Fate / other night

 

 

              12 / Three Allows

 

 

 世界が夜に落ちていた。

 衛宮邸の庭には三つの姿があった。セイバーのサーヴァントとそのマスター、そしてアーチャーのマスターである。三人が三人とも顔に緊張を走らせ、月の光に身を晒している。

 僅かな風が出ていた。

 衛宮士郎はじくりと痛みが滲む左腕を押さえつけ、自分を押さえつけるように息を吐いた。

 顔を上げて空を仰げば、其処には欠けた月がある。

 半端な月を視界に留め、改めて士郎は傍らの相方の名を呼んだ。

 

「遠坂」

「なに?」

 

 返された声に刺々しさはないが、同時に緩みも無い。

 そんな、ある意味では紛れもなく彼女らしい言葉に苦笑して、士郎は謝罪の言葉を述べた。

「巻き込んで、悪い」

「馬鹿言わないで。それに巻き込むって何よ、巻き込むって」

 呆れたように言う凛。

 士郎は顔を凛に向け、顔をしかめて呟く。

 

「これは、あくまで俺とイリヤの問題だからさ。休戦協定は結んだけど、手を組んだって訳じゃないんだろ? だから、」

「寝ぼけるのもいい加減にしなさい、衛宮くん」

 

 士郎の言葉を遮って、凛は醒めた顔で言い捨てた。

 

「なにが俺とイリヤの問題、よ。寝ぼけないで、これは聖杯戦争なのよ? 私が関わるのは当然だし、バーサーカーは一人で相手にするには荷が重過ぎるもの。なら、あなたと手を組むのだって厭わないわ、私は」

 

 凛の意見は至極まっとうで合理的だ。

 その言葉には頷くしかないのだが、

 

「違う。これはあくまで、俺とイリヤの問題だ」

 

 それが我侭と知りつつ、士郎は言い切った。

 凛が目を細める。冷たい気配を放つその姿は、明らかな敵意を纏っていた。

 

「衛宮くん、あなた、まだそんな馬鹿なことを言うつもり?」

 

 声には侮蔑と嘲笑の響きしかない。

 だから士郎は何も言わず、答えなかった。

 ただ歯を食いしばり、手を握り締め、じっと耐える。

ともすれば口走ってしまいそうなその言葉を必死に押さえ込み、掴み掛かってしまいそうな身体を懸命に制御する。

その反応が癪に障ったのか、凛は冷たい瞳を更に細め、嘯くように告げた。

 

「くだらない。魔術師なら、たとえ肉親であっても殺し殺されることなんて当たり前でしょう」

「――――」

「聞いているの? 衛宮くん。あなた、本当に魔術師っていうものを理解しているの?」

 

 言われるまでもない。

 そんなもの、嫌というほど得心している。

 

「殺し、殺されるのが魔術師よ、衛宮くん。あなたのそれは、自己満足以外の何者でもないわ」

 

 凛は容赦なく切り捨てる。

 

「いい? イリヤスフィールはあなたを殺しに来ると言ったんでしょう? ならそれは事実よ。イリヤスフィールはあなたを殺しに来るし、殺されたくなかったら、あなたはイリヤスフィールを殺すしかない。そりゃ殺さずに済むならそれでもいいけど、そんな簡単な話じゃないでしょ?」

 

 じくり、と、内傷ばかりの左腕に痛みが滲んだ。

 

「いい加減に目を覚ましなさい、士郎。いい? 躊躇えば貴方が死ぬのよ? 家族だとか、そんな感傷に浸っている場合じゃないでしょう?」

 

 凛の言葉に容赦は無く、嘘偽りも存在していなかった。

 この少女は、どうやら本心からそう考えているらしい。

 

「とお、さか」

 

 その事実が、酷く癪に障った。

 士郎は睨むように視線を細め、冷然としている凛に食って掛かろうとした。

 

「おまえな――――ッ!!」

 

 搾り出すように洩らした罵声は、しかし。

 夜の闇を震わせる、低く重い音に打ち消された。

 

 

 

