闇に落ちた。






























 目覚し時計の音で目が覚めた。

 日本にいた頃はとうとうそんな物のお世話になったことはなかったが、こちらに渡って以来、主に凛の部屋で寝るとき、その音で眼を覚ますことが多い。元々の凛の起床時間と俺のそれを比べると俺の方が遥かに早く、俺は凛の目覚し時計が鳴るより早く目を覚ましていたのだが、いつの間にか凛は起床時間を俺のそれに合わせようとしていたらしい。

 理由は、なんでも俺に寝顔を見られたくないからだとか。

 俺が先に起きれば、俺はいつでも凛の寝顔を存分愛でることができて、しかしそれが凛にはお気に召さなかったらしい。意地でもその時間に起きると言い、目覚し時計の設定を変更した。

 だから俺は、日本にいた頃より少しだけ早く眼を覚ますようになった。

 起きてまずすることは、何よりも目覚ましを鳴る前に止めること。ぐっすりと眠っている凛を起こすのは気が引けるし、なにより、凛の寝顔を見るのは数少ない俺の楽しみの一つになっているのだ。

「……って、なんでそんなことを考えなきゃいけないんだ俺」

 寝起きだからか、それともそれ以外の理由があるのか。

 身体を起こしながら呟くと、ずきん、と頭に痛みが走った。覚えのある痛みだ。例えば、そう、無茶な魔術を行使したときのリバウンドのような――――


「――――あ」


 思い、出した。眠りに落ちる前の最後の記憶。

 俺は慌てて周囲を見渡した。見覚えのある俺の部屋。別段変わったところは無く、この頭痛さえ除けば身体のほうにも異常はない。

 二三度手を握ったり開いたりを繰り返したあと、身体に本当に異常がないことを確認し、俺は部屋を出た。

 人の気配がするリビングに向かうと、そこには、

「あ、やっと起きた。いくら回路を使いすぎたからって、寝すぎよ士郎」

「起きましたか、シロウ。無事で何よりです」

 だなんて、らしいといえばこれ以上なくらしい挨拶と共に俺を気遣ってくれる凛とセイバー、そして、

「ご無事ですか、シロウ?」

 なんんて言いながら、優雅に紅茶を嗜むルヴィアゼリッタの姿があった。

「え? あれ、えーと」

 事態が掴めない。ここは紛れもなく凛の工房のリビングで、ルヴィアが使っているカップは来客用の物だ。凛とセイバーはそんなルヴィアを気にも止めていない様子だが、それでもやはり気になるのか、時折ちらりちらりとルヴィアを盗み見ている。

 その。物凄く、迷惑そうな瞳で。

「ええと……何がどうなってるんだ?」

「別に。どうもなってないわよ。ただルヴィアゼリッタが貴方にお礼を言いたいんですって」

 何が癪に障るのか、凛は不機嫌さを隠しもしない様子で言う。

 そんな凛を見てか、はあ、とため息を吐くセイバー。

「シロウ、結論から言いますが、昨夜の幻想は無事殲滅されました。こちらの被害は、シロウ、貴方が急激な魔力の消費と魔術回路の酷使によって昏睡した以外に被害はありません」

「……ちょっと待て。俺、昏睡してたのか?」

「ええ。しっかりと」

 真顔で頷くセイバー。セイバーは冗談を言うようなヤツじゃないからそれは本当なのだろう、けれど。

「昏睡って……なんか洒落にならない気がするんだが」

「当たり前でしょうが!」

 呟いた俺に、がー、と怒鳴るあかいあくま。

「確かに“約束された勝利の剣エクスカリバー”を投影しろとは言ったけど、“熾天覆う七つの円環ロー・アイアス”まで投影しろなんて言ってないじゃない! まったく、あんな短時間に二度もサーヴァントの宝具を投影するだなんて、貴方正気!?」

「いや、でも、そうしないとルヴィアが危なかったし」

「――――ッ! このバカ! いいわよもう、勝手にしなさい!」

 だん、と机に手をついて、どかっと自分の椅子に座る凛。

 ルヴィアはその姿を見て軽く微笑むと、その視線を俺に向けた。

「まずはお礼を言わせて戴きますわ。シロウ、自分の身を省みることもなく私の為に尽力してくださったこと、心より感謝いたします。貴方の最後の魔術が無ければ、この身がどうなっていたのか想像もつきません」

