Fate / other night

 

 

              11 / Bad Luck?

 

 

 買出しを終えた頃には昼食時になっていた。

 士郎は買い物の成果を両手に提げながら、昼の賑わいを見せるマウント商店街を後にした。数本の路地を越え、人気がなくなったのを確認して声を上げる。

「で、どうだった、セイバー」

「とりわけ言うことはないわ」

 返ってきたのは、半霊化しているセイバーの声。

 士郎は顔をしかめ、足を止めた。

背中を電信柱に預け、苦々しく呟く。

「変化なし、ってコトか」

「ええ。魔力は相変わらず柳堂寺に流れているし、他のサーヴァントの気配も感じられないわ。勿論、まだ昼間だってことも影響しているでしょうけど」

「じゃあ、やっぱり」

「凛から聞いているでしょう? 持久戦ね」

 淡々としたセイバーの言葉を聞き、士郎は小さく舌を打った。

「遠坂の使い魔が桜を見つけ出すのを待つしかないって訳か」

 呟き、そんな理想を未だに抱いている自分を嫌悪する。

 

 間桐桜の所在が不明になってから、今日で三日目。未だに桜の居場所は掴めず、現在どのような状況に置かれているのかも分かっていない。

(大丈夫)

 自分にそう言い聞かせるが、それが気休めでしかないことを頭のどこかで理解している。

 せめて、それがいまでないのなら。聖杯戦争だなんていう、気の違ったようなゲームの最中でなかったのなら、ここまで心配はしなかっただろう。行方不明という事態は確かに大事だし、もしそうなったなら自分は何に代えても桜を探し出そうとしただろうが、ただそれだけの事件で終わった筈だ。

 だが、しかし。

 聖杯戦争が起こっているこの冬木で、数日間行方が知れないという事実は――――嫌な予感を、繰り返し繰り返し囁いてくる。

(きっと、大丈夫)

 士郎は自分の身体を抱いた。ともすれば今すぐにでも駆け出して、桜を探し出そうとする身体を必死になって押さえつける。

(順番が、違うんだ)

 桜が■んでいるという予感を切り捨て、ぎり、と奥歯を噛み締めた。

(まず桜が何処に居るのかを探さないと。桜の居場所を見つけないと、探しになんて行ける筈もない)

 否。探すだけなら、探し回るだけなら目的地なんてなくてもできる。

 だが、もしもその途中で他のマスターと遭遇し、挙句殺されるという事態になったなら。

(桜を探すことすら出来ない)

 自分が死んでしまったら、桜を探すことさえ出来はしない。

 昨夜、セイバーと凛に揃って諭されたその事実が、忌々しいほど冷徹に感情の暴走に歯止めを掛けている。

 

「糞」

 吐き捨て、士郎は顔を上げた。喧騒は遠く、半端な静寂が世界を満たしている。

 掠れた喧騒が己を責める罵倒に聞こえて、士郎は強く手を握り締めた。

 

「マスター」

「――――」

 

 士郎は答えず、ただ、頷いた。

 息を吐くと同時に肩を下ろし、理性を焼く熱を放出する。

 

「分かってる。遠坂だっていま必死に使い魔を飛ばしてるんだ」

 

 休戦協定中であり、同時に衛宮邸に逗留している凛は、ここ数日使い魔の作成と派遣に余念がない。自分もこうしてセイバーを連れ、見回りよろしくサーヴァントの気配を探っているが、目下成果がないことを考えると、頼みの綱は凛の使い魔だけということになる。

 その事実に歯噛みして、士郎は自身の憤りを収めるために瞳を閉じた。

 はぁ、と大きく息を吐き、理性で感情の制御を試みる。

 魔術師としては半人前だが、それでも自己の調律ぐらいはお手の物。魔術を行使する際の精神集中の要領で、駆け出そうとする感情を縛り付ける。

 

「マスター」

 

 セイバーの呼びかけ。

 士郎は無言で答え、頷き、しかし動かない。

 瞳を閉じて空を仰ぐその姿は、まるで仏像のように味気なく、生きている気配が何処までも希薄だった。

 どれだけの時間を費やしただろう。

 感情の疼きを押さえ込んだ士郎は吐息と共に肩を竦め、悪いな、とセイバーに詫びた。

 

「帰ろう。遠坂が待ってる」

 

 呟いた言葉は、自分のものとは思えないほどに掠れていた。

 その声に何かを感じたか、す、とセイバーが現界した。

 セイバーは苦笑にも似た辛そうな顔で、僅かに口の端を歪める。

 

