Fate / other night

 

 

              6 / Absence

 

 

 どちらが悪かったのかといえば答えはなく、おそらくは二人が共に正しかった。

 その事実は、もはや疑う余地さえない。そも、どうすればあの二人が道を違え、間違いを犯そうというのだろうか。

 二人が正しいという事実は確認の意義さえない前提であり、定義であり、現実であった。

 彼は紛れもなく彼の信じる道を突き進み、傍らに立つことを選んだ彼女を想っていたし、彼女は彼女で、目を離せばすぐにでも危険に突っ込みそうな彼を怒りながらも心から想っていた。

 そう、間違いなく、それこそ前提として彼と彼女は相思相愛であった。

 二人は相思相愛であり、相思相愛であるのなら、彼と彼女は幸せにならなければならない。想い合う二人がハッピーエンドになれないだなんて、そんな理不尽な話はない。

 

 そんな話はなかった筈なのに、二人はハッピーエンドを迎えることが出来なかった。

 理由らしい理由は明確。彼の胸には金の髪を持つ青い少女の面影が残り、彼女はそんな彼に対する不安を笑って跳ね飛ばすことが出来なかっただけの話。

 いま一度言うのなら、二人はどちらが悪かったという訳ではない。どちらを悪と、原因と定め罰することができるほどに容易な事柄ではない。胸に別の女性のことを記憶しながらも彼は彼女を心の底から愛していたし、彼女は彼女の矜持を以って彼を全身全霊で愛していた。

 そんな二人がハッピーエンドを迎えられないなんて、そんな話は信じられない。

 

 

 

だから、単純な話。

二人は未だ、そう、片割れが凶弾に倒れた後でさえ、エンドロールを迎えていないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝起きて、服を着替えて布団を畳んで。

 いつもの通りに朝食の準備を始め、藤ねえを迎えて。

 桜の不在に、士郎は遅まきながらに気が付いた。

 

「藤ねえ、桜知らないか?」

「うん? 知らないよ。まだ来てないの?」

 台所から声を掛けると、ぴっ、ぴっとテレビのチャンネルを廻しながら大河は答えた。

 士郎はむ、と眉根を寄せる。アスパラガスをフライパンの上で転がす手を止めぬまま、幾分硬い声で言葉を返す。

「ああ、まだ来てない。寝坊かな? だとしたら珍しいんだけど」

「桜ちゃんも女の子だからねぇ。眠れぬ夜を過ごして寝坊してー、ってこともあるかもしれないよ?」

「ん? 藤ねえ、それどういうことだ?」

「別にー。ただ、士郎にはもう少し甲斐性ってものを持って欲しいなー、と思うお姉ちゃんなのでした」

 微妙に意味不明なことを言いながら、大河はニュースを流し見する。適当にチャンネルを変えているので、別段情報を得ようとしているのではないだろう。

 ふむ、と頷いて、士郎は朝食の準備に注意を戻した。まあ桜も人間だし、そも年下なのだ。自分が寝坊することがあるのなら、勿論後輩である桜が寝坊したといって責められるはずもないだろう。

 ただ、珍しいという感はあった。

 

(まあ、そう言う日もあるか)

 