「あ、いや――――多分、俺がどうにかしなくても凛がどうにかしてたと思う」

「な、ちょっといきなり何言ってるのよ!」

 傍観を決め込もうとしていた凛が、俺の言葉で再び場に加わった。

「だっておまえ、ルヴィアを突き飛ばそうとしてたじゃないか」

「……ッ!」

 意識が途絶える、その間際。いや、正しくは“熾天覆う七つの円環ほうぐ”を投影しようと決意したのは、背後から迫る弾幕に気付かぬルヴィアを、凛が突き飛ばしてまで助けようとしていたからだ。

 確かにそれならルヴィアは助かるだろうけれど、ルヴィアを突き飛ばした凛が撃たれることになる。

 それは――――そんな事態は、なにがあっても絶対に嫌だから、俺は盾を投影するしかなかったのだ。

「ええ、そうですわね。私もそれは承知しています」

 凛を見て、静かな笑みを浮かべるルヴィア。

「ミストオサカ、貴方にも感謝をさせていただきますわ」

「……別にいいわよ、そんなの。お互い柄じゃないでしょう」

 かすかに顔を赤くしてそっぽを向く凛。どうやらルヴィアの前で淑然足ろうとするのは止めたのか、その振る舞いは俺が良く知る凛のものだ。

 ルヴィアはそんな凛にいま一度微笑を浮かべ、またしても俺の方を見る。

「そしてシロウ――――申し訳ありません。私は、貴方を見くびっていました」

「ん? いや、見くびってなんかないと思うぞ。俺が半人前だってのはどうしようもない事実だし、それに、」

「いいえ。固有結界リアリティ・マーブルを身に付けた魔術師がどうして半人前なのです」

 俺の言葉を遮り、そんなことを言うルヴィア。

 って、なんでルヴィアが固有結界それのことを……!?

 考えれば、いや、考えなくても、それを話す人間など一人しかいない。

 見れば凛は文句を許さぬ目でこちらを見ている。けれど、問わないわけにもいかない。

「凛、喋ったのか?」

「ええ。アレだけのことをやったんだもの、隠しても無駄でしょう」

「ご心配なく、シロウ。私は貴方を協会に報告するつもりなどありません。報告すれば貴方は間違いなく封印指定を受けるでしょうけれど――――そんな事態は、私にとって不快でしかありませんから」

