Fate / other night

15 / Open



 衛宮士郎は、間桐桜が魔術師であることを承知していた。
 桜が行方不明になったと聞いて、即座に聖杯戦争に結びつけたのはそれが為。
 そうでなければ。桜が魔術師だと知っていなければ、どうして綾子からの連絡を受けた瞬間、桜と聖杯戦争を結び付けられよう。
 過去に一度だけ、魔術師としての衛宮士郎はとんでもない失態を犯したことがある。
 魔術師とは隠れるものだ。世界の、社会の、街の、人々の意識の隙間に潜む日陰者。魔術師は決して表社会に出てはならず、その存在を顰めなければならない。魔術行為そのものは、隠さなければならないもの、秘匿しなければならないものの筆頭だ。

 故に。
 それは、紛れもない、失態。

 アレはいつだったか。自分がいまとほとんど変わりないくらいに未熟者だったその朝。土蔵で鍛錬をこなした衛宮士郎はそのまま眠りにつき、翌日、後輩の少女に起こされた。
 何が失態だったのかといえば、おそらくは寝てしまったこと。それも意識を切り替えず、鍛錬を終えたままただ沈むように眠ってしまったこと。
 つまり。
 目覚めた衛宮士郎は、魔術を行使するときの心持ちで間桐桜の身体をみ鑑定てしまい、その本質を、知ってしまった。

 間桐桜という少女の中に蠢くもの。
 神経に癒着し、実体すらなく身体の魔力を貪るなにか。

 呆然とした士郎は桜が首を傾げる様を見て、すぐに意識を切り替えそのイメージを打ち消したが、焼きついたそれは中々消えはしなかった。心配そうに顔を覗き込む桜に、素っ気無い返答しかできず、結局桜を邪剣にすることしかできなかったことを覚えている。

 衛宮士郎は魔術師である。だが切嗣以外の魔術師など知りもしなかったし、魔術師との付き合い方も教えてもらっていなかった。
 日中苦悶した士郎は、結局、わかりやすい形で自分が魔術師だと示すことにした。その日の晩、自分の鍛錬風景を意図的に桜に目撃させたのだ。自分を魔術師だと直接言わず、図らずも自分がそうしてしまったように、偶然桜に衛宮士郎は魔術師だと認識させ、その上で桜の出方にあわせようと結論したが故の行動だった。自分とは違い、いっぱしの魔術師である桜なら、少なくとも自分よりマシな対応を返してくれるだろうという考えからだった。

 そして、結局。
 何も、変わらなかった。
 桜は自分が魔術師だと名乗り出ることはせず、また昨夜、土蔵で見たことも口にしようとはしなかった。
 故に、士郎はそれが当然なのだと受け入れた。お互いがお互いを魔術師だと知りながら、名乗り出ずに隠し通すのが魔術師としての道理なのだと受け入れた。
 悩まなかったと言えば嘘になる。どれだけ普通に振舞って見せても、桜の中に潜む蟲たちの記憶はいつまでも残り、思い出すたびに嫌悪と怒りを催させる。
 そんな自分が何故、桜のその対応を受け入れたのかと言えば、その理由は一つしかない。

 だって。

 自分の前で、桜は、本心からの笑顔を見せてくれていたのだから。
 日常が幸せだと、嘘偽りのない振る舞いを見せてくれたのだから。

 だが、もしも。
 それが、自分の勘違いだとしたら?
 桜は本当は救いを求めていて、自分はそれを見逃していたのだとしたら?
 自分の選んだ、自分が納得したその対応が、ひょっとしたら自分を隠したという桜の心の動きによるものだとしたら?
 そうなのだとしたら、それは結局。
 間違えていたのは、愚かだったのは、衛宮士郎ということになる。








 人気のない境内を抜け、魔力の濃い本道裏の池に向かう。
 士郎は歯を食いしばり、顔を上げ、しかし悲壮な顔つきで前だけを見ていた。
 少しでも。少しでも気を緩めれば、その瞬間自分が砕けてしまうと悟っていた。
 意識を犯す声。桜が救いを求めていたという事実。桜を無意識に、いや、意図的に苦しめていた自身。
 それは理性の責句だ。魔術師としての衛宮士郎、そして正義の味方としての衛宮士郎が、それに気付かなかった自分を百の言葉で責め立てる。

"なんで助けてくれなかったんですか"

