Fate / other
night
7 / vs Berserker
2nd (Trace)
その光景は、いつかの夜の焼き増しだった。
月夜に照らされ佇む巨人。物言わぬサーヴァントを従え、罪も罰も知らぬと微笑む少女。
この間の差異はと言えば、先に気が付いたのが凛ではなく自分であったというただそれだけだろう。
背後から、凛が息を飲む気配が伝わる。
ずくり、と傷が痛んだ。士郎は自分の傷に手を触れ、改めて白い少女に目を向ける。
「イリ、ヤ」
その名を呼ぶ。声は果たして届いたのか、それとも。
答えは知れない。ただ少女はにこり、と微笑み、
「やっちゃえ、バーサーカー」
単純にして明快な言葉でもって、夜闇に凶弾を解き放った。
迫り来る凶風。アスファルトを踏み砕き、振り上げた石斧で夜を轢断し、雄叫びで世界を脅迫しながら、絶対死の嵐が夜を駆け抜ける。
黒い台風を迎え撃つべく、セイバーが士郎の前に出た。黒いコートを風に靡かせ、片手に剣を、片手に杖を携えて、全てを破壊せんと迫るバーサーカーを真正面から迎え撃つ。
「下がりなさい、マスター。身の程は知っているでしょう?」
「――――悪い、セイバー。ここは任せる」
苦々しく言って、士郎はそのまま後ろに下がった。セイバーを、更に言えば女性をバーサーカーと戦わせるのは気が引けるが、自分ではバーサーカーには太刀打ちできない。それは今日、他でもないセイバーに身をもって教えられたことだ。
(俺には、俺がやるべきことがある)
目を見開いて。悠然と佇むセイバーと、轟然と駆けるバーサーカーをしかと見つめながら、士郎は凛の元まで後退した。
「アーチャー、セイバーの援護を。今回はあなたのスタイルで戦いなさい」
「凛」
「大丈夫よ。三人も居れば、喰い止めることくらいはできるわ」
具現化した赤い弓兵に、凛が静かにそう告げる。
アーチャーは小さく頷き、しかし、
「駄目だ、遠坂」
「同感だ」
士郎の言葉に同意を示した。
「――――アーチャー、それに衛宮くん。それはどういう意味?」
「そのままの意味だ、凛。残念だが今回はその小僧の方が正しい。セイバー一人ではバーサーカーを食い止められないぞ」
断罪するような凛の問いに、アーチャーは当然、という風に答えを返す。
凛は細めた視線を己のサーヴァントに向け、数瞬に満たない思考ののちに頷いた。
「分かったわ。なら、あなたも前線を形成して」
「了解した、マスター」
短く頷き、何処から取り出したのか、赤い弓兵は両手に陰陽の剣を持ち駆け出した。
夜の闇に三つの影が舞う。
正面から斬り合い、狂戦士相手に互角の勝負を演ずるセイバー。
バーサーカーを中心に円運動を繰り返し、ここぞという機会で斬撃を繰り出しセイバーの援護を行うアーチャー。
そして、そんなものを意に介すこともなく石斧を振るい、万事に破壊を撒き散らすバーサーカー。
(探せ。探せ探せ探せ)
傷口を抑え、その痛みで朦朧とする意識を繋ぎ止めながら、士郎は必死で戦線を凝視し解析する。
じわり、と手の内に広がる血の感触は既に馴れたもの。
士郎はあらゆる情報、あらゆる断片を逃すまいと意識を研ぎ澄まし、その言葉を聞いた。
「士郎。正直に答えて」
凛の声。士郎と同じように戦況を見つめ、最高の一手を打つべく機会を探っている魔術師は、静かな声でそう問うた。
「あなた、本当にセイバー一人じゃバーサーカーを食い止めることが出来ないと思ったの?」
「ああ。嘘じゃない」
士郎は即答する。言葉の通り、一片の嘘も偽りも無く、自身が持つ最高の誠実さでもってその事実を肯定した。
「セイバー一人じゃ、前衛は無理だ。この間見ただろ? アレ相手に前線を形成するのは、セイバーでもアーチャーでも不可能だ」
「でも衛宮くん。このままじゃあ消耗戦よ。セイバーかアーチャーか、どちらかが先に欠けて一気に傾くわ」
冷たい声で凛は状況を分析する。その結論は、士郎が解析したものと悪夢的な程に同一だった。