「ごめんなさいね、マスター。あなたにしてみれば、その選択が一番辛いでしょう。今すぐ桜を探しに行きたいって顔をしてるわ」

「そう、かな」

「ええ、そうよ。でもマスター、何度も言うようだけど」

「分かってる、分かってるよ。下手な手は打てないって言うんだろ? 遠坂が桜の居場所を見つけるのを待って、見つかったときに全速力で探しに行くのが一番賢明だって言うんだろ?」

 

 声には焦燥の響きも、自虐の影もない。

 

「分かってる。分かってるんだ、そんなことは」

 

 自分自身に言い聞かせるようにそう言って、士郎は肩の力を抜いた。

 なのに。

「辛そうね、マスター」

 なのに何で、そんな、押さえつけた感情を逆撫でるような言葉を掛けてくるのか。

 士郎は息を飲み、止め、呟きと共に吐き出した。

 

「辛い、よ」

 

 口に出してしまえば、その言葉は呪詛のように意識を駆り立てた。

 ぞわり、と背中に走る悪寒。嫌な予想を抱いてしまうが故の寒気。

 

「辛い。物凄く辛い。泣きたいぐらいだ」

 

 両手が塞がっているのがもどかしい。できるのならば、自分を抱いて束縛したい。

 震えを――――桜を失うという恐怖を隠すため、自分自身を抱きかかえて隠したい。

 

「桜は、俺の家族なんだ。桜が居て、藤ねえが居て、それが俺の日常なんだ」

 

 思い出してしまう。

 桜の探索に対して、消極的な持久戦を提案した昨夜の凛。

 その言葉を聞いた瞬間、意識を染め上げた感情の渦を思い出してしまう。

 

「恐い。物凄く恐いんだ、セイバー」

 

 もし。もし仮に、そのときアーチャーが居らず、セイバーが居なかったのなら。

 自分は、その感情を押さえきれなかったかもしれない。

 

「桜が居なくなるのが恐い。桜が居なくなるのが恐い。桜が居なくなるのが恐い。桜が殺されているかもしれないって可能性が、泣きそうなほど恐い」

 

 掴み掛かっていたかもしれない。

 冷静で、合理的で、道理に適った提案をした凛に掴み掛かり、その顔を、

 

「――――家族を失うのが、恐いんだ、セイバー」

 

 凛の顔を、殴りつけて、しまっていたかも、しれない。

 

 吐露した言葉は、呼び水のように過去の記憶を呼び覚ました。十年前の火災。もはや顔すら思い出せない両親。名前も知らない多数と同じように死んでしまった両親。俺を救い、救われたと呟いた切嗣。正義の味方になりたかったと言い、最後に安らかな顔で静かに息を引き取った切嗣。

 家族を失う悲しみは、怒りは、絶望は、嫌というほど知っている。

そして、あらゆる感情を包み凌駕してしまう空虚をも理解している。

 

 認めるまでもない。

 

 衛宮士郎は、家族を喪うという事態を、おそらくは何よりも恐怖している。

 

「マスター」

 

 三度、セイバーの呼び声が聞こえた。

 士郎は奥歯を噛み締め、青褪めた顔をセイバーに向ける。

「変かな、俺」

「いいえ。魔術師としてどうかはともかく、人としてなら、その恐怖は決して間違いではないわ」

 セイバーは言う。

「でもね、マスター。一つだけ覚えておきなさい。あなたが桜の心配をするように、凛も桜の心配をしているわ。きっとね」

「遠坂、が?」

 ぽつり、と士郎は聞き返した。

 嘘だ。信じられない。桜が心配なら、なんで、なんで遠坂はあんな風に振舞えるって言うのか。

 猜疑が顔に出たか、セイバーは肩を竦める。

「嘘じゃないわよ。でなければ、あんなに必死に使い魔を飛ばす筈がないでしょう? だいたい、もし桜がマスターが抱いている最悪の状況だったら、」

「セイバー」

「……ごめんなさい。配慮が足りなかったわ。とにかく、あなたが言う“魔術師”としての遠坂凛が、桜が見つかるまでの休戦協定に応じているのよ? 本当ならそんなもの、しなくてもいい筈なのに」

 

 セイバーは苦笑している。

 それは、不出来な弟子を見る師匠のような表情だった。

 

