木洩れ陽喫茶



 ――――そうして、俺たちは冬木に舞い戻った。















 Fate/stay night after story...

 Lohengrin 中編

















 空港から電車で移動し、新都に到着したのが夜の八時過ぎ。

 世界は既に薄暗く、空には星明りさえ見て取れる。駅前には夜の喧騒が広がり、無機質過ぎるビルの林が夜を切り裂き広がっている。

 過去と現代、自然と人工が融和した倫敦と比べると、笑いたくなるほど味気ないその街並み。

 ただ、それでも。

「懐かしいわね」

 同じように街並みに視線を馳せていた凛が、ぽつりとそう言った。

「そうだな。まるまる一年ぶり……か?」

「そうですね」

 俺の確認に頷いたのはセイバー。

 セイバーは俺たちと同じように、或いは俺たちよりなお懐かしむように新都の街並みを臨んでいる。

「私がこの街を離れたのは二度目ですが……いいえ、だからこそ懐かしいです」

 セイバーの表情が、ふと緩む。

 ……ああ、そういうことか。

 セイバーがこの街を最初に訪れたのは、十二年前の聖杯戦争の折り。

 戦争が終わり、サーヴァントであったセイバーはこの街を去って――――二年前、俺に再び呼び出されたのだ。

 そのときは十年の空白。

 そして今回は、一年の離脱。

 その長さも意味合いもまるで違うけれど、行動としては同じこと。

 本来二度と同じ場所に呼び出されることの無いサーヴァントというものだけに、セイバーの抱く感慨は相当なものなのだろう。










「ところで、シロウ」

 静かに物思いに耽っていた俺に、出国時にはいなかった人物が何処か不満げな声を掛けてきた。

「これから何処に向かうのですか?」


 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 手荷物の一つもなく俺たちの帰国に同行し、挙句倫敦出発の直前に日本での滞在を表明した一流魔術師。ちなみにその容姿は今更言うまでもなく流麗で、その装いは煌びやかながら過度の自己主張もなく、あくまで服という領域に自らを置いている。

 また、凛とセイバーの容姿や身なりについてなど、それこそ今更、述べるまでもないだろう。

 はっきり“美人”と称してよい女性が、俺の周りに三人ほど佇んでいる。

 つまり、何が言いたいのかといえば。

 結構、周りからの視線が痛かったりする。主に男。


「一応俺の家かな。だろ? 凛」

「ええ、そうね。私の家はこんな大人数を迎えるように出来てないし――――桜たちにはもう連絡したんでしょう?」

「ああ、こっちの空港でしておいた。迎えに来てくれるってさ」

 俺が言い終わるか否かのうちに、見覚えるのある姿が二つ、駅前の人並を掻き分けて俺たちの前に姿を現した。

「よ。三人とも、久しぶりだな」

「久しいな、衛宮。会えて嬉しいぞ」

 二人は笑み浮かべながらそんな言葉で俺たちを迎える。

 美綴と一成。

 なんだかいろいろと不思議な組み合わせだった。

「……? どうしたんだい衛宮。首を捻って」

「いや、なんで美綴と一成が迎えにくるのかなって。俺は桜と藤ねえに連絡したはずなんだが」

 はてな、と首を傾げる。電話で話した相手は間違いなく藤ねえと桜だ。間違ってもこの二人には連絡していないはず。まあ、なんにせよ帰国したら連絡はつけようと思ってはいたのだけれど。

 俺の疑問に、一成が何処か嘆息交じりに答える。

「俺と美綴は藤村先生の代理だ。……それで、衛宮には少し悲しい報せがある」

「な、なんだ?」

「うむ。おまえが渡英している合間に、藤村先生があの家を秘密基地代わりにしてな。いま間桐兄妹と藤村組の方々が後始末・・・をしている。その為、あの二人は出張って来れず、俺たちに急遽お鉢が回ってきたという筋書きだ」

 はぁ、と本当に疲れたように息を吐く一成。

 ああ、なんか目に浮かぶな。何がって、長い間留守にした衛宮邸に入り浸り、気が付けば家全体が自分の部屋であるかのように錯覚して、縦横無尽に手を加える藤ねえとか。その片付けに付き合わされる藤村組の人たちとか。