確かに現状では両勢の力は拮抗している。セイバーは細身の剣を軽やかに操り、アーチャーは陰陽の短剣でもってバーサーカーの石斧を防いでいる。しかし、それはあくまで一時的なものだ。よくよく見れば―――― 一合の討ち合いではなく、一戦の討ち合いを把握し長い視点で眺めれば、実際の戦いはこちらの劣勢だと知れる。
何故なら、バーサーカーは二人を相手にしていない。半端な攻撃では傷つかぬが故の選択であろう。かの狂戦士は己が相手と決定した片方のみに向き直り、石斧を繰り出している。時折その対象が代わりはするが、基本的にバーサーカーは一対一の状況を作り出しているのだ。
だが、一対一ならば狂戦士に敵う筈も無く――――破壊の嵐に晒され、セイバーが、アーチャーが身を崩す。決定的な、致命的な隙を晒すことになる。その瞬間をバーサーカーに攻められれば、例えセイバーといえど簡単に崩れ去るだろう。
しかし、こちらはあくまで二人である。セイバーとアーチャー。どちらかが攻められ、隙を見せたなら、バーサーカーがそこを崩すより早く、もう片方が助けに入る。いや、助け、というのは語弊があるだろう。
バーサーカーは常に必殺の一撃を放ってくる。それに対し、セイバーもアーチャーも、その斬撃はバーサーカーに届きはしても、その姿勢を崩すには至らない。その事実だけならば、この戦いの結果は明白。例えそれが隙を生む結果であろうとも、狂戦士は片方が見せた隙を逃さずそれを仕留めるだろう。
ならば、何故バーサーカーはそれをしないのか。片方が隙を見せた瞬間に、その隙を突こうとしないのか。
その理由は、勿論、一つしかない。
(セイバーには、アーチャーには宝具がある)
英霊でありながら使い魔。使い魔でありながら英霊。
彼らには彼らを彼ら足らしめている必殺の手段があり、その幻想を前にしては如何にバーサーカーといえども存命は不可能。その事実は、前回の戦いで得られた共通の見解だ。
仮にバーサーカーがセイバーを仕留めたなら、その隙を狙い、アーチャーが宝具を放つだろう。
仮にバーサーカーがアーチャーを仕留めたなら、その瞬間、セイバーの宝具が巨人を切り伏せるだろう。
必殺の手段はバーサーカーの専門ではなく、セイバーにもアーチャーにも備わっている。
助けに入る、という言葉が正しくないのはその為だ。セイバーはアーチャーを、アーチャーはセイバーを助けるが為に宝具を介抱するのではなく、彼彼女はただバーサーカーを倒すために宝具を解放する。
しかし、宝具を解放するためにはその真名を呼ばねばならず――――その隙を、自身を必殺する為の隙を見逃すほど、バーサーカーもそのマスターも甘くない。どちらか片方を攻めきれば攻略できるバーサーカーが、時折その対象を変更しているのはその為だ。
(だから、これは千日手だ)
士郎は苦々しく思考した。僅かな抵抗を返し、噛み締めていた唇を噛み切ってしまう。
(三者には三者とも必殺の手段がある。だからこそバーサーカーは片方を攻めきることが出来ないし、セイバーたちは宝具を使うことが出来ない)
宝具を使う素振りを見せれば、バーサーカーはすぐさま標的を変更するだろう。
お互いがお互いの必殺の手段を封じ、機会を窺うしか選択肢が無い。
だがそこは英霊、簡単に隙を見せる筈も無く――――千日たっても、この状況は変化しない。
「遠坂、何かセイバーたちを支援する方法、無いか?」
「――――無いわ。私の魔術は大味だもの。バーサーカーだけを狙うなんて出来ないし、生半可な魔術じゃバーサーカーには意味が無いわ」
腕を組み、静かな、しかし苛立ちを挟んだ声で凛は答える。
く、と士郎は息を吐き、傷口を押さえる手に力を込めた。止血が良かったのか、それとも強く握り締めたが故なのか、出血は既に止まっている。
止まっているが――――力を込めれば、まだじわりと血が滲む。
(何か、無いのか)
思考を走らせる。可能性を模索する。