 凛が眉を潜めた。音が聞こえてきたのは夜の先、遠い闇の中だ。聞き逃すには大きすぎる音だし、第一、バーサーカーの襲撃に備えているこの現状、明らかに不審な音を無視できるはずもない。

士郎は吐きかけた言葉を飲み込み、その代わりに息を吐いて、自身に鞭打つように思考を切り替えた。胸の中に嫌悪のようなしこりが残るが、いまはただそれを無視。

 

「報告!」

 

 夜空に向かって凛が声を張り上げる。報告を求めた相手は衛宮邸の屋根で見張りに順じている弓兵だ。

 レイラインを通じて直接会話をしているのか、夜空を見上げ音の届いた方角に身体を向けながら、凛は一人で数度頷く。

 やがて、信じられない、と呟いて。

 

「バーサーカーが……?」

 

 戦慄くように、怖れを含んだ声が紡がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景は、いつか見た戦場のようだった。

 地面に突き立つ幾多もの武具。剣、槍、鎌に槌。無造作に地面を穿つそれらは、人一人を殺すには威力過剰(オーバースペック)すぎる殺害能力を保有する宝具の群だ。

 そんな、無事な場所など欠片もない戦場で。

 鋼の巨人が、身体を串刺しにされながら咆哮を上げていた。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 夜を震わす叫びは、しかし、途切れることなく射出される矢によって阻まれる。

 全てを埋め尽くさんと展開される刃。弓無くして放たれる、分別無き無類の矢たち。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 狂戦士は世界を脅迫し石斧を振るう。肩を穿たれ腹を削がれ足を潰されながら、それでもなお厭わんと斧を振り回し、迫る武器の雨を振り払う。

土砂降りのような武器の嵐はその多くが叩き落され、その多くがバーサーカーを貫いた。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 バーサーカーが叫ぶ。それは痛みが故でも、不甲斐ない自身を呪うが故でもない。

 そう、彼が叫ぶとしたら、その理由はただ一つ。

 傍らに立つ、怯えた少女を無慈悲な刃から守るべく己を叱咤するが為。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 狂戦士は愚直なまでに大気を震わせ、愚直なまでに貫かれる。

 その様子は、まるで達磨。

 どれだけ倒しても倒しても倒しても起き上がり、また倒されるだけの哀れな玩具。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 いや、そうだとしても構わないのだろう。

その場から動くこともなく、バーサーカーは己が持つ唯一の武器を振り回し矢を払う。

自分のすぐ後ろ。

数歩も離れぬ場所に立ち尽くし、泣きそうな顔で肩を震わせる少女を守れるというのなら、玩具にでも道具にでもなろうとその姿が叫んでいる。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 それを知ってか知らずか。

 魔弾の射手は射撃の手を休め、く、と歪に嗤った。

 

「同じ半神ならば、と少なからず期待していたのだがな。所詮は犬畜生(バーサーカー)、愚鈍なだけか」

 

 金の髪と赤い瞳を持つ魔弾の射手。

 スーツを着流すその男は、真名をギルガメッシュという。

 

「期待外れだ。故に尽く死ね」

 

 平然と告げ、ギルガメッシュは指を弾いた。

 僅かな音が夜に響いて、止んでいた嵐が再開する。

 あらゆる聖剣が、魔剣が、魔槍が、聖槍がバーサーカーに迫り弾かれ打ち貫く。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 狂戦士の雄叫びが夜の闇を震わせる。

 ……遠い。

 身を呈し少女の盾となるバーサーカーと、そんな彼を嘲笑う魔弾の射手。

 踏破し蹂躙し侵略するしか能のない狂戦士が、いまだ少女の傍を離れることなく佇んでいる理由がそれだ。戦うことしか出来ない彼は、しかし戦うことしか出来ないが故にその事実を悟り、受け入れたのだろう。

 

 両者の距離は、彼が十二度殺されてもなんら変わらないほどに開いている。

 

 距離を詰める意味がないからこそ、彼は少女の傍らで生きながら盾となることを選んだのだろう。その決定は消極的で尻すぼみな愚策だ。何故なら理性すらない彼に策を弄すことは出来ず、稼いだ時間は必然的に無意味。更に言えば、前に出ない盾にどうして英雄王が打倒できよう。打倒出来ぬのならば魔弾の嵐は止むことはなく、それは結局彼の終わりを意味している。