 ……あとでそれとなく労っておくとしよう。うん。

「ところで衛宮、ちょっと来い」

 俺が一人頷いていると、一成は不意にそう言い、俺の腕を掴んで歩き出した。

「と、ととっ?」

「衛宮。あの御仁は誰だ」

 集団から数歩はなれた距離。

 一成は俺の肩越しにその御仁とやらを見ながら、そんなことを尋ねてくる。

 無論、この場合の一成の言う御仁なんて一人しか居ない。

 何処か醒めた眼で――――そう、魔術師としての眼でこちらを、正確には一成を“観察”している金髪の女性。

「彼女はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。向こうでの俺たちの知り合いだよ」

「ふむ」

 限りなく簡略に説明すると、一成は小さく頷き、

「衛宮、悪いことは言わん。今すぐあの御仁から縁を切れ」

 だなんて、極々当然とばかりにそんなことを言ってのけた。

 あまりのことに呆然としてしまう俺。

「……は? いきなりどうしたんだよ、一成」

「ええい、どうもこうもあるものか。あの御仁、遠坂の同類ではないか。遠坂などという女狐だけでも手におえんというのに、負担を増やしてどうしようと言うのだ、おまえは」

 忌々しげに言い捨てる一成。その視線は明らかに俺を通り抜けて、背後のルヴィアを、或いは凛に向けられている。

 ……まあ、一成が凛を天敵として認識しているのは知っていたけれど、まさかそれがルヴィアにも適用されるとは思わなかった。いや、でも当然なのか? 二人とも魔術師だし、それを差し置いても結構似た者同士だし。

 そう考えると、一成の人間観察力は絶賛に値するわけだけど。

「悪い。それはできない、一成」

 俺はきっぱりと言い切った。

「向こうで延々御世話になってたし、今更他人のふりなんて出来ない」

「……はぁ。まったく、衛宮は人の忠告を聞かんな」

 処置なし、とばかりにため息を吐く一成。

「よく言われる」

「む。ならば少しは改善の兆しを見せてもよさそうなものだがな。まあ、よしとしよう。今更どれほど言ったところで馬耳東風だろう。なんにせよ、変わっていないようで安心したぞ」

 地味に酷いことを言いながら、一成は手を差し出してきた。

 俺は躊躇うことなくそれを握り返し、軽く上下に振る。


「しかし……」


 再開の握手を解いたあと、本当に不服そうに、一成は言う。


「三人で出国したときも不謹慎に感じたが、まさか一人増えて帰ってくるとは思わなかったぞ、衛宮」

「――――」
























 ……ごめん一成。

   実は、凛のお腹にもう一人いる。




















「……? どうした、衛宮」

「あ、いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 ぶんぶんぶん、と首を横に振る。

 一成は不可解そうに首をかしげていたが、まあよかろう、と言って歩き出した。

 そのあとに続いて俺も歩き出し、みんなの元に戻る。

「士郎、何を話してたの?」

「い、いや、特にこれといって。なあ一成?」

「うむ。毎度の衛宮に対する忠告だ。今更言うまでもあるまい」

 口にするのも飽きた、と言わんばかりの一成。

 凛はそう、とこれまたなんでもないように聞き流す。

「じゃあそろそろ行くとしましょうか。いい加減間桐たちの支度も終わってるでしょうし」

 二人の様子を笑いながら、美綴がそう切り出した。なんの屈託も無いその笑みは、日本を発つときに俺たちに向けられたものとまったく同じもの。

 そんな美綴と、考えてみれば渡英前とまるで変わらぬ忠告をしてきた一成に自然と苦笑しながら、俺は頷く。

「ああ、そうしてくれると助かる。俺はいいけど、凛やルヴィアが限界近そうだ」

「……シロウ、あまり私のことを甘く見ないで頂きたいですわ。この程度、どうということはありません」

 何処か不服そうな声は背後のルヴィアから。

 その言葉に、既に魔術師然とした冷たい響きはない。俺が一成と話している間に、女性陣は女性陣で意気投合でもしたのだろうか。

「ところで綾子、行くって、バス? まさかこの人数で歩くって訳じゃないでしょう?」

「いや、車。すぐそこの駐車場に停めてあるよ……って、しまったな。この人数は少し収まりきりそうに無いや」

 ポケットから鍵を取り出した美綴は、俺たちを見回して難しい顔をする。

 まあ、突然追加で1名増えたのだから、人数を勘違いしていても仕方ないだろう。

「しまったなぁ……間桐から連絡受けてたのに、すっかり忘れてた。そっち四人だっけ」

「いや、気にするな美綴。俺と一成は歩くよ。馴れた道だし、懐かしいってのもあるしな」

 いいよな、と一成に眼で問う。

「……まあ仕方あるまい。長旅を終えた人間を歩かせるわけにもいかんしな」

 苦渋の顔で頷く一成。

 一成としては凛に歩かせたいのかもしれないけれど、それを言わないのが一成のいいところだと思う。傍目から見て分かるほどに敵対しているくせに、それなりに認めてはいるというか、逆に認めているからこそ敵対しているというか。