 その声が。その言葉が、焼きついてしまったかのように耳から離れない。

「マスター」

 先を行くセイバーが、こちらの様子に気付いているのか否か、醒めた声で言った。

「もうじき極点よ。覚悟して」

 覚悟。
 覚悟するって、何を覚悟しろというのか。

 わからない。
 わからないわからない、何もわからない。
 何を覚悟すればいいのかも、何を償えばいいのかも。

 如何にしてあの少女に贖えばいいのかも、何一つとしてわからない。

 だって、それは。
 家族のように近しい人を悲しめたという、その事実は。

 衛宮切嗣が、イリヤスフィールにしたコトとどう違うというのか。

「あ――――」

 声が洩れる。その場に崩れ去りそうになるのを必死に立て直す。
 思い出す。衛宮切嗣が、その生前、一度だけ告げた本当の肉親について、その記憶を。
 切嗣は、其処にどんな想いがあったにせよ、白い少女を、実の娘を切り捨てた。
 切り捨てられたイリヤは、果たしてどんな思いを抱いたのだろう。それは禁忌。拾われた自分には、自分如きには想像することすら許されない人の思いだ。
 切嗣は自分が裏切った娘のことを告げ、彼女に対する謝罪の言葉を口にした。
 いつも子供のように振舞っていた切嗣が、そのとき、今にも息絶えそうな老人に見えたことを覚えている。
 あのとき、自分はなんと答えたのだろう。
 覚えている筈の答え、忘れなかった筈の言葉なのに、何故かそれが遠い。
 切嗣に示したはずの見解は薄くぼやけ、いまにもき忘えてしまいそう。

 ああ。
 自分は、あのとき、なんて、

「しっかりしなさい、マスター」

 鈴の音のように透明な声に、沈み行く思考が食い止められた。
 士郎は顔を上げる。数歩先でセイバーが足を止め、こちらを振り向いていた。
 まったく、とセイバーはつまらなそうに呟いた。黒いコートの騎士は溜息混じりに腕を組み、

「何故、あなたが悔やむ必要があるというの、マスター」

 真っ直ぐな瞳で、まっさらな怒りで衛宮士郎を弾劾した。

「何故、って」

 救えなかったから。
 親しい人間を救えなかったから。

 イリヤのことを最後まで気にかけながら没した衛宮切嗣。
 悔いる彼を見て、それだけはしちゃいけないことなんだと胸に刻んだ。

 誰よりも。
 正義の味方になりたいのなら、衛宮切嗣の跡を継ぎたいのなら。

 衛宮切嗣(セイギノミカタ) が犯してしまった、親しい者を傷つけるという罪だけは、絶対にしてはならない過ちだと己に言いつけた。

「俺は」

 だからそれは、禁忌。
 侵してはならなかった絶対領域。

 なのに。
 それを護れなかったというのなら、

「マスター」

 染み入るようなセイバーの声。
 セイバーは、古びた双蛇の杖を胸に抱いていた。その顔に浮かんでいるのは苦笑にも似た微笑で、目の錯覚か、その瞳には何処か遠くを見るような寂寥感がある。

「私の知ってるあの馬鹿はね、あの火事をやり直したいとは思わなかったそうよ」

 懐かしむように呟かれた言葉が、がつん、と胸を打ち抜いた。

「なんて言ってたっけな。過去を消すのは、それまで踏みつけてきた全てに対する冒涜だ、だっけ。まったく、実力なんかろくにないのに、言うことだけは立派なんだから」
「……セイバー」
「悔やむ、だなんてのはあなたの流儀じゃないんでしょう、マスター? それとも何? あなたは、あの火事をなかったことにしたいとでも言うつもり?」