 つまりそれは、絶対に選んではならない悪手。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 彼が何故、そのような選択をしたかは知れぬ。

 だが彼は狂戦士であり、狂戦士であるが故に最強であった。

 既に何度殺されたか知れぬ故障だらけの身体。

 全身を酷使しながら、だが当然のように、傍らのイリヤには傷一つ負わせていなかった。否、傷などという言葉はそれ自体が侮蔑。無事な地点など微塵もない筈の戦場で、少女の周りだけが必然として何にも侵されていなかった。

 

「いいよ、もういいよバーサーカー……!」

 

 赤い瞳を涙で濡らし、愚鈍な、誠実な自らのサーヴァントに懇願するイリヤ。

 狂戦士は少女を無視するかのように、ただただ石斧を振るう。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

「バーサーカー……!!」

 

 悲痛すぎる少女の慟哭。

 そんなイリヤを嘲笑い、蔑み、何度目か知れぬ魔剣の嵐が解き放たれた。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 既にバーサーカーは死に体である。

 十一度の蘇生すら、既に数度も残っていまい。

 あと数秒の後に狂戦士は絶命し、イリヤスフィールも死に絶える。

 

 だから。

 

 

 

I am(我が) the born(骨子は) of my(捻れ) sword(狂う).

 

 

 

「なに――――?」

「え――――?」

 ギルガメッシュの驚愕と、イリヤスフィールの放心。

 剣の嵐が灰色の山に向かう。

 それを撃墜する為に。

 

「――――“偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)”」

 

 士郎たちから先行したアーチャーは、番えた剣を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に辿り着いた途端、白い閃光が視界を塗りつぶした。

 こう、と音すら伴う光の奔流。

 士郎は咄嗟に腕を掲げ目を瞑り、視界を焼きつきからの保護に成功する。

 光が収まったあと目を開ければ、其処には一面に散らばる宝具の数々が見て取れた。“偽・螺旋剣(カラドボルグ)”の爆発を迎撃に利用したのだろう。バーサーカーとギルガメッシュの丁度中間辺りに、大きなクレーターが穿たれている。

 背後で凛が息を飲む気配。士郎は反対に息を吐き、こちらを睨みつけるギルガメッシュの視線を真っ向から受け止めた。

 ギルガメッシュが忌々しげに顔を歪める。既にバーサーカーは注意の範疇外なのか、満身創痍の狂戦士から視線を外し、弓を構えたままのアーチャーとこちら三人に身体を向けた。

 

「貴様ら」

 

 声には、隠す意味すら感じられない憤怒の色が満ちている。

 

(オレ)の戦いに手を出すという蛮行、許せん」

 

 そしてギルガメッシュは手を掲げた。背後の空間が歪み、英雄王の持つ蔵から財宝の一部が切っ先を覗かせる。持ち主の殺意を存分に纏った宝具たちは、ギルガメッシュの号令一つで世界を射抜く必殺の矢と化す。

 英雄王は解き放たれる瞬間をいまかいまかと待つ宝具たちを一瞬見遣り、

 

「万死に値する。雑種(ゴミ)(ゴミ)らしく死ね」

 

 絶対宣言の如く命じ、宝具の嵐を解き放った。

 

 

 

 

 

 ギルガメッシュの蔵から放たれた宝具、その数実に四十七。

 視界を埋め尽くす殺害道具の群を、背後に控えていたセイバーが前に出て迎え撃った。その手には杖と剣。先行していたアーチャーも双剣を取り出し、横合いから“矢”の迎撃に移る。

 計三本の刃に阻まれ、直撃の軌跡を辿っていた矢はほとんど叩き落された。

 だが、数が多すぎた。前回の戦いが遊戯に思えるほどに数多い矢は、たとえサーヴァントが二人掛かりとはいえ防ぎきれるものではない。

 

「さすがにきついわね」

「まったくだ」

 