「それではシロウ、イッセイ。失礼ですが、私たちは先に行かせて頂きます」

「急ぎなさいよ、士郎。あなたがいないと話にならないんだから」

 セイバーは僅かに頭を下げ、凛は少し照れたようにそう言って美綴に導かれるまま駐車場の方に向かう。

「それではシロウ、先に失礼させていただきますわ」

 二人に続いて、ルヴィアも駐車場に向かった。

 女性陣が居なくなったあと、俺は改めて一成に向き直る。

「改めて、ひさしぶりだな、一成」

「ああ。お互い大事ない様でなによりだ。……ほら、荷物を半分寄越せ。一人でボストンバッグ二つは持ちすぎだ」

 言うが早いか、俺が持っていた荷物の半分を持ってくれる一成。言うまでも無いことだが、俺が持っているボストンバッグ二つの荷物とは凛とセイバーの分である。俺自身の荷物は極僅かな量しかない。

 俺は一成に礼を言い、そして二人で駅前を離れる。






 冬木を離れ、英国で過ごした一年間。

 その間の積もる話をお互いが語るには、衛宮邸までの道のりは少し短すぎた。



































「お久しぶりです、先輩。長旅、お疲れ様でした」

 衛宮低の玄関をくぐった瞬間、そこで待っていたらしい桜が頭を下げた。

 その隣には、いつもの皮肉気な笑みを浮かべる慎二の姿。

「ああ、ただいま、桜。慎二も」

「フン、どうやら変わりないみたいだね。朴念仁ぶりも相変わらずか」

「む。どういうことだよ、それ」

 俺の問いに、慎二はさてね、と首を振る。

「みんなもう居間に行ってる。主役の一人はオマエだろ。早く来いよ」

「ああ。と、一成、サンキュな。助かった」

「気にするな。この程度、学生時代に負った借りに比べればどうということも無い」

 俺は一成からバッグを受け取り、とりあえず自分の部屋に。

 襖を開けて――――








「――――いや、いくらなんでも、これは」




 ――――その場にへたり込みそうになるのを、必死の神経で耐え切った。

 酷い。むしろ非道い。一成が言ってた、“残念なこと”ってのはまさにこれだって一瞬で理解できるほど、悲惨を通り越して凄惨な風景がそこに広がっていた。

「くそ、藤ねえだな、これをやったのは……勝手に使ってくれとは言ったけど、勝手に改造してもいいとは言ってないぞ、俺」

 改造。これは確かに改造だ。少なくとも模様替えとかそういったレベルじゃない。

 いや、別に畳の上にカーペットが敷いてあろうと見覚えの無い鏡台が何台も搬入されていようと、明らかに骨董と知れる箪笥が増えていようと、何故か照明がシャンデリアのようなものになっていようと、それはまだ問題ない。