 その言葉に、息を飲んだ。
 十年前の、大火事。
 世界が真っ赤に死に絶えて、幾つもの死体を目の当たりにしたあの事件。

 それを。
 それを、なかったことにしたいだなんて、切嗣の名に誓って一度たりとも。

「――――あ」

 思い出す。忘れたと思い込んでいたその言葉が、ありありと脳裏に再生される。
 切嗣に。
 イリヤを捨てたと悲しく自嘲した衛宮切嗣に、自分は、

「俺だって、やり直したいなんて、思わない」

 自分は、そう、あの子供じみた父親に、簡単なことを言ってあげたのだ。

「俺が、桜を救えなかったのなら」

 罪は消せない、過去は流せない。
 不器用で愚鈍な自分には、目を覆いたくなるような過去から顔を背けることすらできはしない。

 だから。
 絶対に侵してはならない罪を犯したというのなら。
 近しい人を、とてもとても、悲しめたというのなら。

「謝らなくちゃ、いけないよな」

 苦しめたなら。救えなかったなら。
 自分は桜に謝って、その罪を償うべきだろう。
 過去に手を加えることはできない。
 ならば。償うとしたら、これからだ。

 士郎は俯いていた顔を上げた。
 挑発するような瞳のセイバーを見て、ぱん、と自分の頬を叩く。
 ひりひりと痛む頬を意識しながら、真っ直ぐにセイバーの瞳を見返した。

「行こう、セイバー。行って、キャスターを倒す。そのあとで、桜に謝らなきゃいけない」
「――――オーケー、いい返事ね。じゃあほら、急ぐわよ、マスター!」

 セイバーはにやりと笑い、身体を翻して走り出した。
 士郎は歯を食いしばり、必死で、死に物狂いでその後を追った。
 頭が沸騰している。意識が怒りに染まっている。
 許せなかったのだ。桜を救えなかった自分も、その事実に自分を曲げそうになったことすらも。
 だから、思う。

 終わらせよう、と。

 こんな馬鹿げたゲームはさっさと終わらせて、平身低頭、桜に謝ろうと。
 士郎は歯を噛み締め、真っ直ぐにセイバーの後に続いた。
 本堂の横を廻り、裏にある池に辿り着く。
 人の手など微塵も加えられていない、竜でも潜んでいそうな神聖な大池。
 けれど、それはいまここに来て異常だった。
 大気が歪んでいる。あまりに濃すぎる魔力が集い、湖の上空の大気が、融けてこねくりまわされた飴玉のように重く歪に捩れている。

 その縁。
 陽炎じみた魔力を背後に、一組の男女が立っていた。












 アーチャーとアサシンの戦いは、航空機同士の近接戦闘(ドッグファイト)じみていた。
 門番である筈のアサシンは、まるでその役目を忘れたかのように石段を駆け下り、飛び上がり、木に足を掛け踏み台とし、上下左右、信じられない方向から出鱈目な剣筋を光らせてくる。
 対するアーチャーは、明らかに不利だった。アサシンの一撃は、アーチャーの剣技を容易く上回っている。加えて言うなら、アーチャーは速度でもアサシンに届かない。右へ左へ上へ下へ。赤の追従を欠片も許さず夜を抜ける青い風は、それだけで雷光じみて見える。
 ぎぢ、と音を立て、アサシンの長刀をアーチャーが片手の剣で受け止めた。首を狙い跳ね上がってきた一閃が、すんでの処で防がれる。アーチャーは返し(カウンター)で逆の手の剣を繰り出そうとするが、その先に既にアサシンは居ない。アーチャーは舌打ち交じりに繰り出した腕を軌道修正し、そのまま防御に廻す。間一髪、袈裟に振るわれた長刀が細い金属音を立てて防がれた。
 ふん、と息を吐きながら後ろに退くアサシン。それを逃さぬと、今度はアーチャーが疾駆する。石段を派手に鳴らし、木の枝に飛び乗ったアサシンを討たんと地面を蹴り、自らが矢であるかのようにアサシンに迫る。
 対し、アサシンはあくまで涼しげだった。下方から迫る二刀流のサーヴァントに焦るでもなく、まるで散歩に出るかのような気軽さで枝から飛び降り、向かい来るアーチャーを迎撃する。
 空中という不安定な足場から放たれた両者の剣戟は、しかし地上での切り合いと微塵の差もなく、無常なほどにアサシンの優勢であった。
めまぐるしく立ち位置を変える両者。間合いを詰め、離し、同じ位置で切り合うことのほうが稀だ。あれだけの長刀なら近距離に持ち込めばこちらのもの、という予測はあっさりと崩された。間合いがどれだけ詰まろうと、それでもなお、アサシンの剣技はアーチャーのそれを上回って余りある。
ち、とアーチャーが顔に苦いものを走らせた。彼とて承知しているのだろう。彼の剣技は、決してアサシンには届かないということを。
ぎ、ぎぃん、と金属音が二度響く。音の出所は不明。赤と青の戦いは激しすぎて、いまこの瞬間打ち合いが何処で行われているのかなんて知覚できない。遠い前方か、背後か、頭上か、ひょっとしたら目前かもしれない。
 アーチャーがアサシンの剣戟を防げているのは、殊更、彼の得物が二本であるが為である。白と黒の夫婦剣。その二本を防御に廻しているからこそ、どうにかアーチャーはアサシンに迫れている。もし仮に、アーチャーの剣術が二刀流ではなく一刀ならば、防げたとしても初太刀のみ。返す二撃はアーチャーの動きを上回り、いとも容易くその首を跳ねただろう。