討ち合い斬り合い流し合い、命と存在を削り崩しあうサーヴァントたちを全て見据え、そこにあるはずの一糸の可能性を探り出す。
しかし。
(何か――――何にも無いって言うのか、糞)
傷の痛みで神経を研ぎ澄ませても、そこに一片の展開さえ見当たらない。
セイバーは戦いアーチャーは戦いバーサーカーは戦っている。
飛び散る火花。震える咆哮。砕ける世界。
そんな、英霊同士の戦いというハイエンドの戦いに、どうして自分如きが可能性を見出せようか。
(せめて形勢が崩せれば)
それがどんな形であっても構わない。例えその結果としてこちらが更に不利な状況になったとしても、このまま消耗戦の果ての全滅よりは可能性があるはずだ。四対六である形勢が三対七に、二対八になったとしても、その瞬間。形勢が移るその瞬間に、何かしらの機会があってもおかしくはない。
しかし。果たしてこの戦いに、サーヴァント同士の戦いに、形成を崩すほどの要因が混ざりこめるのだろうか。サーヴァントたちの戦いに投げ込めるだけの石を持つ者が、果たして存在するのだろうか。
(それこそ高望みだ――――)
苦渋で思い、凛を見やる。
凛は毅然と佇んだまま、しかし不思議と絶望を漂わせた顔でこちらを見ていた。
求められている、と悟り、
「遠坂。令呪、残ってるのか?」
確信と共に、そう問うた。
「あと一回よ。士郎は?」
「二回残ってる。なら俺が機会を作るから、遠坂は止めを請け負ってくれ。倒すだけなら令呪は要らないだろ」
「――――何言ってるのよ。私のために二回も令呪使わせたら、あんたに向ける顔がなくなるじゃない」
憮然と凛は言うが、その声音には沈んだ納得の色が濃かった。
ふう、と士郎は息を吐いた。凛の顔を見て、敵わないな、と思考する。
凛はおそらく理解している。この状況を切り抜けるには、どちらかが、或いは両方が令呪を使いサーヴァントの能力を限定解除するしかなく――――同じ令呪を、バーサーカーのマスターも保有していることを。
令呪を使用して機会を作ったとしても、同じく令呪を使われて機会を潰されかねないことを。
(これは、賭けだ)
左手の令呪を意識して、士郎はそれを認めた。令呪は三度しか使えない絶対命令権。それをこんな、勝利が確定できない状況で使用するというのは限りない愚策。愚策、ではあるが。
「他に方法、無いだろ」
「そうね、それは認めるわ。――――わかった。追撃は任せなさい」
切り替えが早い。魔術師として間違いなく優れた凛に一瞬だけ憧憬の瞳を向け、士郎も気持ちを切り替えた。
左手をセイバーに、バーサーカーと切りあうセイバーに向ける。
頭の中で紐を解くようなイメージを作り上げ、
「見苦しいな。舞うならばもっと華麗に舞え」
予想だにしなかった声により、紐解きの空想は見事に霧散した。
男が立っていた。黒いスーツを無造作に着込み、金の髪の下に赤い瞳を覗かせる男。
しかし、全員の視線はそちらに向いていない。士郎も、凛も、セイバーもアーチャーも。イリヤもバーサーカーでさえも、この場に現れた第三者を見ていなかった。
六人分、計十二の眼が向けられているのはただ一つ。
サーヴァントたちの戦いの中心に打ち込まれ、地面に突き刺さった赤い槍だった。
「――――あなた、誰」
最初に我に返ったのはイリヤ。イリヤは憎々しい顔で男を見上げる。
男は少女の視線を鼻で笑うと、こちらを見下しながら片手を中に上げた。
「同じ半神の気配を感じて来て見たものの……なんとも下世話な見世物だ」
男の手には小さな鍵が握られていた。
くい、とそれを捻れば、男の背後で不可視の扉が口を開ける。
「つまらん。死ね」
男は神の如き不遜さでそう託宣した。
蔵から撃ち出されたのは千の槍であり、千の剣であり、千の斧であり千の鎌だった。
視界を埋め尽くす武器は全て一級品。それら全てがセイバーの持つ“万難排す絶対の剣”と同等かそれ以上という、紛れもない宝具の域に身を置く武装たち。