 けれど、このところ狭しと放置された人形の数々は何なんだ。



「しかも全部虎か……」

 大小様々。小さいのは掌サイズのものから、大きいのは1/1フルスケールまで。足の踏み場はおろか空間そのものが無いほどに積み上げられ貯蓄されている。

 正直、これだけ人形があるのに床が抜けていないのが不思議なくらいだった。

 ……と、呆然としていても仕方ない。

 仕方ないのでバッグは廊下に置き、俺はいま見たものを必死で意識から振り払いながら居間に戻った。
















 衛宮低の居間に集まったのは、俺を含めて計九人。

 それだけ集まると、さしものこの部屋も手狭に感じる。

「ふえーん、しろうー。お姉ちゃん寂しかったよー」

 にぱー、という笑みでそんなことをのたまう藤ねえ。

 烏龍茶しか飲んでないくせに、ノンアルコールで酔えるのか、この虎は。


「ルヴィアゼリッタさん、すみませんけどソース取ってもらえます?」

「これですね? ……アヤコ、別にそう構えずとも結構ですわ。気を使わないでください」

「あら、そう? じゃあルヴィアって呼ばせてもらうわね」

「ええ、結構ですわ、アヤコ。よろしくお願いします」

 こちらはこちらで早速友情を結んだらしいルヴィアと美綴。

 まあ、なんとなく二人とも、気が合いそうな予感はしていた。


「……どうしたのさ、セイバー。なんで僕を睨むんだよ」

「いえ、気にしないでください、シンジ。ただこの酢豚の味付けが、他の料理に比べると多少劣ると思っただけですから」

「……ッ! 悪い!? どうせ僕はまだ桜に適わないんでね! けどイギリス帰りならこれで十分だろ!?」

「に、兄さん落ち着いて。落ち着いてください」

 ああ、なるほど。テーブルに所狭しと並べられた料理の数々、節操が無くて量が多くて、所々明らかに形の不得手なのが混じってると思ったら、慎二が作ってたのか。まあいくら桜がこの一年間でレベルアップしたとは言っても、この量を一人で作るのは無理だろうしな。

 ……ん。けど、十分美味しいだろ、これ。


「む。美味美味」

 こちらはこちらで、喧騒なんて知らぬとばかりに黙々と箸を動かす一成。

 その比率が若干肉類よりなのは、まあ非難するのも可哀想ってやつだろう。


「……」

 凛は鋭い瞳でテーブル隅にぽつん、と置いてある一品を凝視している。

 真っ赤な真っ赤なその皿は、絢爛雑多な料理が並ぶ中で唯一異彩を放つ品だ。真紅の海に所々除く白い塊は、血の海に沈む骨を連想させてあまり精神的によろしくない。

 そんな皿は、誰もが、あのセイバーですらもが見て見ぬふりをしているのだが、凛は違った。

「……」

 厳しい顔つきのまま、手元の小皿にそれを移す凛。陶製の蓮華で豆腐を掬い、意を決するように一口。

 数度の租借。そして沈黙。

「……これ、桜が作ったの?」

 ぽつりと呟いた声に篭もっていたのは驚嘆。

「え? あ、はい、そうですけど」

「凄い。あの辛さを出せるなんて……あとで作り方教えて。頼んだわよ」

「え、ええと……構いませんけど、できればそれ、二度と作りたくないんですけど」

「何を言ってるのよ、桜。こんなに美味しいのに」

「お、美味しいんですかそれっ!?」

 驚愕の声を上げる桜。

 そんな桜にうん、と頷きながら、凛は躊躇いも無くそれを、真紅の麻婆豆腐を次々に口に運ぶ。

「嘘……そんな……」

 呆然とする桜。

 ……けど桜。いや気持ちは分からなくも無いけど、自分で驚愕する料理をテーブルに並べるのは料理人としてどうなんだろうか。

 桜は凛の言葉がよほど衝撃だったのか、顔を青ざめさせて何事か呟いている。




「ラー油一本使ったのに……」




 なんか怖いことを聞いた気がするが、気のせいだろう。うん。

「……? どうしたの、士郎?」

「いや、なんでもない」

 隣に座る凛は、俺の返事にはてな、と首をかしげる。

 と、凛はにこりと微笑んだ。

 なんだかもう、こっちの背筋が寒くなるような微笑。



「――――食べる?」

「――――食べない」



 俺は突き出された蓮華を前に、顔を背けることしか出来なかった。



























 宴もたけなわ……という訳でもないが、テーブルの料理がほぼ消費され、全員の下にお茶が配られた。淹れたのは桜ではなく慎二。殊紅茶やお茶に至っては、桜より慎二の方が上手く淹れられるらしい。