 結論を言うのなら。
 アーチャーの剣技では、アサシンを倒すことは不可能である。

 それでもアーチャーの勝利を目論むのなら、マスターの援護が不可欠だ。決して埋まらぬ技術の差、それを埋めるだけのアシスト補助がなければ、アーチャーは決してアサシンには勝てない。
 だが、凛はアーチャーの支援をする気などさらさらなかった。もとより狙いの甘い魔術、ピンポイントで誰かを援護することなどできないし、何より。アーチャーは自分のサーヴァント、自分に適う最高のサーヴァントなのだ。
 ならば、そこにどんな差があったとして、アーチャーが負けるなどありえないし、あの小憎らしい皮肉屋が、そう簡単にやられるとも思えない。

 尤も、それ以前の問題として。
 遠坂凛には、アーチャーの援護を行うような余裕などなかった。

Es befiehlt.(声は遥かに) Mein Atem schilesst aless(私の檻は世界を縮る)……!」

 声の主は、山門の前に佇む桜。
 その呪文に答えるように桜の足元から無数の光弾が出現し、放射状に広がりながら飛翔する。一つ一つの光弾の大きさは、握り拳を一回り小さくした程度。だがその数は二十を軽く上回り、また弾道も不安定だ。直進する光弾こそ稀で、緩やかに弧を描くもの、螺旋状に捩れるもの、鋭角に切り返しながら迫るもの。遠目に見れば放射状というだけで、実際のところはデタラメな弾幕に他ならない。

 時雨めいた魔力弾を前にして、回避なんてものは無価値。
 ならば、防ぐだけだ。

Sieben(七番)――――!」

 既に数個と残っていない宝石を、惜しげもなく放出する。展開されたのは電荷の壁。白光じみた茨の格子は檻造るようにお互いに絡み合い、織物のような盾を展開する。戦車の砲撃ならば数発程度余裕で防げるだけの強度を持った障壁は、しかし、桜の光弾を全て防ぐと共に綻びを迎え霧散した。
 隔たりがなくなるのと同時、今度はお返しとばかりに凛が攻めに廻った。

Fixierung(狙え), EileSalve(一斉射撃)――――!」
Es erz & auml; hlt(声は遠に). Mein shatten nimmt Sie(私の足は世界を覆う)……!」

 凛と桜の呪文は同時。お互いから視線をそらぬまま、一歩も動くことなく手の内を展開する。
 魔術師の戦いは精神戦である。それは精神を削りあう消耗戦ではなく、手の内を読み合う頭脳戦に近い。自分の実力、相手の実力、残存魔力に周囲環境。枚挙に暇がない種々の因子を全て把握し、相手の手の内を読み、それへの反撃を用意し、更にその先の相手の手を読む。一手先を、一手先を、一手先を。数秒でも、いや、数瞬でも構わない。
 それがたとえ刹那に届かぬ先読みだとしても、それによって勝った方が相手を凌駕する。
 魔術回路としての性能が近似している以上、勝敗を分かつのはそんな簡単な事実。

 凛の命令(スペル)に従い、桜の光弾よりなお小さい、小指の先ほどの大きさを持つ魔力弾が桜に向け発射された。いいや、発射という言葉は既に役者不足だ。百を上回る数で形成される弾幕は、既に掃射に近い。
 つるべ撃ちの如く、言葉の通り弾丸の壁を生成し迫る凛の魔術を、桜は薄氷の如き壁でそれを防いだ。桜の足元から出現した鋭利な三角を象る障壁は一枚ではなく、その総計は七を数えた。だが機関銃の全自動(フルオート)射撃じみた弾幕に耐えることはできず、見た目の通り氷の割れるような、或いは見た目に反し木々が折れ倒れるような音を残し、桜の障壁は一枚一枚と空気に砕けて消えていく。ぴきん、と音を立て、桜を護る七枚目の障壁が消えた。だが桜を襲う弾丸は既に無い。桜の張った盾は、計算されたかのように過不足無く凛の弾幕を防ぎきり、消えていた。
 凛は舌を打った。手持ちのほうせき切り札は三つ。それぞれ三番、六番、そして四番だ。
 次の魔術を編みながら、凛は桜の足元、其処に並んだ十の小壜を見やる。手の平に収まる程度の大きさしかない、透明なガラスの器。その中に収められていたのは、色付けされた水だった。
 いや、それがただの水である筈がない。如何な魔術的加工を除いたとしても、よほど高名な霊地の湧き水とか、そのあたりのものだろう。