 肩を聖剣に削がれたセイバーが苦笑混じりに言い、魔槍に足を貫かれたアーチャーが疲れたように答えた。

 セイバーはこちらを見ることもなく、今日の天気を告げるような気軽さで言う。

 

「余りもたないわよ、マスター。仲間に引き込むなら早くしなさい」

「当たり前だ……!」

 

 先の射撃で仕留められなかったことが癪に障ったのか、ギルガメッシュが更に顔を歪める。その様を視界の端で捕らえながら、士郎は呆然としたままの少女に向かって声を張り上げた。

 

「イリヤ!」

 

 その呼び声で我に返ったか、放心していた少女はびくりと身体を震わせて、目に理性の光を取り戻す。

 

「シロウ、あなたどうして……!」

 

 悲痛な声。その向こう側にある感情は、果たして自分を殺すと告げたその言葉に則するものなのか。

 士郎は一度凛に目配せをして、改めてイリヤに視線を向けた。

 朗々と叫ぶ。

 

「イリヤ、ギルガメッシュ(アイツ)を倒すまでの間だけでいい、俺たちと手を組んでくれ!」

「え?」

 

 完全に虚を疲れた声を上げる少女。

 突然、ぎぃん、と耳元で音が破裂した。見るまでもない。ギルガメッシュの二撃目だ。

 自分の身体に被害はない。自分を射抜くはずだった矢は、セイバーが全て切り伏せてくれたのだろう。だが息をつく暇はない。セイバー自身が言ったとおり、余裕などないのだろう。耳に届いた小さな舌打ちが、セイバーが新たな傷を負ったと悟らせる。

 

 だから士郎は叫んだ。もはや一刻の猶予もないと、これしか道はないと。

 

「頼む、イリヤ!」

 

 戦場に駆けつける最中、凛と交わしたたった一つの妥協点。

 姉と戦わずに済む、唯一の選択肢。

 凛が呆れ、だが決して笑わなかったその提案。

 すぐ近くで三度、硬い金属音が響く。

 

「く――――」

 

 鈍いうめきはアーチャーのもの。時間がない。事態は刻一刻と深刻になっていく。自分だけならそれでも構わないが、今は凛を自分の我侭に巻き込んでいるのだ。

 だから猶予なんて、刹那も存在しない。

 

「イリヤ!」

 

 たのむ、と心の底からの絶叫する。

 イリヤは驚いたような顔をこちらに向け、次の瞬間、

 

「――――うん、いいわよシロウ!」

 

 弾けるような笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 バーサーカーの石斧が唸る。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 身体に何本もの矢を残したまま、それでも狂戦士の力は化け物めいていた。風を巻き込み夜を震わせ、無骨な石造りの斧剣が迫る矢を弾き散らす。

 だが、如何にバーサーカーといえど限界があった。鉄の巨人が裁ききれる最大数、それを超えた数が放たれれば捌ききれなかった矢は確実に狂戦士の身体を射抜く。

 だから、その補助に二人のサーヴァントが就いた。二振りの剣を持つ赤い外套の弓兵と、剣と杖を携えた黒い外套の騎士。

 連続する金属音は、まるで土砂降りの雨が屋根を叩く音のように激しく絶え間ない。

 だが、それでも三騎のサーヴァントは己の実力を存分に振るい、放たれた矢のうち直撃の軌道を描くそれを尽く叩き落す。

 その様子を背後から確認し、凛は顔に緊張を巡らせたまま、それでも僅か口の端を歪めた。

 

「いけるわね」

「当たり前よ。バーサーカーが手伝ってるんだから」

 

 すぐ傍から聞こえたのは、白い少女の声。

 凛と士郎が駆け寄った先の、イリヤスフィールの声だ。

 

「なによ、偉そうに。アーチャーだって役に立ってるじゃない」

「ふんだ。バーサーカーの方が頑張ってるわよ」

 

 呆れながら言うと、鼻で笑うような声が返ってきた。

 その返事にかちん、と来ながら、同時に苦笑してしまう。それほどに少女の声は弾んでいて、同時に自信に満ちていた。

 