「にも関わらず、凛はマスターと協定を結んで、偽りなく桜の探索に身を砕いている。魔力を蓄えているキャスター、意図の計れないランサー、目下の脅威であるバーサーカー。そしてギルガメッシュ」

 

 バーサーカーとの戦いに姿を見せた金髪の男。

 セイバーは、その正体が八人目のサーヴァントであると語っていた。

 

「問題は山積みなのに、それを後回しにして桜を探している。ねえマスター、私の見解は間違っているかしら?」

 苦笑を不敵な笑みに変え、セイバーは問うてきた。

 だが、そんなものは考える必要すらなく。

「――――そう、だな」

 短い言葉で、士郎は頷いた。

 頭を振り、協力者への猜疑を謝罪と共に振り払った。感情の熱はいつか冷めていて、意識を犯していた予感もとりあえず落ち着いている。

 だから士郎は笑顔を浮かべ、セイバーに提案した。

「じゃあ、帰ろうか、セイバー。これ以上遅れたら遠坂に殺されそうだ」

「ええ、そうねマスター。でも、」

「ん?」

 

 言葉を続けようとしたセイバーに、士郎は歩き出しながら首をかしげた。

 一歩を踏み出し、

 

「――――お?」

 

 くい、と引かれるように歩みを止めた。服の裾がどこかに引っかかったような感覚。

 

「でも、いい加減気付きなさいよね」

 心底呆れたようなセイバーの声。

 士郎は視線を下に向け、

 

「――――」

 

 これ以上ないほどに不機嫌そうな顔のイリヤが、頬を膨らませながらこちらの裾を掴んでいる姿を視界に収めた。

 

「イリ、ヤ?」

 予想外の人物に、思わず名を呼んでしまう。

 

「――――」

 

 しかしイリヤは答えない。士郎の服の裾を掴んだまま、頬を膨らませ、怒っているような視線を投げてくる。

「えっと、その。イリヤ、何時から……?」

「私が何のために姿を見せたと思ってるのよ、マスター。イリヤに声が聞こえるようにするために決まってるでしょう?」

 少女ではなくセイバーが代わりに答える。

 セイバーは呆れた、と呟き、渋面で自分の顔を手で覆った。

「鈍いってのは知ってたけど、これほどとは思わなかったわ」

「――――」

 うー、と唸りながらイリヤは裾を引っ張る。

 気付かれていなかったことがよほど不本意なのか、よく見ればその目は涙で潤んでいて、今にも泣き出してしまいそうだ。

「ええと」

 こんなときに何を言えばいいのか。

 しどろもどろになりながら、とりあえず両手のビニール袋を地面に下ろす。

 裾を掴んだ手は硬く握り締められていて、簡単には離してくれそうにない。

 

「シロウ」

 

 ご機嫌な斜めです、と言わんばかりの声音で、少女はシロウの名を呼んだ。

 

「サクラっていう人は、シロウにとって大事な人なの?」

 

 続いて紡がれたのは、しかし、平坦な問いかけ。

 士郎は一瞬の躊躇いもなく頷いた。

 

「ああ。桜は、俺の大事な家族だ」

「それは誰よりも?」

「誰よりも」

「何よりも?」

「何よりも」

 

 その問答は、もはや前提の確認でしかない。

 士郎は嘘も偽りもなく答え、イリヤは俯いた。

 そして少女は再び顔を上げる。その顔から感情は消えていて、

 

「――――私よりも?」

 

 置いていかれた子供のような、親とはぐれたの子供のような。

あらゆる感情を排除した、何よりも孤独という空虚を知る赤い瞳に、射抜かれた。

 

「あ」

 

 声が洩れる。

どくり、と心臓が大きく跳ねた。

 

「シロウは家族を失うことが恐いの?」

 

 その声は詰問のようで、

 

「シロウは一人になることが恐いの?」

 

 その言葉は弾劾のようで、

 

「シロウは置いていかれることが恐いの?」

 

 その問いは糾弾のようだった。

 

 馬鹿、と怒鳴りそうになった。

 何を言っているんだ、と叫びそうになった。

 イリヤでないなら構わない。セイバーでも、凛でも、ああ、あのいけ好かないアーチャーであったとしても、イリヤでないのなら、その問いかけは静かに受け止めよう。甘いと、子供だと貶されても、恥じることなく頷こう。