「――――あ」
思わず、声が洩れた。絶望も悲観も諦観も含まない、純粋な、驚くほどに純粋な、感嘆の吐息。
万と揃えられた一級品を目にしたが故の、衛宮士郎の本質が思わず洩らした純粋な感動の吐息。
サーヴァントたちの決断は早かった。彼らは戦いを刹那に満たぬ空隙で中断し、己のマスターを護るために剣を振るい矢を叩き落す。
がちがちがち、と、数多の武器が地面に落ちる音が連続して響いた。
「ッ……! マスター、なに呆けてるの!」
「――――え?」
セイバーの叱咤を聞き、士郎はようやく我に返った。
地面に転がる必殺の道具を見下ろし、ごくり、と息を飲む。
「なんだ――――なんなんだ、アレ」
「説明が欲しいならしてあげるけどね。いまは先に考えることがあるでしょう」
剣を構え微塵の隙も見せぬまま、セイバーはこちらを見ることもなく呟いた。
その声に未だかつて聞いたことがないほどの緊張が含められていることに気付き、士郎は息を飲む。
それを、自分の中に生まれた感情を頭を振って振り払い、士郎はそこに佇む男を見上げた。
男は軽薄な、そして酷薄な笑みでこちらを見下ろしている。
その背後に浮かんでいるのは、数多の武器たち。
「ふん。防いだか」
心底つまらなそうに、男は言う。
「目障りだ。雑種なら雑種らしく、素直に死ぬのが礼儀であろう」
「う――――うるさい、やっちゃえバーサーカー……!」
男の態度が癪に障ったか、イリヤはヒステリックに叫び男の抹殺を命じた。
黒い巨人は咆哮を上げ、セイバーとアーチャーを無視し男に向かって走り出す。
それは絶対の好機。
バーサーカーが背を向け、セイバーとアーチャーが同時に動けるという、考えもしなかった最高の機会。
機会、だが――――二人が己のマスターの前から動こうとしないのは、彼の男の危険性を肌で感じているが故か。
バーサーカーは駆ける。石斧を振り上げ、先端が触れた電信柱を粉と砕きながら、何の障害も無く先に進む。
「セイ、バー」
額に冷や汗と脂汗を混ぜたような嫌気の差す汗を浮かべながら、士郎は小さな声でサーヴァントの名を呼んだ。
なに、と、セイバーはこちらに背を向けたまま問い返してくる。
士郎はごくりと唾を飲み込み、絶対の確信と諦観でその結論を告げた。
「死ぬぞ、バーサーカー」
「でしょうね」
淡々と返すセイバー。僅かに窺えるその表情は剣のように引き締まり、そこには一片の余裕も猶予も無い。
「衛宮君」
声を掛けられ、士郎はそちらを向いた。
凛は顔をバーサーカーに、否、狂戦士が討ち滅ぼさんとする男を向けながら、視線をこちらに向け、
「逃げるわよ。あのサーヴァント、やばすぎるわ……!」
震えを必死に押し殺した声で、そう告げてきた。
士郎は素直に頷こうとして、
「――――あ」
それを、目に留めてしまった。
「? どうしたのよ、衛宮くん」
「悪い、遠坂。先に逃げてくれ」
「え?」
間の抜けた凛の言葉を聞きながら、士郎は躊躇わずに駆け出した。
割れたアスファルトに脚を取られながら、熱の抜けた身体に鞭を打ちながら、必死に走る。
「ちょ、マスターなにやってるのよ……!」
セイバーの怒声が聞こえるが、気にならない。
士郎はただ先に進むべく脚を動かし、
「馬鹿が」
慈悲の無い、男の声を聞いた。
「逃がすと思うか」
ぱちん、と男が指を弾く。
刹那、夜闇を射殺しながら先の嵐よりなお多い武器の嵐が全員を襲った。
「■■■■■■■■――――――――!!」
狂戦士が雄叫びを上げ、己に迫る剣を叩き落す。
凛に関しては問題ないだろう。肩越しに振り向けば、アーチャーとセイバーが二人掛かりで迫り来る槍を弾いていた。
自分も大丈夫。立っている位置が幸いした。ここは男とバーサーカーの直線上であり、バーサーカーが武器を弾いたのならば、自然と自分に向けられた武器も弾かれたということになる。
だから、問題は。
「――――え?」