 間桐桜は遠坂凛の妹である。凛が五大元素を扱えるのに対し、桜は架空元素の扱いに長けていた。だが桜は様々な事情の果てに間桐家の養子となり、間桐の魔術師として育った筈だ。
 ならば、桜が持つ属性は水。加えて、先ほどの桜とアサシンの会話が、小壜の中身を容易に想像させる。
 遠坂凛が魔力を宝石に込め切り札としたように、
 間桐桜は魔力を水に込め切り札としたのだろう。

「――――ッ」

 お互いが同時に仕掛け、お互いの弾幕を撃ち潰す。
 烈風にすら似た余波に顔をしかめながら、凛は更に魔術を行使した。
 手を加えたのは、おそらくはキャスター。
 二人の会話を考えれば、桜が自分の意志でキャスターのマスターに力を貸しているのは簡単に想像できる。ならば、魔術師のサーヴァントであるキャスターが、同じ魔術師として桜に何らかの助力をしても不思議ではない。
だから、おそらく。その"助力"が、あの小壜なのだ。色付けされ、方向性を限定されることにより遣い手を選ばなくなった魔力の塊。その性質は、一度限りの限定霊装にすら似ている。
 ばちり、と電荷を飛ばして、凛の放った雷球が桜の打ち出した氷槍に撃墜された。魔力によって顕在するそれぞれの弾丸は、同じように魔力である相手の弾丸とぶつかり、潰しあい、共振するように消滅する。
 桜の足元に並んだ小壜の数は十。そのうち六つの壜は既に割れ、中身が石段に零れている。それは、凛が繰り出した宝石使用の大魔術、その全てを打ち消し、或いは相殺した数と同じ。
 ならば、やはりその考えは外れていないのだろう。
 桜の足元から、茨の鞭じみた二本の触手が繰り出される。属性はおそらく吸収。凛はそれを一瞬で見切り、想定していた防御手段の一つを採択、展開に移る。互いに絡み合いながら迫った触手は、凛の目の前で、無尽に暴れる無刃の刀、真空波により切り裂かれ消滅した。
 埒があかない、と思う。皮肉にも、自分と同じ性能を持つ桜は強敵だ。先を読み合っているいまこの瞬間も、微塵も勝利の一手が読めない。切り札を使わぬ魔術戦はお互い牽制にしかなっていない。

 だから、まあ。
 そろそろ、強引に押し切るとしよう。

 ぱん、と音を立て空気が弾ける。
 純粋な質量すら伴うような魔力弾が、凛と桜の中間辺りで同質のそれに衝突し消滅した音だ。
 それを待っていたかのように、凛は二つの宝石を取り出した。

Sechs(六番)――――」

 選んだ宝石は六番。そして、

「――――Fuenf(四番)!」

 四番。禁断の相乗を重ねてみせる。
 限界量を越えた魔力に、身体(かいろ)が悲鳴をあげた。身体中の神経がささくれ立ち、筋肉があちらこちらでぶつんぶつんと千切れていく。血液はあっという間に沸騰し、肺は役目を忘れたかのように停止した。
 桜が息を飲む気配。こちらの次手を悟ったか、その顔には驚きの色が濃い。それも当然。自分で扱える量を越えた魔力は爆弾と同義だ。扱いに間違いがあれば、いいや、仮に欠片のミスも無く扱えたとしても、笑いたくなる程の負荷が身体にかかる。
 だが、その位の無茶でもしなければ、この膠着状況を崩すのは無理だろう。
 構わず凛は詠唱を続けた。尤も、一旦発動した魔術を中途半端に途切るだなんて無謀、したいとは思えない。
 六番の宝石は、本来氷の魔術。それをいま、相乗を重ね、最大に発揮する。

vox(戒律引用) Vevweile doch(時間凍結), du bist so schon(世界よ美しいままに)――――!!」

 指の間に挟んだ宝石がストロボのような光を放ち、灰のように崩れ去る。
 その代償に、壁が出現していた。高さはおよそ9メータ、幅は石段を覆ってなお余りある氷の壁。
 いや、それがただの壁であろう訳もない。氷壁は大海の氷河が割れるように頂点から崩れ、

 否、

 崩れることなく蠢動し、まるでゼリーのような動きで波打ち、氷の津波となり桜を襲う――――!