 でも、イリヤ。それは駄目だ。

 他の誰かならいい。けど、イリヤ、おまえは絶対にそんなことを口にしちゃいけない。当たり前のことを当たり前と感じられず、ただ空虚に自身に問うような真似は、絶対にしちゃいけない。

 親父を責めるのは分かる。俺を責めるのも道理だ。

 けれど、いや、だからこそ。

 

自分を責めるのは、止めろ。

 

俺を詰るように、自分を詰るような真似は、絶対にしちゃいけない。

 

「イリヤ」

 

 士郎は名を呼んで、置いていかれた少女の身体を抱きしめようと身を屈めた。

 伸ばした腕を、しかし少女は後ろに下がって拒絶した。あれほど離さないと思わせた袖をあっさりと離し、俯き、数歩後退する。

 士郎は動けない。イリヤの動作の真意は当然のように知れる。

 少女が拒んだのなら、この距離を自分から縮めることは許されない。

 たぶん、それが、けじめ。

 拾われた子供(エミヤシロウ)捨てられた子供(イリヤスフィール)との間の、絶対距離。

 

「シロウ」

 

 少女は小さな声で名を呼んだ。

 幼い顔に浮かんでいるのは、伽藍のように何もない、形だけの微笑。

「シロウは、サクラと私、どっちが大切?」

 繰り返されたのは先程の問い。

 視界の隅で、セイバーが唇を噛み締めて俯いている。

「俺は」

 二人の姿を脳裏に焼き付け、しかし、士郎は迷わない。

 イリヤの赤い瞳を真っ直ぐに見返して、心からの誠実さで答える。

「俺には、二人とも同じように大切だ」

 卑怯な答えだ、と自身を罵倒する。けれど、これ以外の答えがないのも事実。

 

「桜も、イリヤも、同じくらい俺にとっては大切な、家族だ」

 

 その言葉に、少女が破顔した。形だけの笑みを捨て、柔らかな、確かな微笑を顔に浮かべる。

 

「そっか」

 

 短く、イリヤは呟いた。

 

「そう、なんだ」

「イリヤ」

「でもごめんね、シロウ。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンで、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンでしかないの。私はいまの自分以外の自分を知らないし、知ることもできないわ」

 

 淡々と、それが紛れもない事実であると少女は説く。

 

「シロウの言葉は凄く嬉しい。嬉しいよ。でも、ね、シロウ」

 

 イリヤは顔を歪めた。笑みを残したまま、泣きそうな顔をする。

 

「私はシロウの家族にはなれない。それは、何もなかった私の、何も無かった過去すら否定することだから」

「違う! それは絶対に違う!」

 

 思わず、叫んでいた。

 人目も、恥も外聞も。全て雑事と忘却する思いで、少女の言葉を否定する。

 

「何もないって、そんな訳ないだろ。そんな馬鹿な話があって、」

「本当のことよ、シロウ」

 

 士郎の言葉を、少女は限りない冷淡さで切り捨てた。

 その声に容赦はなく、その瞳に躊躇いはない。

 

「私には何も無かった。だから私は、キリツグとシロウを殺すために生きてきた」

 

 それがなんでもない願いだと、何処にでもある普遍な思いだと言わんばかりに少女は語る。

 

「だから、シロウ」

 

 少女は口端を歪めた。泣くように笑い、笑うように泣く。

 なんて歪な表情。

 

「だから、シロウ。今夜あなたを殺しに行くね」

 

 他には無いと。

 殺す以外の返事は返せないと目で語り、少女は身を翻し視界から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻迫る赤い景色。

 柳堂寺の山門前の石段を舞台に、二つの影が戦っていた。

 ぎん、と互いの得物を打ち鳴らし、ランサーのサーヴァントは大きく後ろに飛び退いた。

 刹那、それまで首があった位置を冷たい風が吹いて過ぎる。無論、それがただの風である筈がない。触れれば斬り飛ばされる、鎌鼬などとは比べるべくもない凶悪な刀風だ。

 

「く――――」

 

 顔を苦渋に染め、うめく。一足で飛び退いた距離はおよそ三間。それほどの距離があれば、とりあえず不意打ちは無い。その事実に一息をつき、同時に自己嫌悪に襲われる。

 なんてザマだ、と自分にだけ聞こえるように吐き捨てた。

 

「どうした、ランサー。息が上がっているようだが」

 