「ところで士郎」

 まったりとした雰囲気を皆で楽しんでいたら、不意にそれを終わらせる声が聞こえた。

 発言者は、当然というべきかなんと言うべきか、藤ねえ。

「今回はなんでまた突然戻ってきたの? イギリスの大学って、まだ過程中でしょ?」

「――――」


 来た。ついに来た。

 必死に考えないようにしていたけれど、とうとうそれを言わなきゃいけない時が来た。


「ああ、そういや私も聞いてないな。どうしたんだ、三人とも。突然戻ってきて」

「……私からはなんとも。シロウとリンが言うでしょう」

 苦笑とも、微笑みともつかぬ笑みでこちらを見ながら言うセイバー。

 その隣ではルヴィアが心底楽しそうに微笑んでいる。

「む? どうした衛宮。なにか言いにくいことでもあるのか?」

「あ、いや、えっと」

 言いにくいと言えば、これ以上なく言いにくいんですが。

「先輩?」

「どうしたのさ衛宮。言い淀むなんて、オマエらしくないじゃないか」

 う。なんでみんなそうやってプレッシャーを掛けるんだ。

 俺はちらりと横目で凛を見る。

 凛は優雅にお茶なんぞ飲みつつ、笑顔で、

「私から言おうか?」

 なんて、こっちの返事を分かりきっていながら、そんなことを尋ねてきた。

「……いや、いい。俺から言う」

「そ。頑張ってね」

 くそ、凛だって他人事じゃない、それどころかまるっきり当人だってのに、その余裕は何なんだいったい。

「士郎?」

「言うよ。ちょっと待ってくれ」

 藤ねえの催促に短く返して、お茶を一口。

 いつの間にかからからに乾いていた喉に、温いわけでも熱いわけでもない適温の日本茶が流れ込む。

 ああ、確かに、慎二が淹れてくれたこのお茶は、美味い。
















 ――――さて。

     じゃあそろそろ、覚悟を決めるとしましょうか。

























「実は」

 湯飲みをテーブルに戻し、俺は切り出す。


 きょとん、とする藤ねえ、桜。

 ある程度の想像がついているのか、面白そうな顔でこちらを見る慎二と美綴。

 あまり興味が無いのか、我関せずとばかりにお茶をすする一成。

 事情を知っているセイバーとルヴィアは、静かな、本当に柔らかい微笑で俺たちを見てくれている。




 そんな全員の顔を見渡して、一度大きく息を吸って。




「俺は、」




 はっきりと、躊躇いなく。

 自分のこれが、誤魔化しも疑いも効かない、紛れもない本心だと伝えるために。




「凛と結婚する」




 その言葉を、告げた。

























 瞬間、居間に沈黙が落ちた。

 いや、ホントに一瞬だけ。



























「な、」

「なんですとーーーーーー!?」





 何か言おうとした一成を遮って、虎の咆哮が居間に響く。

「藤村先生。夜遅くに、近所迷惑ですよ」

「なななななに言ってるのよ士郎! そ、そんなのお姉ちゃんが許さないんだからっ!」

 うがー、ぎゃー、と叫ぶ藤ねえことタイガー。凛の忠告も聞きやしない。

その剣幕たるや、いつぞやの狂戦士以来やもしれぬ。

「いや、でも藤ねえ」

「デモもストもインフレもデフレも無いっ! とにかくお姉ちゃん許しませんからね!」

 こっちの意見なんて聞く耳すら持っちゃいない。

 というかインフレとデフレはまったく関係ない気がするんだけど。

「ほら、桜ちゃんも何か言ってあげて!」

「え? わ、私ですか!?」

 突然話を振られて驚く桜。

 桜は涙目で自分を睨む藤ねえと俺たちを交互に見比べたあと、実にしずしずと言いにくそうに、

「私は別に……二人がそれでいいなら、いいと思いますけど」

「そんな! 理性の筆頭が私の敵っ!?」

 ぐあー、と頭を抱える藤ねえ。

 しばらく身悶えしたあと、はっ、と何かに気付いたかのように視線を美綴に移す。

「そ、そうだ美綴さんっ、あなたはどう思うの!? もちろんダメに決まってるわよね?」

「いいんじゃないですか? 藤村先生。二人とも好き合ってるのは瞭然ですし」

「右に同じ。僕も衛宮たちの味方に回りますよ、藤村先生」

 にやにやと藤ねえを迎撃する元弓道部メンバー。

「ぐはっ!? なんかみんなして敵は本能寺にありっ!?」

 なんだかワケノワカラナイことを叫ぶ藤ねえ。あ、いや、意味はなんとなく知れるけど、日本語として無茶苦茶というか文法はどこに行ったんだというか。

「う、うう……そ、そうよ! セイバーちゃん、ルヴィアゼリッタさんは――――」