 視界の端で光が走った。見れば凛の前に氷壁が出現し、それが崩れることなく形を変えながら桜に迫っている。あれだけの氷を精製した凛の手腕にも驚くが、それを壊れることなく流動させるなど、驚きを越えて呆れさせられてしまう。

「どうした。余所見をする暇などないぞ?」

 届いた声で我に返り、アーチャーは眼球を突きに来た一撃を弾いて逸らした。
場所は石段のすぐ隣、鬱蒼と茂った林の中。アサシンの得物は開けた場所でこそ意味のある長刀だ。戦場を遮蔽物の多い林に移せば勝機があると思ったが、そんな儚い希望は、言葉の通り一瞬で切り伏せられている。乱雑に生育する松、杉等の木々はアサシンの一刀の元に切断され、円形の広場が開かれていた。
アーチャーは舌を打ち、距離を開けずにアサシンに切りかかった。弧を描く長刀が、夜気を裂きながら袈裟を狙う。アーチャーはその軌道上に干将を置き、同時に莫耶で突きを繰り出す。
 その一撃を、アサシンは飛び退いて回避した。高く跳んだアサシンに、アーチャーは次の攻撃を予測する。この戦いで、アサシンがいまのように後ろに跳んだ回数は二十三。そのうち、この角度、この速度、姿勢から放たれた反撃は、

「はっ!」

 枝を足掛かりとし、斜め下に向け、アサシンが地面を薙ぐように刀を振るう。
 舌を打ち、アーチャーは一歩下がった。土埃が舞うのと同時に土が削れ、長い一刃の軌跡が足の先に刻まれる。
 土埃が収まると、視線の先、お互いの間合いの外にアサシンの姿があった。月光の元に佇み、長刀の切っ先を力なく下げている。
 その顔に浮かんでいるのは、紛れもない、笑みだ。戦いを楽しむ、命の削りあいに意義を見つけ出す、紛れもない微笑。
 く、とアサシンが喉を震わせた。つい、と切っ先を泳がせ、視線と共にこちらに向けてくる。

「まったく、面妖よな、アーチャー。弓兵と呼ぶには惜しい手腕ではないか」
「生憎と捻くれ者でな」

 苦笑するように短く返す。
 その返事にアサシンは苦笑し、切っ先を持ち上げた。こちらに背を向け、首だけをこちらに向けながら刃を水平に。緩やかな弧を描く刀身に、刃が一度冷たく光った。

「さて。ではそろそろ、決着をつけるとしようか」

 まるで散歩に誘うかのように、アサシンが軽やかに呟いた。ここに来て放たれたのは透明な殺気。透明すぎて、それが殺気だとは思わせないほどの気配。
 アーチャーは思考した。自分は弓兵、否、そもそもは魔術師である。剣術は本分ではないし、そも矢で攻め立てたとして、目の前のサーヴァントを射取れるかどうかは不明である。
 尤も、相手はアサシンである。彼にしたところで、剣術はその得意とするところではない筈だが、そのような判断、とうの昔に潰えている。からくりまでは知れぬが、このサーヴァントの本領は剣術に違いない。
 それに対し、真正面から剣で挑むのはこれ以上ない無謀。数多の戦闘経験に基く心眼をもってさえ、アサシンの攻撃は一手一手全てが脅威である。そのアサシンの本気に、果たして自分が剣で叶うのだろうか。

 アーチャーは黙し、数瞬で結論を出した。

 双剣を構え、真っ直ぐに、自分が馬鹿げたことをしていると笑みながら、アサシンに向き直る。
 視線だけを動かし、石段の方を見遣る。既に動きのない石段。決着がついたのは明白だ。

「面白い」

 アサシンの誘いに乗る。それが愚策であるのは事実、だが。
 だが――――マスター同士が、傍らであんな真っ向勝負をしてくれたのだ。
 その勝者である彼女(・・)には、相応の戦いを展開した結末で答えるのが礼儀だろう。

「その誘い、受けて立とう」

 アーチャーは、あの夜、ランサーに向かい合ったような高揚感を感じながら、手の双剣を構え疾走した。
 かくて赤い騎士と青い侍の戦い、その最後の一章が幕を上げる。












[Go to Next]