「でも遠坂、このままじゃ埒があかないぞ」

 

 苦言を呈してきたのは、難しい顔をした士郎。半人前の魔術師は左腕を反対側の腕で押さえながら、全てを見通すかのようにサーヴァント同士の戦いを見据えている。

 いや、それを戦いと称するのは余りにお粗末だ。

 

「ええい、煩わしい――――!」

 

 ギルガメッシュの憤りの声がここまで届く。

 

「塵が集ったところで塵にしかなれんと何故気付かん!」

 

 それは、怒髪天を突くが為に発せられる怒りと苛立ちだけに彩られた声音。

 声と共に放たれた魔弾の数々は、やはりサーヴァントたちによって完全に防がれる。だが、それはあくまで“防いでいる”だけだ。いまだ、こちらは一度たりとも攻勢に転じていない。軽口を叩く暇など無い筈だ。

 それを再認識し、凛は再び意識のスイッチを魔術師のそれに傾けた。自然と目つきが厳しくなり、思考が冷徹(クリア)になっていく錯覚を覚える。

 

 サーヴァントたちが七度目の射撃を防いだとき、凛は戦いの方針を告げた。

 

「セイバーとバーサーカーでツートップ、アーチャーは後方迎撃。文句ある?」

 

 視線で問えば、二人のマスターは無言で許諾を示す。

 凛は頷き、自身のサーヴァントに命令する。

 

「じゃあそういうことだから、アーチャー。セイバーとバーサーカーの露払い、任せたわよ」

「相変わらず無茶を言うな君は……!」

 

 双剣で戟と槍を弾いたアーチャーが、非難めいてそんなことを言う。

 自分のサーヴァントの文句を簡単に無視し、凛は士郎に向かって口を開いた。

 

「士郎、タイミングはあなたに任せるわ」

「――――分かった、任される」

 

 士郎は一瞬驚いたような顔をして、すぐさま気を引き締めるかのように瞳を細めた。その右腕が、服の上からでも分かるほどに強く左腕を握っていることを敢えて無視し、凛は続いてイリヤスフィールに向かって口を開いた。

 

「バーサーカーが先陣よ、イリヤスフィール」

「ええ、いいわよ。バーサーカーの力、見せてあげる」

 

 唇を歪め、紛れもない笑みを顔に刻みながら冷たい声で少女は言う。

 と、少女は思い出したかのように赤い瞳をこちらに向け、

 

「それと、リン。特別よ、あなたも私をイリヤって呼ぶの、許してあげる」

「あら、ありがと。感謝するわ」

 

 ぞんざいに答え、意識をギルガメッシュの弾幕に集中する。

 行動開始の号令は士郎に任せたが、途中で予想外のことが起きたとき、咄嗟に判断を下せるように全ての意識を武具の嵐に傾ける。

 九度目の耳を劈く音が響いて、十度目の弾幕が放たれようとしたとき。

 

「アーチャー」

 

 詠うように、セイバーがアーチャーに声を掛けた。

 

私に借りを作らせてあげるわ(・・・・・・・・・・・・・)

「――――」

 

 弓兵の、息を飲む気配。

 いまの会話にそれほどの意味があったのかと僅か疑問に思ったとき、

 

「ええい、いい加減見苦しいぞオマエたち……!」

 

 ギルガメッシュの憎々しげな声が響き、いままでの二倍近い数の武具が魔弾の射手の背後に姿を見せた。

 

「――――!」

 

 凛とイリヤは同時に息を飲み、

 

 

 

「――――進軍せよ(ゴーアヘッド)!」

 

 

 

 士郎の号令が響き、豪風と疾風が解放された。

 

 

 

 

 

 

「――――進軍せよ(ゴーアヘッド)!」

 

 士郎の号令は、アーチャーが予想したのと寸分違わぬタイミングで発せられた。

(やはりな)