 自分の中で決着をつけ、片手で割った卵で卵焼きを作る。

 焦げ目をつけた鮭を皿に乗せた頃、打ち合わせどおり、襖が開いてセイバーが姿を現した。

 セイバーはごく自然な動作でテーブルに着き、ぽかんとする大河の対面に座った。そして今更大河の存在に気付いたとばかりに少し驚いた顔をして、にこり、と笑顔を浮かべる。

「おはようございます、藤村先生」

「あ、おはようございます――――ってなにものー!?」

 普通に挨拶を返しそうになって、大河は大声を上げてセイバーを指差した。

「藤ねえ、朝から迷惑だぞ」

「ちょっと士郎、誰なのよこの女の人はっ。まさかこの週末にめくるめくサスペンス二時間スペシャル家政夫は見たとでも言うつもりっ!?」

 ヒートアップしているのか、大河は目をぐるぐると廻しながらわけのわからない憶測を口走る。

 士郎はなんでもないふりをしながら、朝食を載せた皿を手に居間に戻った。ことん、と二人の前に焼鮭を出し、ついでとばかりに嘘をつく。

「こちら、親父の従兄弟の哀川さん。ずっと外国を流離ってたんだけど、今回遊びに来てくれたんだ。週末から泊まってもらってるよ」

「初めまして、藤村先生。彼から話は聞いています。切嗣が亡くなったあと、親代わりになって支えてくださったと聞いています。切嗣に代わり、感謝しますね」

「あ――――う。切嗣さんの、従兄弟さん?」

「ええ。哀川潤といいます。しばらくここに逗留させていただくつもりですから、よろしくお願いしますね」

 にこやかな、それでいて底の知れない笑みを浮かべたまま、セイバーは平然と偽名を名乗る。

 その様子を見て、士郎は気付かれないように苦笑した。

 

 セイバーの真名。最強の役割(クラス)を冠する彼女の本当の名前を、士郎はまだ聞いていない。

 その理由は自身が未熟であり、もし敵がこちらの思考を読むような手段を持っていた場合、何の抵抗も出来ずにセイバーの真名を明かすことになるかもしれないからだ。

 そう考えた士郎はセイバーの真名を敢えて聞かない、という提案をし、セイバー自身も納得した。

 故に、いまセイバーが明かしたのは完全な偽名である。セイバーを切嗣の従兄弟として藤ねえたちに紹介すると決めたとき、セイバーが自分で選んだ名だ。理由は知らない。

 

 士郎は苦笑を消しながら大河を見て、大河の驚いたような表情に、ん、と疑問符を上げた。

「どうしたんだよ、藤ねえ。そんな顔して」

「うん、ちょっとね。私の知り合いにも同姓同名の人がいるから、偶然って凄いなー、と思ったの」

 さらっ、と言う大河。

 そして、その言葉にセイバーが身を震わせた。

 

(なんだ?)

 

 セイバーの反応が気に掛かったが、とりあえず無視。

 朝食を全て居間に運び、士郎は自分の定位置についた。

 いただきます、と全員で手を合わせて食事開始。

「ああ、そうだ藤ねえ。俺、今日は哀川さんの案内をするから学校休むな」

「む。ずる休みは許さないわよ」

「ずるじゃないって。ちゃんと冬木を案内するんだから」

「うー。まあ士郎なら心配ないかな。いいよ、お姉ちゃんが許す」

「ん、サンキュ、藤ねえ」

 狙い通り欠席の許可を取り付け、士郎は食事に専念した。

 今日はセイバーの提案、否、申し付けで、セイバーに簡単な稽古をつけてもらうことになっている。そのために学校を休む必要があり、また、しばらくセイバーと暮らすことになるのは事実なので、桜と大河には当り障りの無い情報を流す必要があった。

 セイバーは半霊化できるので、何も二人に紹介する必要は無いのだが、同じ屋根の下に居ながら顔を合わせないという事態を士郎は嫌った。結局嘘をつくことにはなるが、三人が顔を合わせないよりは何倍もましだと思う。

 

(っと、いまのところは二人、か)

 

 食卓には自分を含み三つの人の姿がある。

 いつもと同じ人数ではあるけれど。

 

(桜、どうしたんだろう)

 

 ぽかりと欠けた食卓に、士郎はなんとも言えない寂しさを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあねー、と言って出勤する藤ねえをセイバーと共に玄関で見送る。

 ぴしゃん、と扉が閉じられるのを最期まで見届け、士郎はふう、と息を吐いた。

「巧く行ったな、セイバー」

「そうね。まあ、元から問題なんてなかったんだけど……」

 傍らに立つセイバーは、何故か歯切れが悪い。

 難しい顔をするセイバーに、士郎は先の疑問を思い出した。

「そう言えばセイバー、さっき何かに気付いたみたいだったけど、なんなんだ?」

「あら、何のことかしらマスター?」

「惚けるなよ。藤ねえの知り合いに哀川って人が居るって聞いたとき、明らかに動揺したじゃないかおまえ」

「――――ホント、どうでもいいところばっかり見てるのね、マスター」

 やれやれ、とセイバーは髪を掻き揚げた。

 腕を組み、大河が去っていった扉を半眼で睨みつける。

青の魔法使い(ミス・ブルー)って名前ぐらい、知ってるでしょ?」

「ん? ああ、一応な。現存する魔法使い五人のうちの一人だろ?」

 