「一向に構いません、タイガ。祝福こそしますが、反対などする理由など私にはどこにも」

「私はそもそも友人同士の結婚式を見るために日本に来たのです。反対するとでもお思いですか?」

 淡々と返すセイバーと、にこりと返すルヴィア。

 そんな返事に、がーん、と白くなる藤ねえ。なんと言うかもう、燃え尽きたって感じに。そのまま固まり微塵も動かなくなるので、仕方なく、声を掛けてみる。

「……ええと、藤ねえ?」

「…………はっ!? なんかいま切嗣さんが川の向こうで手招きをっ!?」

 臨死体験してたのか。というかそこで出てくるのが親父ってのはどうかと思うが。

 三途の川から復帰した藤ねえはぶるんぶるんと頭を振ったあと、

「ダメ、ダメダメダメダメ絶対ダメ! とにかく私が――――」

「藤村先生、少しよろしいか」

 暴走し続ける藤ねえに声を掛けていたのは、最初に何か言いかけて以来沈黙していた一成。

 藤ねえはそんな一成に気付くと、ぱぁ、と顔を明るくした。

「ええもちろん構わないわよ柳堂君っ。あの二人を説得してあげて!」

「……」

 一成は疲れた様子で息を吐き、刹那、すっ、と醒めた瞳で俺を見た。

「――――衛宮」

「……言っておくけど説得なんてされないぞ」

「構わん。それに俺は単に一つ尋ねたいだけだ」

「……なんだよ」

「その決定、本当に衛宮の意思なのだな? そこの女狐に強要されたとか、そういった話ではないのだな?」

 一成の瞳は真剣だ。俺の決定を否定するのではなく、そこにある意思を尋ねてきている。

 それはつまり、後悔しないのかという問いかけ。いや、むしろそれは確認に近い。




























 だからこそ、答えなんて一つだ。






























「ああ。これは、俺の意思だ」

「……そうか」

 言って、やれやれ、と首を振る一成。

「……なんだよ。文句でもあるのか」

「あるに決まっているだろう、馬鹿者。何故よりにもよって遠坂なのだ。他にも衛宮に相応しい女性などごまんと居るだろうに」

 本当に疲れたようにそう言って、一成は視線を凛に向ける。

「遠坂。衛宮を幸せにする意思はあるのか?」

「普通、訊く相手が逆だと思うけど、答える必要なんて無いわ。そんなの、言うまでも無いでしょう?」

 その問いに、不敵な笑みで答える凛。

 一成はそうか、と重々しくため息をついたあと、改めて俺を見た。

「ならば俺が何を言っても始まるまい。衛宮は毒が無いからな。遠坂のような人間ならば、逆に釣り合いがとれるかもしれぬ」

「……ちょっと、それどういうことよ」

 半眼で凛が文句をつけるが、一成は涼やかにそれを無視。

「――――そういう理由で、俺も賛成側に回らせてもらいます。申し訳ない」

「――――」

 最後の味方を失い、今度こそ硬直する藤ねえ。

「で……でも、私は許さないわよっ。二人ともまだ子供なんだから」

 と、そうでもなかったみたいだ。先ほどの硬直で馴れたのか、割とすぐに復活する藤ねえ。

「あら、藤村先生。子供子供と仰いますけど、私たち今年でもう二十歳です。それに――――」

 凛は藤ねえにそう反論し、そして――――








「―――私のお腹に、いま士郎の子供が居ます」











 最後の隠し札を投入した。




ぴしり、と完全に固まる藤ねえ。

 さすがにこの事実は予想外だったのか、セイバーとルヴィアを除き、桜を筆頭にした他の面子も眼を丸く見開いている。

 そんなみんなの反応なんてどこ吹く風なのか、凛は顔を赤らめ、柔らかい――――そして優しい微笑みを浮かべながら、言葉を続けた。

「だから、私たち結婚します。ね、士郎?」

「ああ」

 俺は――――俺自身も顔を赤くしているのをしかと自覚しながら、それでもきちんと頷いた。

 果たして、それがトドメだったのか。

「――――ぅ」

 なんて呻き声を残して、藤ねえは意識のブレーカーを落として後ろに倒れた。


 そんな藤ねえに慌てて駆け寄る桜、

 ニタニタと笑う慎二、

 声を上げて笑う美綴、

 本気で重そうなため息を吐く一成。


 反応はそれぞれだけど、それでも非難の声は誰からも上がらなかった。


























 そんなこんなが、俺たちの帰国会食・婚約発表の顛末。

 まあ、問題はまだ色々と残っているのだろうけど。




 ……藤ねえが暴れて怪我人が出なかっただけ、マシと思うことにしよう。





【続く】