 醒めた意識で、弓兵はそう思考する。

 彼がこの瞬間を選んだ理由は幾つか想像がつくし、その全ては確実に少年が抱いた根拠と同一だろう。

 まず一つは、ギルガメッシュの手数。彼の英雄王が持つ蔵、その中に収められた数々の宝具の原型(オリジナル)。その数はおそらく無限に近く、無尽と同意義だろう。つまり幾ら時を待っても弾幕が薄くなることはなく、逆に捌ききれないほどに数が増えることは自明。ならば攻勢に移るのはできるだけ早い方がいい。

 次の根拠は、ギルガメッシュの愚手だ。先程、あのサーヴァントは愚かにも言葉を発した。それは注意を、どれだけ僅かだとしても、確実に注意を逸らさせ、反応を鈍くする最悪の選択。

確かに、相手は彼の英雄王。発言で注意がそれ反応が遅れたとしても、それはコンマレベルでの話だろう。

だが、それで十分すぎる。ギルガメッシュがサーヴァントであるように、セイバーもバーサーカーも、そしてこの自分も紛れもないサーヴァントだ。コンマ数秒という優位が、間違いなく決め手となりうる。

故にアーチャーは手を掲げ、士郎の号令とまったく同時に呪文を紡いでいた。

 

「“I() am() the born() of() my(出来) sword(ている).”」

 

号令から一瞬遅れ、バーサーカーとセイバーが飛び出した。自ら剣の群に突き進もうという二人の顔には、しかし憂いも恐怖も諦めも何もなく、狂化し理性のない筈のバーサーカーでさえもが僅かに笑みを浮かべているようだった。

 

「“Unknown(ただの一度の) to() Death(走はなく). Nor(ただの) known(一度も理) to() Life(されない).”」

 

 ……これは、本当なら隠し通さねばならなかった筈の魔術。

 自分が衛宮士郎の結末だという事実を、士郎当人や凛に悟らせてしまうかもしれない行為。

 

「“Yet(), those(に、) hands() will() never() hold(意味) anything(はなく。).”」

 

 英霊になった後悔、偽物だらけだった自分への憤り、蔑み。それらを当り散らすために士郎をこの手で殺そうとした。

 その感情がまっとうではないと、気付いている。だが、そんな自覚程度でどうにかなるほど安い憎しみではなかった。

 正直に言えば、いまこの瞬間にでも士郎を殺したいと思う。かつての自分、自分がこうなる以前の自分。間違いを間違いと気付けなかった愚かな自分を、この瞬間に殺し尽くしたいと思っている。

 だが。

 衛宮士郎が、イリヤスフィールのことを覚えていたという事実が、代え難い救いであるように思えて仕方ない。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 バーサーカーの咆哮。振られた斧剣が、迫り来る魔弾の一部を弾いた。

 憎しみが消えたわけではない。殺したいのかと聞かれれば躊躇いなく頷くだろう。

 頷くが、いまこの瞬間はその限りではない。

 もう少し。

 もう少しだけ、この衛宮士郎を見てみたいという欲求が生まれていた。

 

(それに)

 

 振りぬいた斧剣が、その軌跡を逆回しにするかのように力任せに振るわれる。弾ききれなかった魔弾の一部が叩き落された。

 それに。

 彼女の言葉は、何よりも魅力的過ぎる。

 バーサーカーの影に隠れていたセイバーが狂戦士を庇うかのように前に出て、迫っていた魔剣の弾丸を弾いた。

 だがそれで最後。バーサーカーもセイバーも、自分で弾くことの出来る弾丸は全て弾き、しかし魔弾はまだ残っている。

 故に。

 

「“So() as() I() pray(), unlimited(きっと) blade(剣で出) works(来ていた).”」

 

 炎が走る。

 世界はいま誰も居ない荒野に侵食され、自分を中心とした円の世界を塗りつぶす。

 背後で誰かが息を飲む気配。それも複数。

 気にせず、アーチャーは己の魔術を存分に行使する。

 射出された魔剣が、セイバーを貫こうとしていた魔剣を、それに勝る速度で撃墜した。

 

贋作師(フェイカー)風情が――――ッ!!」

 

 怒りに震える英雄王の叫び。

 それを涼しく聞き流し、セイバーとバーサーカーに迫る魔弾を一つも残さず迎撃する。

 にやり、とアーチャーは口端を歪め、紛れもない笑みを浮かべて見せた。

 