 士郎の回答に、ええ、とセイバーは頷く。

 

「ミス・ブルー、蒼崎青子は確かに魔法使いだけど、魔術師にとっては絶対に触っちゃいけない騒動の種なの。その名前は尊敬の対象でもあるけど、同時に畏怖の対象でもあるわ。そして、哀川潤という女性は――――」

 言いかけて、セイバーは小さく息を吐いた。

 その様子は、不思議なことに。

 名を呼ぶことそれ自体が恐怖の対象であるかのように、小さな、震えを押し殺すための深呼吸だった。

「セイバー?」

「……なんでもないわ。とにかく、哀川潤っていうのは、魔術師にとっては蒼崎姉妹と同等かそれ以上に触れちゃいけない名前なの。覚えておきなさいマスター、彼女は最強にして最凶、絶対に近づいてはいけない名前よ」

 淡々と呟くセイバーだが、その顔が僅か青ざめているのを士郎は見逃さない。

「……なら、なんでそんな名前使ったんだよ、おまえ」

「まさか藤村先生が彼女と知り合いだとは思わなかったのよ……只者じゃない只者じゃないとは思ってたけど、まさか死色の赤と面識があるなんて思わなかったわ」

 微かに震える声でセイバーは言い、おもむろにぱちん、と自分の頬を叩いた。顔を上げたセイバーは、既にいつも通りの表情を浮かべている。哀川潤という名前に関する感情や思い入れ、その他全てを無関係な情報として区切りをつけたのだろう。

 セイバーは、じゃあ始めましょうか、と士郎に告げる。

「道場に行きましょう。マスター、覚悟はいい?」

「ああ、よろしく頼む。頼りないけど、愛想を尽かさないでくれ」

「ええ、勿論よマスター。私に任せて。絶対に一人前にしてあげるから」

 にこりと。

 微塵の疑問も躊躇いも無い笑顔で断言されて、士郎は自分が赤面するのを感じた。

 

 

 

 

 

 午前の授業を終えて、昼休み。

 美綴綾子は学校中を歩き廻り探し廻り、最期に藤村先生に確認し、その異常を確信した。

 逸る気持ちを押さえて弓道場に向かう。立派な道場には部員の姿など一つも無く、勿論、彼女が探す人物の姿も無い。

「ああもう、どうなってんだいったい……!」

 道場の柱をどん、と殴りつけ、彼女はポケットから携帯を取り出した。

 短縮二番。実家の次に使用頻度の高い、否、使用頻度の高かったその番号をコールする。

 耳を澄まし、息を整え、相手が出るのをじっと待つ。一度目のコール音。二度目のコール音。三度目のコール音。

 四度目。

 五度目。

 六度目。

 七度目。

 きっかり十コールを数えたところで、綾子は呼び出しを中止した。これまでの経験上、相手は十コールを超えて出たことは一度も無い。

 綾子は苛立ちを紛らわせるために携帯を道場に叩き付けようとして、すんでのところで理性を取り戻した。その要因は私情で道場を汚すなんてもっての他、という部長らしい点と、

(この携帯、一ヶ月前に代えたばかりだしな)

 なんていう、学生じみた点の両方が等しく同値だったりする。

「ええい」

 忌々しく呟いて、綾子は携帯をポケットに戻した。

 誰も居ない弓道場を見回し、登校してこなかった間桐兄妹を思う。次に、滅多なことでは休むことなんてありえない同級生を思った。

「なんで出ないんだよ衛宮……!」

 呟いた声は、必死に震えを押し殺されたもの。

 考えられる可能性は偶然。

 あの兄妹が、性格とは裏腹に規則には厳しい慎二と、練習熱心な桜が風邪か何かで休み、それとまったく同じタイミングで衛宮の家に親父さんの従兄弟が訪ねてきた。

 そうある話だとは思わないが、決してありえない話ではない。

 だからこれは、この事態は、そう、偶然。

 幾つかの混沌要素が導き出した乱数の値に過ぎない、筈なのに。

「――――ッ」

 ぎり、と綾子は歯を食いしばった。震えだしかねない身体を必死で制御する。

 