バーサーカーが打ち洩らした、ただ一本の剣に打ち抜かれようとするイリヤのみ。
士郎は間に合え間に合えと己を叱咤し、イリヤに駆け寄ろうとして、
(駄目だ)
泣き叫びたくなるほどの絶望感で、その事実を認めた。
十メートルも無いその距離が、驚くほど遠い。
鍛えていた筈の自分の身体が、驚くほど鈍い。
少女はヒステリーから我に返り、ただ目前に迫る矢をきょとんとした目で眺めている。その瞳はやけに空虚で、そう、親に忘れられ見捨てられた子供のような――――
「――――」
士郎は息を止め、己を叱責した。やめろと。情けないと。お前にそんな資格は無いと。
ああ、そう。
「イリヤ――――」
少女の名を。
「――――姉さん」
そう呼ぶ権利が、どうして己に存在しよう。
「え?」
酷く場違いな、驚いた声。
イリヤは赤い瞳をこちらに向け、呆、と感情の無い表情を浮かべる。
「――――」
士郎は気付いた。自分の間違いに。自分がしなければならないことに。
(俺はまだ、何もしていない)
戦っていたのはセイバーで、傷を負わされたのはアーチャーで。
親代わりになったのは切嗣で、選んだ道はセイギノミカタ。
そんな自分が、どうして。
イリヤという少女から、父親というものを奪っていた自分が。
自分がどうして、父の本当の娘であるイリヤを救えない道理があるのだろう。
(助ける。イリヤを、絶対に助ける)
時間が無い。急げ。あと数瞬でその剣はイリヤの額を貫く。
だから、それより早くイリヤを救え。
イリヤが死ぬ前にイリヤを救え。
イリヤを死なすな。絶対に、絶対に、イリヤに謝る前に彼女を殺してなるものか。
だから、イリヤを救えるというのならば。
この身体など、惜しくはない。
(けど、間に合わない)
残るは三瞬。それだけの時間ではイリヤの盾となることも、イリヤを突き飛ばすことも出来はしない。
ならば考えろ。
状況を見据えて動くのは魔術師の仕事だ。
さあ考えろ。
さあ考えろ。
さあ考えろ。
自分には、衛宮士郎には何が出来る?
自分は何を持っている?
衛宮士郎には何が出来る?
(――――ああ、そうだ)
簡単な話。
イリヤの盾になることも叶わず、少女を動かすことも出来ないならば。
(撃ち落せばいい)
剣を。イリヤに迫る必死の剣を、横合いから撃ち落せばいい。
けれど何で撃ち落せばいいのだろう。あの剣、少女を殺そうとするあの剣は、紛れもない一級品の魔剣。それに対抗し、勝利する弾が何処にある。
弾。弾丸。少女を討とうとする魔弾を撃ち落すための弾は、
(――――目の前にあるだろう)
これもまた、考えるまでも無い話。
それがどれほど強力な魔弾でも、まったく同じ物をぶつけてやれば消えるのが摂理。
残り二瞬。
士郎は手を掲げた。その手が左手だったのは、令呪を意識したからかもしれない。
成功の可能性を考えるのを放棄。
無理な魔術の代償がこの命を絶やすかもしれないという懸念すら廃棄。
余分なことを考えれば、きっと失敗してしまう。
失敗は出来ない。絶対に許されない。
なにもこの身が惜しいわけじゃない。
ただ、いま魔術をしくじれば、
(イリヤを殺すことになる――――)
だから決意はそれで十分。
残り一瞬。
士郎は小さな、自分でも驚くほどに魔術師然とした冷たい声で、
「投影、開始」
鈍い魔術回路を起動させた。
ぎぢぃ、と鈍い音を立て、少女の頭を砕かんとした魔剣は横合いから叩き付けられたまったく同質の偽物により、硝子のように砕け散った。
ぽかんと。その光景を、凛は呆けたように眺めていた。
(何、を)
一体何をしたというのだろうか、あの魔術師は。
考える。一流と自負する思考回路でもって、いま起きた現象を推測する。
彼女の優れた思考はさも当然のように正解を弾き出し、一流である彼女の理性はそれを必然として否定した。
衛宮士郎が行ったのは、投影魔術。
その事実は、彼女が一流であるが故に受け入れることの出来ないジョーカーだった。
