Fate / other night

 

 

              4.5 / Interlude

 

 

 とん、とん、……とん。

 リズミカルなようで、しかしその実たどたどしいその音を、士郎は冷や汗をかきながら聞いていた。

 とん、とん、と、ん。

 動作が拙い。判断が遅い。考えながら腕を動かしているのが丸分かりだ。

 とん、とん、と、

「あ」

 間の抜けた声。そして、普通の包丁より一回り小ぶりなそれが白い手から逃れ床に落ちる。

 ざく、と何故か先端から床に突き刺さった包丁を抜き、士郎は仏頂面で改めて結論を下した。

「イリヤ。頼むから向こう行っててくれ」

 

 

 

 

 

 イリヤが士郎の手伝いを申し出て、頬を膨らませながら居間に戻ってくるまでおよそ三十分。

 その一部始終を眺めていたセイバーは、どかどかと不満げに足音を立てるイリヤを見て小さく溜息をついた。

「……」

 イリヤはじろりとこちらを一瞥したあと、当然のようにテーブルにつく。座った場所は具現化したセイバーの点対称に位置する席。まあ当然ね、と思い、セイバーは生まれもったおせっかいをこれ以上なく自覚しながら声を掛けた。

「イリヤスフィール、その場所は私のマスターの定位置よ。座るなら反対側かその隣にしなさい」

「……」

 イリヤは答えない。

 答えないが、それでも無視するという選択肢はなかったのか、白い少女は無言のまま立ち上がって一つ隣の座布団に腰を下ろす。

 面白く無さそうにテーブルに頬杖をついたイリヤは、しばらくの間頬を膨らませていたが、やがて興味津々な顔つきで居間のあちらこちらに視線を飛ばし始めた。日本家屋が珍しいのか、畳や襖、障子に欄間といった調度品の数々を楽しそうに眺める。不満げだった顔も、いつの間にか自然な笑みに変わっていた。

 そんなイリヤの、到底マスターとは思えぬ振る舞いに、セイバーは溜息と共に立ち上がった。こちらの動作を気にも掛けないイリヤを視界の端に収めながら、熱い日本茶を淹れて戻ってくる。

 ことん、と湯気を上げる湯飲みをイリヤの前に差し出す。

「どうぞ。熱かったら言いなさい。淹れなおすから」

「――――」

 小さく息を飲むイリヤ。顔を上げた少女の瞳は、訝しげに細められている。

 本意を疑うような視線を受け、セイバーは肩を竦めた。

「別に他意はないわよ。マスターに手を出すなって言われてるし。あなたがマスターとして私のマスターに戦いを挑まない限り、危害は加えないわ」

「……」

 イリヤは冷たい瞳でこちらを見てきたが、こちらの台詞に嘘がないことを悟ったか、やがておずおずと湯飲みを手に取った。ちびり、と一口だけ飲む。

「……熱いじゃない、これ」

「ちゃんとそう言ったわよ、私」

 うぅ、と涙目で睨んでくるイリヤに、セイバーは心の底からの嘆息で返した。

 

 

 

 

 

 懸念していたセイバーとイリヤの仲が存外うまく行っているのを確認し、士郎は安堵の息を漏らした。

(まあ、うまがあいそうだしな、あの二人)

 根拠など何もないことを思いながら、熱したフライパンで鶏肉を躍らせる。あまり客人(イリヤ)を待たせるわけにも行かないので、メインの料理は炒め物だ。野菜は火を通さず、鶏肉との食感の違いを楽しんでもらうことにする。

じゃっ、じゃっ、とフライパンを廻す。イリヤが刻んでくれた不揃いのキュウリは、そのままサラダに使うことにした。ドレッシングは自家製(オリジナル)のそれがまだ残っていた筈だからそれでいいだろう。

買出しに行く前の料理計画(プラン)を微妙に修正しながら、士郎は同時進行で調理を進める。量は少なくとも、それなりに聞こえてくるセイバーとイリヤの会話を耳にしながら、都合一時間で調理は終わった。

「セイバー。運ぶの手伝って、」

「シロウ、私が手伝う!」

 くれないか、と言うより早く、ぎゅんっ、と音を立ててイリヤが目の前に来ていた。セイバーと話していた場所からここまで、優に数メートルはあるのだが、その距離が一瞬で詰められたような気がする。