 認めよう。

 

 自分は、この状況にただならぬ悪寒を抱いている。

 綾子は誰も居ない道場で立ち尽くし、この日初めて昼食を食べ損ねることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 延々と道場で打ち合い、どうにか一息ついた頃には日が暮れようとしていた。

 恐る恐る身体に触れれば、腕と言わず足と言わず、しこたま打ち込まれた結果の鈍い痛みがある。幾つかは青痣になっているだろう。湿布を張っておいた方がいいかもしれない。

 

「まあ、初日はこんなものね」

 

 竹刀を道場の壁に立てかけ、セイバーは疲れを感じさせない声でそう言った。

 道場に倒れこみたいのを必死で堪え、士郎は背中を壁に預ける。汗を吸ったシャツが壁の冷たさをもらすことなく伝えてくれて、それが存外気持ちいい。

 士郎は息を整えながら、口を湿そうと壁際のやかんに手を伸ばした。古めかしい取っ手を掴み、

「……あちゃ」

 思いのほか軽い重量に、小さく舌を打った。

「どうしたの?」

「水を飲もうと思ったんだけど、もう無かったみたいだ。ちょっと待っててくれ、直ぐに汲んでくる」

「まだ続けるの?」

 僅かに驚きを含ませながら、セイバー。

「ああ、夕食の支度にはまだ時間があるしな。時間の無駄遣いは出来ないだろ?」

「……ええ、そうね、マスター。やるというのなら付き合うわ」

 やれやれ、と苦笑を浮かべるセイバー。

 士郎は空のやかんを手に道場を離れ、母屋に向かった。

 冷たい廊下をぺたぺたと歩きながら、特に痛みの酷い脇腹に手を触れる。

 

「痛……ッ。ホント、容赦の欠片も無かったな、セイバー」

 

 道場で息を静めているだろうセイバーを思いながら、士郎は一人呟いた。

 視線を窓の外に向ければ、外は既に宵の口。考えてみれば、昼食を挟み十時間近く道場で打ち合っていたことになる。昼は簡単な握り飯で済ませたから、夕食はちゃんとしたものを作ろう――――そんなことを考えながら歩いていると、ふと、耳に届く甲高い音に気が付いた。

「電話?」

 首を傾げ、行き先を変更。じりり、と鳴り響く電話機の元に向かう。

 早く取れ早く取れ、と急かす受話器を手にとって耳に当てた瞬間、

 

 

 

「この馬鹿野郎――――!!」

 

 

 

 トンデモナイ大音量が、耳を貫いた。

「――――ッ。な、なんだ? 美綴?」

 きーん、とする耳に涙を浮かべながらも、士郎は声の主の名を問うた。

 受話器からは、憤った肯定が返ってくる。

「おまえ、いま何処にいる?」

「何処って、家だけど。何かあったのか?」

「桜は居ないのか?」

 

 

 

 瞬間。

 いろいろなものが、頭の中で繋がった。

 

 

 

「――――居ない。桜に、何かあったのか?」

 自分のものとは思えないほどに冷めた、静かな声で問い返す。

「あ――――いや、何かって訳じゃないんだ」

 帰ってきた声は、毒気を抜かれたかのように控えめな、或いは驚いたような声。

「ただ、桜も慎二も揃って学校休んでてさ。連絡も取れない」

「……そうか。分かった。教えてくれてサンキュな、美綴」

「あ、ちょっと待て!」

「ん? まだ何かあるのか?」

「いま出来た。衛宮、おまえひょっとして桜がどうなったのか知ってるのか?」

 美綴の問いに、士郎は首を振った。電話越しに伝わる筈が無い、と承知の上での、自分の心を静めるための行為だ。

「いや、知らない。けど――――なんとなく、嫌な予感がするんだ」

 