「――――雑種」
男が初めて、声に侮蔑以外の感情を込めた。凛は弾かれたように顔を上げ、金髪の男に顔を向ける。
男は端正な顔を怒りと蔑みに歪め、全てを殺さんという視線で士郎を睨んでいた。
しかし、それに答える力など士郎には無いだろう。当たり前だ。士郎はイリヤに迫る魔剣を撃ち落した後、糸が切れた人形のようにばたりと地面に倒れ、微動だにしていない。
「――――貴様」
声が震えていた。純粋な憎しみに震える声は、傍から聞いてもぞっとするほどに敵意を含んでいる。
男は士郎を徹底的な侮蔑の瞳で見下げ、
「――――貴様、偽者師か」
嘲笑の言葉で彼を揶揄した。
男は嘲笑う。容赦の欠片も無い笑顔を、倒れたままの士郎に向ける。
「ふん――――雑種の分際で我の道具を真似しようなどと、思い上がり以外の何物でもないな。気に食わん。気に食わん気に食わん気に食わん気に食わん気に食わん気に食わん――――気に食わん、が」
呟き、男は士郎から顔を逸らした。男が新たに顔を向けた先には、
「■■■■■■■■――――――――!!」
咆哮を上げるバーサーカーが目の前に立っている。
バーサーカーは石斧を振りかぶり、破壊の塊を男に振り下ろす。
しかし男は狂戦士と、目前に迫る石斧の乱雑な刃を鼻で笑い、
「興が逸れた。次に舞うときはもっと華麗に舞ってもらうぞ」
何処からか取り出した鎖で、黒い狂戦士の動きを止めた。
「■■■■■■■■――――――――!!」
バーサーカーが怒声を上げる。至近距離、それこそ手を伸ばせば届くだけの距離が、バーサーカーをもってしても詰められない。
男は鼓膜を劈く咆哮を嘲笑で聞き流し、さも当然のように背中を向けた。
そうして男は歩き去る。
無防備な背中。隙を見せる所の話ではないその背中に、誰も動けない。
誰もが理解していた。
動けば自分が殺されるという、そんな当たり前の事実を。
男の姿が完全に視界から消え、同じタイミングでもってバーサーカーを繋ぎ止めていた鎖が消えた。
バーサーカーはゆっくりと、無念を怨念に変えた瞳をセイバーたちに向ける。
石斧を片手に一歩を踏み出し、
「止めなさい、バーサーカー。今夜はここまでよ」
少女が全身を覆う令呪を消費してまで、その動きを止めた。
「……どういうつもりだ、イリヤスフィール」
双剣を手に、アーチャーが問うた。
赤い弓兵は背後に凛を護り、イリヤとバーサーカー、そしてセイバーに油断無い視線を向けている。
雪の少女はアーチャーの問いには答えず、ててて、と倒れたままの士郎に駆け寄った。全身を注意深く撫でまわし、その顔を悲痛に歪める。
イリヤは二度息を吸い、吐き、何かを覚悟したようだった。細い指を士郎の腕に這わせ、動脈をなぞるように心臓まで遡る。
「――――見つけた」
小さな呟き。続いてイリヤは目を閉じ、ここからでは聞き取れないほど小さな声で呪文を呟く。
ほんの数秒の空白ののち顔を上げたイリヤは、少しだけ悲しそうな、しかし吹っ切れたような表情を浮かべていた。
「それで、イリヤ。どうするの?」
アーチャーの代わりに尋ねたのはセイバー。
白い少女は黒いコートのサーヴァントを見て、ゆっくりと首を振った。
「今日はもうやめておくわ。それよりもリン、シロウをよろしくね。処置はしておいたから、あとはあなたでも十分だと思う」
「え? ちょっとイリヤ、それってどういう――――」
「さ、行こう、バーサーカー。ごめんね、恐い思いさせちゃって」
凛の言葉には微塵も答えず、少女は巨人を伴いその場を離れた。その背中は何の名残も残さず、あっという間に夜の闇に消えてしまう。
脅威と感じた者が誰もいなくなり、凛は一人呟いた。
「ああもう、なんだってのよ……!」
言いたい文句は多すぎて、とても一言では言い尽くせない。
だからとりあえず、凛は士郎の元に駆け寄った。
そう、とりあえず。
とりあえず士郎が目覚めなければ、愚痴を言うべき相手も居ないのだから――――