 涼しい声が耳に届く。その言葉を発したのは、言うまでもなく、山門の前で無形の構えを取るアサシンだ。

 微かな笑みでこちらを見下ろすアサシンを仰ぎ、ち、とランサーは舌を打った。

「ほざけ。腰抜け野郎が偉そうに言うんじゃねえよ」

「ほう、腰抜けときたか。私は全身全霊で戦っているつもりなのだが」

 心外だ、と目を伏せるアサシンに、今度こそランサーは吐気を覚えた。

 己の魔槍を握りなおし、赤い穂先を青い侍に向ける。

 

「舐めた口叩くんじゃねぇ。自分から打って出ない奴が、腰抜けでない筈がねえだろ」

 

 罵りの言葉は、それが自分を落ち着かせるためのものだと理解している。

 だん、と足元の石段を爆発させ、ランサーは解き放たれた矢の如くアサシンに詰め寄った。一息で繰り出されたのは三撃。頭、心臓、肝臓を狙ったそれぞれは全てが必殺。

加えれば、彼がアサシンと合間見えるのはこれで二度目。一度目はアサシンそのものが目的で、この二度目は、柳堂寺に潜むキャスターの偵察という行為の付属品、言わばおまけだ。あのいけ好かないマスターが貸した縛りもなく、ランサーは彼が誇るその俊敏さを存分に発揮できている。

 発揮できている、が。

 

「は――――」

 

 信じられない、しかし数度目の光景に、ランサーは顔をゆがめて笑いを上げた。

 一息で繰り出し一瞬で疾った連撃は、尽くアサシンの長刀によって逸らされ外される。

 

「――――馬鹿げてる」

 

 思わず洩れた呟きは、自分で自分を嗤いたくなるほどに悲壮に染まっていた。

 ランサーの得物は二メートルを越える魔槍であり、アサシンの得物はそれに近い長刀である。自然、両者の得意とする攻撃距離(レンジ)は似通うことになる。ランサーとアサシンは己が一番得意とする距離でもって相手を打ち据えている。

 だが、二人の得物は似ても似つかぬ異種である。片や槍、片や刀。攻撃距離は似通っても攻撃手法はまるで違う。ランサーの攻撃は点であり、アサシンの攻撃は直線ですらない曲線。ここにおいて、速度という面でランサーは圧倒的に有利である。

 

 有利である、筈なのに。

 

「どうした、アサシン。驚いているのか?」

 

 一撃。二撃。三撃。

 同じように手加減なく、同じように必殺を期し、同じように同時に放たれた槍は、同じようにアサシンの長刀によって阻まれた。

 馬鹿げている、とはそのことだ。あの長刀。あれほどの長さをもつ刀で、サーヴァント中最速の自身の攻撃を捌ける筈がない。

 脳裏をよぎったのは夜の校庭で戦った赤い弓兵の記憶。あのサーヴァントも確かにこちらの攻撃を防いで見せたが、あれはランサーに課せられた縛りと、アーチャーの得物故の結果だと彼は考えている。全力を出せなかったという事実、そして二刀という相性。それがあったからこそ、あのサーヴァントは己の槍捌きを防いで見せたのだ。

 なのに、このサーヴァントはどうだろう。取り回しに向かない長刀、しかもただの一本で、こちらの槍を完璧に防いでいるではないか。

 

(俺より、早いのか)

 

 その事実に歯噛みをし、ランサーは再び距離を取った。

 しばし俯き、上げられた顔は、押し殺した笑みに歪んでいる。

 

「いいねぇ、最高だ。最高だよ、テメェ」

 

 殺しきれなかった声が、かはは、と洩れた。

 ランサーは魔槍を構えなおす。穂先を僅か下げ、獣の如き疾駆の姿勢を取る。

 

「最高だ。だから――――必殺の一撃を、御見舞いしてやるよ」

 

 その一言で、涼やかだったアサシンの顔に僅か緊張が走った。それまでの無形の構えを解き、刀身を地面と水平に保ち半背を見せる姿勢、異風ではあるが明らかな構えと思われるものを取る。

 その様を見て、もう一度、く、とランサーは噛み殺した笑いを上げた。楽しい。楽しくて仕方がない。サーヴァント中最速だと誇っていた自分と、その上を行こうというアサシン。身体を覆っているのは僅かな気だるさと、それにも勝る躍動感だ。

 

 ああ、楽しくない筈がない。この緊張感。アサシンの構えから漂ってくる濃密な死の気配。それを感じ、弾けようとしているこの身体。これほどの戦いはどれほどぶりだ。これに、この緊張感に比べれば、あの夜のアーチャーとの戦いなど茶番にも等しい……!