 嫌な予感。口に出したその単語が、酷く空々しく聞こえる。

 

「だから俺、探してみるよ。ああ、それと一つ頼みごとしてもいいかな?」

「何だ?」

「いま俺に教えてくれたこと、遠坂にも伝えてくれないか」

「遠坂に? なんで――――」

「悪い、理由は勘弁してくれ。貸しにしといてくれると助かる。じゃ、頼んだ」

「あ、おいちょっと」

 美綴の言葉を無視し、電話を切る。

 受話器を握ったまま、士郎は二度三度大きく深呼吸をした。どくん、どくんと呼応する心臓を意識でもって押さえつけ、はあ、と一際大きな息を出した。

 

「そういう、ことか」

 

 小さく呟けば、紡がれた声は怒りと侮蔑に震えていた。

 

 

 

「どういうことよ?」

「え?」

 誰に宛てたわけでもない呟きに、疑問の声が返ってくる。

 間の抜けた声を上げ後ろを振り向けば、何時の間に其処に居たのか、静かな顔でセイバーが立っていた。

「……セイバー。どうして、ここに」

「舐めないで、マスター。私達は繋がってるのよ? マスターの感情があからさまに動けば、何かあったと思うのが当然でしょ」

 

 それで、とセイバーは続ける。

 

「何があったの? マスター」

「……桜の足取りが掴めない。桜については昨日説明したよな?」

 士郎の確認に、セイバーは頷く。

「違う――――とは思うけど、この時期だ。万が一ってことがある。探しに行ってくるよ」

「待ちなさい。まさか一人で行くつもり?」

 確認という形を取りながら、セイバーは暗に非難を示してくる。

当たり前だな、と醒めたままに士郎は思考した。

「いまは聖杯戦争の真っ最中よ? 夜に町を出歩けば、他のマスターに喧嘩を売っているのと同じことなのに――――それを知った上で、探しに行くと言うの?」

 繰り出される言葉は論理的だ。そこに間違いなどないし、自分の行いがどれほど愚かなのかも充分承知している。

 しかし。

「知ってる。でも、だからって桜を放っておくことなんて出来ない」

「マスター」

「俺は一人でも行くよ。でも、さ、セイバー。逆に聞くけど」

 

 これがとんでもない言い分だとは百も承知で。

 自分がとんでもない無茶を、無理矢理聞かせようとしていることを千と知りつつ。

 士郎は己の不遜を万と感じつつ、なお厚顔に質問した。

 

「セイバーは、俺を一人で行かせる気なのか?」

「――――」

 あまりの言葉に息を飲むセイバー。

 士郎はそれ以上何も言わず、その顔を見つめる。

 しばらく呆然としていたセイバーは、しかしやがて、苦笑交じりに破顔した。

 

「面白いこと言うじゃない、マスター」

 

 くしゃり、とセイバーは髪を掻き揚げる。

 口元に笑みを浮かべ、剣のサーヴァントは頷いた。

 

「ええ、いいわね、そう来なくっちゃ」

「じゃあ、セイバー」

「私も一緒に行くわ。マスターに頼られたら応えるのがサーヴァントの使命だもの」

「――――悪い。無茶言って」

 俯き、小さな声で謝罪する士郎に、セイバーは苦笑した。

「気にしないで。私の聞き方も悪かったわ。止めて聞くような人間じゃないものね、貴方は」

 そう言い残し、セイバーは姿を消す。姿は見えないが、其処に居るというのは感じられるので、半霊化したのだろう。

「ばらばらで探した方がいいのでしょうけど、それだけは認められないわ。いい?」

「当たり前だ……!」

 声だけのセイバーに短く返し、士郎は宵に染まる街に飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る。走る。走る走る走る。

 アスファルトを蹴り、呼吸を無理矢理整えて、道場で酷使した筋肉に更なる労働を強いる。

「――――つ、あ」

 情けない声を噛み殺し、士郎は更に速度を上げた。

 とりあえず向かう先は桜の本家、間桐邸。衛宮邸から学校に続く坂道を一気に下り、洋館街と交差する交差点に辿り着く。

 

 

 そして、

 

 

「――――あ」

「――――え?」

 