 こちらを見上げながら顔を輝かすイリヤに数歩後ずさりながら、士郎はこくこく、と頷く。

イリヤはやったー、と何故か歓声を上げると、料理の乗った皿を抱えて居間に運びだした。

ててて、と足音を立てて走るその姿は、なんと言うか、和む。

 手伝おうとしたセイバーをイリヤが睨んで黙らせ、士郎とイリヤが二人で食事をテーブルに運んだ。最後に全員分の御茶碗にご飯を盛り付け、完成。

「頂きます」

「いただきまーす」

「ああ、味わって食べてくれ」

 ちゃんと手を合わせた二人にそう言って、士郎も自分の定位置に腰を下ろした。隣にイリヤ、対面にセイバーが座っている。

「っと、そうそう。イリヤにはこれな」

「うん?」

「箸は馴れないと使いにくいからな。ほら、フォークとスプーン。こっちの方が使いやすいだろ?」

 最後の皿を運ぶときに思い至り、ついでに持ってきた銀色の食器をイリヤに手渡す。

 イリヤはそれを受け取り、しかし、文句があるように頬を膨らませた。

「舐めないで、シロウ。郷に入れば郷に従えって言うでしょ? お箸ぐらい、私だって使えるんだから!」

「そ、そうか。馬鹿にして悪かったな、イリヤ」

 ふん、と顔を背けるイリヤ。完全に“ヘソを曲げた子供”な少女の様子に、士郎は思わず苦笑してしまう。

 だがイリヤはそんな士郎の様子に気付かず、目の前の来客用箸を親の仇でも見るかのように睨み、深呼吸の後にそれを掴んだ。少女が扱うには明らかに長い箸を辛うじて持ち、その先端をぷるぷると震わせながらご飯を掴もうとする。

 掴もうとするが、気合空しく、箸がイリヤの手から落ちた。からんからん、と音を立ててテーブルに転がる箸を、うう、と涙目でイリヤが見守る。

「ああもう、泣くな泣くな」

 転がった箸を拾いながらイリヤを宥める士郎。

 その対面では、セイバーが黙々と食事を進めている。その動作には微塵の淀みもなく、欠片の躊躇いもなく、滴の戸惑いもない。

と、セイバーは何かに気付いたか、なにやら不穏な笑みを浮かべると右手に持った箸をかちかちと鳴らした。行儀良く箸を持ったまま、人差し指の運動だけで先端を上下させ、掴む動作と離す動作を繰り返す。

 明らかにマナー違反の行いだが、無論彼女が何の狙いもなくそんな真似をする筈がなく、

 

「……セイバー、頼むから挑発しないでくれ」

 

 セイバーの華麗なる箸使いを見て肩を震わせるイリヤを恐々と眺めながら、士郎は疲れた声でそう言った。

 

 

 

 

 

 なんと言うか。食事という行為でここまで体力を消費したのは初めてかもしれない。

 食後のお茶をずずずと啜りながら、士郎はどこか他人事のようにそう思った。

(なんかセイバーが延々とイリヤを挑発するし)

 具体的に言えば芋の煮っ転がしを掴めないイリヤを揶揄したり、イリヤが開き直って芋を箸で突き刺せばそれはマナー違反だと注意したり、手の届く範囲の少し外にあった小鉢を箸で寄せようとしたイリヤの手をはたいたり。

(……ん? 別に挑発ってわけじゃなかったのか)

 食事中はそうとしか思えなかったが、いま考え直せば、セイバーはイリヤのマナーを注意していただけなのかもしれない。

(それが分かってたから、イリヤも大人しく注意されてたのか?)

 湯飲みをテーブルに置き、士郎は部屋の端を見る。食事が終わるや否やすぐさま衛宮邸の案内を命じた白い客人は、ツアーが終わると途端に静かになり、疲れが出たのか、壁を背にしてこくっりこっくりと船を漕いでいた。

 無防備に眠るイリヤの顔を眺めていると、隣の部屋から毛布を手にしたセイバーが姿を見せた。セイバーは、なんとも言いがたい複雑な表情でイリヤに毛布を掛ける。

「サンキューな、セイバー」

「……ふん。いいわよ、別に」

 照れているのか、顔を背けながらセイバーは答える。

 その様子があまりにおかしかったので、士郎は苦笑してしまった。

「……ちょっと。何笑ってるのよ、マスター」

「別に、なんでもない。ただ――――」

 

 そう、ただ。

 

「――――ただ、有り難いな、と思ったんだ。イリヤを嫌わずに居てくれて、本当に感謝してる」

 