「――――それでは、剣製をはじめよう」

 

 呟きは、おそらく自分にだけ届いただろう。

 

 

 

 

 

 

 息を飲んでいた。

 目の前で繰り広げられる戦いの、余りの壮大さに言葉すら浮かばなかった。

 世界は赤く染まっている。夜だった筈の世界はアーチャーの魔術に侵食され、赤い荒野の様相を呈していた。空には星の代わりに歯車が見える。ぎちぎちと噛みあう歯車は一切の情を見せず、同時に余裕すら漂わせない。

 

「おのれ――――おのれおのれおのれおのれ塵如きが……!」

 

 ギルガメッシュの罵声には既に憎しみしかない。

 セイバーとバーサーカー。最高と謳われるサーヴァントと最強と畏れられるサーヴァントに接近戦に踏み込まれた以上、ギルガメッシュも長くはもたないだろう。

 英雄王はセイバーの“万難排す絶対の剣(クラウ・ソナス)”と刃を交え、バーサーカーの一撃を回避する。本来の武器である魔弾は、姿を見せた瞬間後方のアーチャーによって猶予なく砕かれる。

 

「ええい」

 

 もはや万策尽きたと思わせたギルガメッシュが舌を打ち、セイバーと剣を打ち据えたあと、退くように大きく後ろに飛んだ。逃すまいと追撃するセイバーとバーサーカー。

 劣勢のはずの英雄王が、僅かに余裕の笑みを浮かべるのが見えた。

 その笑みが、士郎の脳裏に危険信号を灯す。気をつけろ、あのサーヴァントにはまだ逆転の手段が残っていると叫ぶ。

 追撃の一手を打ったのはバーサーカーだった。狂戦士は雄叫びと共に石斧を横薙ぎに振るい、

 

「天の鎖よ――――!」

 

 ギルガメッシュが虚空から取り出した鎖によって、あの夜と同じように絡め取られ封じられた。

 

「な、しまっ――――!?」

 

 バーサーカーを戒めた鎖は背後にいたセイバーにも絡みつき、その動きを封じ込める。

 

「セイバー!」

 

 士郎は叫び、アーチャーが魔弾を射出した。

 先程まで自分が取っていた攻撃手段をアーチャーに返された英雄王は、逆にアーチャーが行っていた防御手段を実行する。蔵から放たれる魔剣が、魔槍が、聖剣が聖槍がアーチャーの弾幕を無効化する。

 ギルガメッシュは顔を醜く歪め、吐き捨てるように呟いた。

 

贋作師(フェイカー)。オマエは最後だ」

 

 英雄王は蔵から一振りの魔剣を取り出し、それをバーサーカーに向けた。

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

「バーサーカー!」

 

 狂戦士の咆哮に、イリヤが悲痛な声を上げる。

 凛が何かを告げようとするより早くギルガメッシュは剣を振りかぶり、

 

「舐めるな――――!」

 

 セイバーの怒声と共に、セイバーを束縛していた鎖が砕けた。

 

「な――――」

 

 ギルガメッシュが目を見開く。信じられない、とその表情が語っていた。

 自由になったセイバーはギルガメッシュの剣がバーサーカーを切り捨てるより早く、バーサーカーを束縛する残った鎖を断ち切った。

 

「力ずくで鎖を断ち切っただと――――!?」

 

 ギルガメッシュが叫ぶ。

 だから、全てが遅かった。

 剣を振るっていたギルガメッシュは今更その動作を止めることなど出来ず、

 

「残念だけど私に神性なんてありゃしないのよ」

 

 セイバーの返す剣が狂戦士を断とうとした剣を止め、

 

「やっちゃえ、バーサーカー!」

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 己のマスターに咆哮で答えた巨人が、一息で石斧を振りかぶり振り下ろす。

 無骨で無慈悲な刃は何の障害もなく英雄王を頭頂から捕らえ、

 

「■■■■■■■■――――――――!!」

 

 担い手の咆哮に答えるが如く、その身体を斬り潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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