 学校側から駆けて来た凛と、ものの見事に鉢合わせた。

「な、衛宮くん――――!?」

 足を止め、声を張り上げる凛。その手が空気を薙ぐように振り払われると、その軌跡を追うようにして赤い外套の弓兵が二振りの剣を手に姿を現した。

 

「下がりなさい、マスター!」

 

 アーチャーに対抗するように、セイバーがコートの裾を翻して姿を見せる。

 セイバーは既に手にしていた長刀を構え、アーチャーの二刀を防ぐべく士郎とアーチャーの間に立ち、

 

 

 

()()()()()()()バー(・・)

 

 

 

 不思議と静かに響いた声に弾かれ、アーチャーの剣を迎え撃とうとした姿勢のまま大きく後ろに跳躍した。

 

 な、と短い声が届いた。自分のサーヴァントと遠坂凛、二人の驚きの視線を感じながら、士郎は別段動くでもなくアーチャーの斬撃を享受する。

 ざくりと――――冷たい、それでいて灼熱のような熱さが身体に潜り込む。

 ぼたりと、腕を伝って熱の塊がアスファルトに落ちた。

夜が侵攻を続ける世界においてなお、そこに生まれる水溜りは息を飲むほどに禍々しい赤を体現している。

 それを、自分の出血で作成された血溜りを溜息と共に確認して、士郎は顔を上げる。

 目の前。言葉の通り目と鼻の先で、じろり、と紛れもない殺気を込めながら、アーチャーがこちらを睨んでいた。

 

「どういうつもりだ、小僧」

 

 届いた声には、明快な怒りしかない。

 

「勘違いするな。俺は、遠坂と戦いに来たわけじゃない」

 アーチャーを、静かな怒りを見せるアーチャーを真正面から見据え、士郎は言い捨てた。

 つい、と左手を凛に見えるように掲げる。そこに浮かんでいるは、一つ減り、残り二つとなった令呪。

「こっちはいま令呪を使ってセイバーを下がらせた。とりあえず、話だけでも聞いてくれないか?」

 身体から熱が抜けていく。出血が激しい。

 気を抜けば倒れこんでしまうだろう事実をしかと認識し、しかしそんな素振りは一片も見せず、士郎は凛を見た。

 凛は腕を組み、苦々しい顔でこちらを見ている。しばしの沈黙のあと腕を解き、仕方ないわね、と厳しい声のまま呟いた。

「分かったわ。話だけなら聞いてあげる」

「凛」

「いいのよ。下がりなさい、アーチャー。私たちの令呪、無駄にさせないで」

 渋面で名を呼ぶアーチャーを、凛は短く切り捨てる。

 アーチャーが不満げな顔のまま半霊化すると、途端に緊張が抜け、がくりと膝の力が抜けた。倒れかけたところを、駆け寄ってきたセイバーがどうにか支えてくれる。

「ちょっとマスター、貴方正気……!?」

「ああ。正気だから、そんな耳元で怒鳴らないでくれ」

 怒髪天を突く勢いでがー、と叫ぶセイバーに片手で応え、士郎は体勢を立て直した。どうにか自分の脚でバランスを取り、服の裾を破いて手早く止血処理をする。遠坂が早かったのか、アーチャーにも疑問があったのか、それとも運が良かったのか――――アーチャーの斬撃は、片方の肩を半分ほど断つ程度で済んでいた。