「……?」

 協会に対して黙秘してくれる、というのはありがたい。

ありがたいん、だけど。

「ルヴィア、不快ってどういうことだ?」

「ご自由にお取りください。けれど、シロウが封印指定を受けたなら、貴方はトオサカと共に倫敦を去るのでしょう?」

「当たり前じゃない。こいつ一人で協会から逃げれるとも思えないし、それに士郎を一人にだなんて、絶対、させるもんですか」

 答えたのは俺でなく凛。

 その答えに、ルヴィアは微笑みながら頷く。

「ええ、そうでしょうね。そう言うと思いましたわ、トオサカ。ですがそれは、つまり――――私が報告しない限り、貴方はここに留まるということでしょう?」

 優雅にそんなことを言うルヴィアゼリッタ。

 ……でも、何故だろう。

 一瞬、ルヴィアの微笑があかいあくまのそれに見えたのは。

「でしたら、その間はまだ私にも機会があるということですし、利害は一致します」

「……」

 なんか不可解な言葉を呟くルヴィア。そしてそんなルヴィアを半眼で睨む凛。

 ルヴィアは紅茶のカップをソーサーに戻すと、最高に晴れやかな、一切の憂いを許さぬ笑顔を浮かべる。

「ところでシロウ、お食事はまだなのですか?」

「……は?」

「私たち、昨夜からいままで、貴方が起きるのをずっと待っていましたの。ならそれに応えるのが殿方の役目ではなくて?」

「……ええと」

「ちょっとルヴィアゼリッタ、アンタなに勝手なこと言ってるのよ」

「あらトオサカ、貴方の工房では客人に対するもてなしすらありませんの?」

「――――ッ! ……ええ、そうねルヴィアゼリッタ、私が無作法だったわ」

 言って立ち上がる凛。そのままずかずかと俺に近寄り、俺の首根っこを背後からむんずと掴んでくれた。

「ほら、貴方も来るのよ、士郎。手伝ってあげるから、あのお嬢様の価値観を崩壊させるぐらい美味しい朝食を作ってあげましょう」

「いや、それは構わないけど、そのくらい俺一人で、」

「い、い、か、ら! 手伝わせなさい!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る凛。

 その迫力はあまりにあれで――――怖いといえば、怖い。

 簡単に言えば、変なこと言ったらすぐに泣き出してしまいそうで。

 凛は俺の手を引き、ずかずかとキッチンに向かう。

 道中、

「絶対、ルヴィアゼリッタと二人っきりになんてさせないから……!」

 なんていう小さな呟きが耳に届いた。

 ……どうでもいいけど、凛。

 おまえ、セイバーの存在完全に忘れてるだろ。




 シロウを強引にキッチンに連れ込むトオサカの背を見送ったあと、私はセイバーに顔を向けた。

 セイバーは呆れたような、それでもどこか楽しげな、静かな微笑を浮かべている。

「どうかなさいましたか、セイバー?」

「いいえ。……ルヴィアゼリッタ、先に言っておきますが」

「あら、なんでしょうか?」

 セイバーは僅かに微笑んだまま、軽く首を横に振る。

「私は、リンとシロウの味方です」

「その程度のこと、先刻承知しております。私を侮らないようお願いできますか?」

「――――そうですね。いまのは失言でした。許していただきたい」

「ええ、構いませんわ。それに、多少の障害があったほうが……私とトオサカには、相応しいと思いません?」

「……驚きました。あなたたちは、本当に良く似ている」

 ……それは、どういうことだろう。

 私とトオサカが似ているとでも言うのだろうか。

「――――」

 ああ、私もそれには賛成だ。できれば否定したかったのだけれど、昨日といい昨夜といい、ここまで現実を突きつけられては頷くしかない。

 私とトオサカは本当に似た者同士で――――どうやら同じ殿方に惚れてしまったらしい。

 しかも私が心奪われ、トオサカが熱を上げる殿方シロウは本当に魅力的で――――ここで引き下がったのならば、自分の気持ちを間違いと笑うのならば、それこそエーデルフェルトの名に泥を塗るようなものだと悟ってしまった。

 まあ、シロウは既にトオサカの恋人という位置にあり、私は圧倒的な後発なのだけれど――――人の気持ちなんて移ろいやすいもの。それは諦める要因ではない。

「……私、思ったよりはしたなかったようですわね」

 人の男を奪う。けれどそれは、決して寝取るという意味ではない。

 私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの名に掛けて、真正面からシロウを振り向かせるとしよう。

「いいえ」

 不意に、セイバーがそんなことを言った。

「貴方は、決してはしたなくなどありません――――立派な、淑女レディです」

 どうやら先ほどの呟きが聞こえていたらしい。

 セイバーは真正面から私の瞳を見据え、ふっと、柔らかく微笑んだ。

 その動作は剣の精霊という立場に相応しいほど気高く、可憐だ。

 だから、私は、

「あら、そんなこと。先刻承知しております」

 なんて言葉を、心からの微笑で返して差し上げた。














 キッチンに向かう廊下を、凛は俺の手を握ったままずんずんと歩いていく。

「ちょ、ちょっと待て凛!」

「何よ!」

 声を掛けるとぴたりと足を止め、くるりとこちらを振り向く凛。

 その顔は相変わらず真っ赤で、って、

「ええと……俺、何か気に障ること言ったか?」

いまにも泣き出さんばかりに瞳を潤ませた凛を見て、そんなことを尋ねてしまう。

凛は物凄く不服そうな、拗ねた顔で俺を見たあと、

「いい? 士郎、貴方は私の弟子で、恋人で、私だけのモノなんだから。分かってる?」

 なんてことを口にした。

 ……何を言ってるんだろう、凛は。


「当たり前だろ? 今更何を言ってるんだ?」


「――――」

 ああ、そう。凛の台詞は本当に今更すぎる事実の確認だ。

 俺は本当に凛に惚れていて、凛以外目に入らない。

 だから――――そんなに心配、しないで欲しいのだけど。

「……♪」

 俺の返事はお気に召したのか、凛は輝くような笑みで身を翻した。

 さっきまでの我敵陣ニ進行セリみたいな歩みでない、なんかスキップでも始めそうな足運びでキッチンに向かう。

 その背中は本当に幸せそうで、さっきまでの不機嫌なんて一欠片も残っていない。

 その移ろい気。泣いていたかと思えば怒り、拗ねていたかと思うと微笑む。

 凛の魅力は、まさにそれだろう。

 だから俺は、口の端が自然に笑みを刻むのを自覚しながら、凛に手を引かれるままキッチンに向かった。
























 ――――さて。

     凛と、セイバーと、ルヴィアゼリッタ。

 三人が全員驚くような、飛び切り美味しい朝食を作るとしましょうか――――





【完】