 

 はあ、とランサーは息を吐いた。目を細め、アサシンを見る。

 

「行くぞ」

 

 そして、疾走。

 

「“刺し穿つ( ゲイ)――――”」

 

 魔槍の真名を唱える。

 赤い槍は世界に干渉し、因果を逆転させて相手の心臓を貫くだろう。

 それは呪いじみた絶対の結末。

 

「“死棘の槍(ボルク)”――――!!」

 

 

 かくて赤い魔槍は己を体現し、因果律を書き換えてアサシンに迫り――――

 

 

「――――ふむ?」

 

 困惑したような、疑問の声が耳に残った。

 

「な」

 

 何故だ、と言葉すら浮かばない。

 必中の筈の魔槍は、しかしアサシンの無造作な一撃で、あっけなく軌道を逸れていた。

 

「どうした、ランサー。先の剣戟の方がよほど気合が篭もっていたぞ」

 

 アサシンの言葉には落胆の色が濃い。

 槍を弾いた長刀は、返す軌跡でこちらの首を狙っている。

 その一撃は先程と同じ。一撃必殺が信条なのは同じなのか、アサシンの斬撃は必ず首を狙ってきていた。いままで弾きかわしていたように、この一撃もかわすのは難しいことではない。

 

 本来、ならば。

 

「が――――」

 身体を跳ね回る激痛に、ランサーは声を洩らしていた。経験したことない痛みが、想像すら及ばなかった激痛が身体のうちをのた打ち回っている。身体を支配下に置くことが出来ない。

 

(何故だ――――?)

 

 迫る白刃を見て、ランサーは思考した。赤く染まった世界において、なおその刀身は冷たい輝きを返している。

 彼が持つ魔槍は心臓を穿つという、呪いじみた結末をもたらすまさに必殺の槍だ。その原理は必殺故の必中。必ず当たるから殺すのではなく、必ず殺すから当たるという逆の論理こそが彼の魔槍を魔槍足らしめている要因だ。

 ならば、この現実はなんだと言うのか。心臓を穿つ筈だった魔槍はあっさりと捌かれ、その反撃がいままさにこちらの首を跳ね飛ばそうとしている。

 槍を引き戻す腕が悪夢のように遅い。繰り出した槍を手元に戻し、刀を弾かなければ死亡は必然だというのに、このままでは明らかに間に合わない。

 見れば、アサシンは本当に不思議そうな顔をしていた。顰めた眉根は困惑の色を濃く映している。彼にとっても結末は理解不能なものなのだろう。

 

(つまり)

 

 これは、アサシンが何か手を打ったが故の結果、という意味ではないということだ。それも当然。相手の正体が知れぬ中での宝具の解放だ。前もって対策を立てておくことなど出来ないし、解放してからの反応には限界がある。少なくとも、こんな、完全に不発に終わるなどということはありえない。

 

(不発?)

 

 己の論理に引っ掛かりを覚え、ランサーは再度思考を廻した。刃はもはや首に触れ、あと一刹那の後に首と胴は離れてしまうだろう。引き戻す槍はやはり間に合わず、ろくに動けない身体はアサシンの疾刀を避けるには鈍すぎる。

 近未来の絶対死を認識し、同時にランサーはその結論を導き出した。

 “刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”がその名を体現せずに終わった理由、その原因。

 考えてみれば単純な話で、この魔槍は因果を逆転させた“結果あっての過程”を刻む宝具だ。故に必殺、結果として必中。中るが為殺すのではなく、殺すが為中る。散々認識していたその論理は、既に呪いにすら近似しているシステムである。

 だが、否、だからこそ。

 この魔槍を回避するためには、その、必殺という呪いを回避すればそれでいいだけの話。

 そうすれば必殺を免れ、また防がれた呪は行使者に返る。返った呪は、そう、こんな風に信じられないほどの激痛となって行使者の身体を蹂躙するのだろう。

 

(なんだよ、それは)

 

 刃が肉を切り裂く嫌悪を感じながら、それでもなおランサーは唇を歪めた。

 面白くて仕方がない。

 何故なら、このアサシンは、

 

(宝具すら越える幸運の持ち主だってか――――?)

 

 ランサーは泣きたくなるほど滑稽にそう思考し、そして。

 僅かな音と共に、意識を断絶され死に絶えた。

 

 

 

 

 

 此度の聖杯戦争、二人目の脱落者である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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