 無事な方の手でぎゅ、と力強く幹部を圧迫し、ふう、と一息。こちらはこちらで文句を言いたそうなセイバーを無視して、士郎は改めて凛に向き直った。

「よし、っと。待たせた」

「いいわよ、別に。それより大丈夫なの? 結構深いみたいだけど」

 関心無さそうに、しかし僅かに眉根を寄せて凛は問う。

「まあ、直ぐにどうにかしなくちゃいけないって傷でもない――――っと、言い忘れてた。悪かったな、遠坂。令呪、使わせちまった」

「――――ッ。何だ、気付いてたんだ」

 凛は一瞬顔をしかめ、すぐに苦笑する。

ああ、と士郎は頷いた。

「でなきゃあのタイミングでアーチャーの手が止まるはずがないもんな。だから、悪い、遠坂。期待してなかったとは言わないけど、令呪使わせちまった」

「それについては痛み分けにしましょ。それで、士郎。わざわざ令呪を使ってまで私に話したかったことは何? 下らないことだったら怒るからね」

「美綴から聞いてないか? 桜と慎二が行方不明だってコト」

 その言葉に、僅か凛が顔を強張らせたのを士郎は見逃さなかった。

 凛の瞳を真正面から見据え、士郎は、す、と頭を下げる。

「ちょ、ちょっと?」

「桜は大事な家族なんだ。だから、頼む、遠坂――――桜を探すの、手伝ってくれ」

 狼狽した声を上げる凛に、静かな声で頼み込む。

 

 凛は息を飲んだような沈黙を返し、やがて、いいわよ、と頷いた。

 

「分かったわ、士郎。そう言うことなら、私も協力してあげる」

「助かる。恩に着るよ」

「気にしないで。それと、魔術師ならそんなこと軽々口にしないこと。あまり誠実で居すぎると漬け込まれるわよ?」

 顔を上げれば、そこに見えたのは疲れたように苦笑する凛の姿。

 凛は頭を振って苦笑を消すと、名の通り凛とした、一流の魔術師然とした顔つきで手を差し出してきた。

「じゃあ、桜が見つかるまでは休戦――――ってことでいいわね?」

「ああ、願ってもない」

 安堵の吐息を――――紛れもない安堵の息を吐きながら、士郎は血に汚れていない手で凛の手を取った。

 軽い握手はすぐに解かれ、互いに僅かな笑みを浮かべる。

 士郎は視線を傍らに、やれやれ、といった風に腕を組むセイバーに向けた。

「そう言うわけだから、セイバー。いいな?」

「ええ、異論はないわマスター。マスターにしてみれば、聖杯戦争に勝ち残ることより桜を失わない方がよほど大事だものね」

「……いや、その通りだけどさ」

 事実には事実なのだが、なんでそうもからかうように告げるのか。

 傷の痛みも忘れ憮然とする士郎。そんな協力者に凛は笑って、士郎と同じように自らのサーヴァントに命を下した。

「あなたも分かったわね、アーチャー? とりあえずセイバーとは休戦。いいわね?」

 返事は返ってこないが、凛は満足そうに頷いた。弓兵はマスターとのラインを通して直接返事をしたのだろう。

「じゃあ手分けして探しましょうか。私は間桐邸の方を見てくるから、士郎は学校の方をお願いできる? 一応探しながら来たつもりだけど、追い抜いたってことも十分考えられるから」

「ああ、わかった。じゃあ家の方は任せるよ」

「ええ、任せて頂戴――――でも士郎、あなた怪我はいいの? 無理なら家に戻りなさい。私は協力するけど、それでもいまが聖杯戦争だってことに代わりはないわ。不用意な行動を取れば、他のマスターが戦いを仕掛けてくるわよ」

 

 目を細めて言う凛。声音こそ厳しいが、否、だからこそ、凛がこの身を心底気遣ってくれているのだと知れる。

 しかし、知れるからこそ、士郎は頷いた。

 

「大丈夫だよ、遠坂。そうなったら素直に逃げる。この状況で戦っても勝ち目は無さそうだからな」

「ええ、それが賢明ね。じゃあ士郎、二時間後にここで落ち合いましょう」

「ああ」

 

 答えながら、ふと士郎は既視感を感じた。

 月の出ている夜。自分と凛、そしてセイバー。

 つい先日も、こんな夜を迎えたような気がする。

 

「どうしたの?」

「え? あ、いや、なんでもない」

 きょとん、と問い掛けてくる凛に首を振り、士郎は身を翻した。

 

「じゃあ遠坂、また後で――――」

 会おう、と言いかけて、言葉を消す。

 

 衛宮邸と、洋館街と、学校と。

 それぞれの道に分岐する交差点の、その先に。

 

 

 

 

 

「こんばんは、お兄ちゃん。また来ちゃった」

 

 幼い笑みを浮かべる、白い少女が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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