 奥底からの本心で、士郎は言った。

「……イリヤはこんなだからな。仲がいい友達が少しでも多く居てくれれば、と思うよ」

「あら。私はこの子の友達なんかじゃないわよ、マスター。少なくなくともいまはまだ、ね」

 温かみの欠片もない笑みで返すセイバーに、士郎は頷く。

「ああ、分かってる。いまは聖杯戦争中だし、イリヤも、俺もマスターだからな。戦わなきゃいけない相手と友達になれなんて――――そこまで、無理は言わない」

 士郎は立ち上がり、寝息を立てるイリヤの元に屈みこんだ。硬い、しかし手入れの行き届いた銀の頭髪を手で梳き、どうしようもない思いと共に苦笑する。

 

「――――ぅん? シロウ?」

 

 二度三度髪を梳いたあと、イリヤがゆっくりと目を開けた。焦点の合わない赤い瞳に頷いて、士郎は苦笑を浮かべたまま少女に謝罪した。

「ごめんな。起こしちゃったか?」

「うん……でも別にいいよ。シロウだから許してあげる。それに、もう戻らなきゃ」

 眠気が抜けないのか、イリヤはたどたどしく立ち上がる。

時計を見れば、時刻は既に夕方を迎えようとしていた。

 イリヤは、く、と大きく背を伸ばし、途端に元気の溢れる笑顔を見せた。

「じゃあシロウ、公園まで送ってもらえる?」

「ああ、分かった」

 答え、士郎は立ち上がった。先を歩くイリヤの背中を眺めながら門を抜け、夕暮れに染まる道を歩く。

 帰り道は無言。学校帰りの学生が起こす喧騒や夕餉の準備に勤しむ家庭の賑やかさを耳にしながら、誰も、何も言わずについて来たセイバーすらも無言で、イリヤの言う公園への道を歩む。

 そして、公園の入り口を手前にして。

 白い少女は、ぴたりとその足を止めた。

「ここまででいいよ、シロウ」

「ん。そっか」

 イリヤは頷いて、くるり、とこちらに向き直る。

 少女の顔に浮かんでいた表情は、年齢を感じさせない、思わず息を飲むほどに落ち着いた、静かな微笑。

「今日はありがとう、お兄ちゃん。また……行ってもいいかな」

 

 

 何故だろう。

 その笑顔が、今にも泣き出しそうに見えたのは。

 

 

「……当たり前だ。いつでも、来い」

 上ずりそうになる声を必死で抑え、士郎は頷いた。

 イリヤはうん、と呟き、

「――――じゃあね。バイバイ、お兄ちゃん」

 そう言い残し、冬の少女は微塵の名残も残さず公園の中に駆けていった。

 士郎は遠くなる背中に手を伸ばしかけ、そのまま手の平を力強く握りこむ。

 衝動を必死で押さえ込み、改めて顔を上げれば、もはや視界に白い少女の姿はない。

 力を篭めすぎたせいで血の気が失せた己の手に視線を落とし、士郎は自嘲気味に呟いた。

 

「お兄ちゃん、か」

 

 その物言いはわざとなのか、それとも。

 頭に浮かんだ疑問を振り払い、士郎は家路に着こうと身を翻し、

「……どうしたんだよ、セイバー」

 思いっきり不審気な目でこちらを睨むセイバーを見て、思わず声を上げていた。

 セイバーは酷く難しそうな顔をしたあと、恐る恐る、というか、おずおずといった雰囲気で尋ねてくる。

「マスターって、ひょっとしてそっち系?」

「ん? どういうことだよ」

「だから、その。まさかとは思うけど、マスターってロリコンなのかなー、って」

「――――」

 

 ぴしりと。

 かなり本気で絶句し、士郎はセイバーを睨み返した。

 

「……違う。そんなんじゃ、ない」

 辛うじて弁解するが、セイバーは疑問の、否、非難の視線を止めない。

「根拠に欠けるわよ、マスター。イリヤの髪を梳いてあげてるときの視線なんか、自分がそうだって豪語しているようだったわ」

「だから違うって。イリヤにそんな邪な感情は抱いてないぞ、俺」

「えー」

「えー、って……糞、俺をからかって楽しいのかよおまえ」

「あら、勿論じゃない。最高よ?」

 それこそ最高の笑顔で即答してくれるセイバー。

 士郎はその場に崩れて頭を抱え込みたい衝動をどうにか堪え、代わりにどうにか一言だけ、

 

 

「……覚えてろよセイバー」

 

 

 負け惜しみっぽくそう言って、この場での負けを認めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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