Fate / other night

16 / Sisters' Decision



 その戦いは、なんと言うか、あらゆる意味で規格外だった。

「Κεραινο――――!」

 キャスターのヒステリックな呪文が、本堂裏の池に響く。
 マグネシウムの閃光じみた光が視界を埋め尽くし、だが、同時に、

Es last frei(開放). EileSalve(一斉射撃)――――!」

 セイバーの放った白光が、キャスターの魔術を力ずくで相殺した。
 光の余波は風と音に変換され、周辺に艦砲射撃もかくやという衝撃を撒き散らす。

「――――ッ」

 セイバーの後方で、士郎は吹き付ける衝撃に顔を覆った。その暴風、既に台風もかくやという勢い。気を抜けば言葉の通り、木の葉のように舞い散ることだろう。

「なんて――――無茶苦茶――――!」

 キャスターの罵声は悲鳴に近い。
皮肉な話だが、それは士郎も同感だった。
 キャスターの魔術はそれだけで反則めいている。本来ならば大魔法に属する、瞬間契約を必要とする魔術を、あのサーヴァントは詠唱の手順すらなく次々に繰り出しているのだ。
 ならば。それを尽く打ち消すセイバーの魔術は、一体どんな範疇外だというのか。
 
 空気が震えている。世界が慌てている。
 セイバーとキャスターの間で炸裂し、爆裂し食い合い潰し合い崩し合い消滅し合う魔力の規模に、夜が信じられないと叫んでいる。

「つ――――ぁ――――」

 声が洩れる。本能が逃げろと言っている。
 衛宮士郎は、この戦いに着いて行けないと脳髄が理解している。

「こんな――――子供の喧嘩でもあるまいし――――!!」

 キャスターの悲鳴に、士郎は笑いを覚えてしまう。
 これが喧嘩? 子供の喧嘩?
 なんて馬鹿げた価値基準。双方の魔術が艦砲の如きなら、この戦いは過去の海戦じみている。それも対艦巨砲主義が全盛だった時代の海戦だ。あの時代、もし戦艦同士の近接戦闘が起こっていたならば、この程度の迫力はあったかもしれない。

「あ――――づ――――」

 逃げ出そうとする本能を無理矢理縛り付け、その場に足を留める。
 一心に睨むのは閃光の向こう側。キャスターの隣で、幽鬼然と佇むそのマスターだ。

 彼は、その名を葛木宗一郎という。

 この場に居るには余りに意外すぎて、だがこの瞬間、おそらくは誰よりもこの状況を受け入れている男。
 彼はまるで猫の喧嘩でも見るかのように戦況を眺めながら、ただ案山子のように突っ立っている。意思がないかのようにただ淡々と、だが底冷えするような醒めた瞳でこちらを見据えながら。
 士郎は歯を噛み締める。逃げ出そうとする足を罵倒し、冷や汗と脂汗だらけの頭を振って、ただひたすらに戦況を見据える。

 キャスターがまたも魔術を発動し、セイバーがその閃光を白光でもって打ち消す。
 その瞬間。セイバーの魔術が動作する瞬間、きらり、とセイバーの持つ宝具(・・)が光った。  七色に光ったそれは、セイバーが握ったそれは、傍から見てまったく訳の分からない一振りの剣。

Ein, Zwei, Rand(接続 解放) Verschwinden(大斬撃)―――――!」

 確かに、それは剣の形をしている。だが刃に相応するものはなく、刀身を形成しているのは多面形の宝石だ。剣というより棍棒に近いそれは、セイバーが魔術を発動するたびに光を帯び、何処からともなくキャスターの魔術に対抗しうるだけの魔力を練りだしている。
 それを目に収めた瞬間、ずきり、と頭痛が走った。針が。針というよりは杭、杭というよりは槍に近いなにかが眼球を通し視界を侵食し視神経を蹂躙し脳を破壊し尽くし、衛宮士郎という存在全てに必死の警告を伝えてくる。

 即ち。
 見るな、と。
 アレはおまえのような半人前に理解できる代物ではない、と。
 アレはおまえ如きに解析できるような半端な品ではない、と。

「あ――――ぁ」

 強すぎる警告は既に暴力と同義だ。
 脳に入り込んだ針は分裂し増殖し模造され鋳造され、まるで剣山か何かのように脳をぶすりぶすりと突き刺していく。
 その一針一針は電撃に近い。スタンガン。それも一発喰らえば数日の記憶が飛ぶような規格外のスタンガン。それを何度も何度も繰り返し繰り返し脳に直接喰らうかのような幻覚。

(前、前を、見ないと)

 ぼろぼろの意識で、焼ききれる寸前の神経で必死にそれだけを考える。
宗一郎はこちらを見ている。その視線を感じる。敵意も殺意も憎悪も憤怒もない、透明すぎる視線は確実にこちらを見透かしている。
 うろたえている余裕などない。宗一郎がこの場に留まっているということは、何か策があるという意味だ。近接戦を苦手とするキャスターがこの状況で逃げの手を打たず、セイバーと撃ち合っているのはそれが故だろう。
 キャスターの側には何かがあるのだ。この状況をどうにかする、策が。

「ぎ――――あ――――」

 だから堪えろ。痛みに震えている暇なんてない。
 キャスターに奥の手があるのなら、それを見越し、即座に対応するのがマスターの役目なのだから。
 士郎は臓腑が喉元まで競り上がったような嘔吐感を、唾液と共に飲み込んで顔を上げ、

「――――あ」

 今ごろ。
 セイバーの握る宝石剣の姿を、初めて直視してしまった。

 止める猶予すらなく脳裏に設計図が描かれる。意識の制動なんて利かない。衛宮士郎(かいろ)がその奇跡に歓喜の声を上げている。なんて宝物、と子供の様に喜んでいる。あれほどの逸品を解析できることに、これ以上ない幸福を感じている。
 だが、それは間違いだと、思い上がりだと悟る。
 思い描いた設計図。確かにその通りに作れば、あの剣を再現することは可能だろう。なるほど、この身は確かに、ものの構造を理解することにかけては秀でているようだ。
 あの剣の構造は理解できる。
 けれど、自分にできるのはそれだけだ。

 まったく訳がわからない。あの剣に用いられた論理、定理、定義に計算、その全てが理解できていながら把握できない。これは無理だ。理解なんてできない。理解できないことを理解するのが精一杯。
 だからこそ目が離せない。その美しさ。余りの完璧さに息を飲むことしかできない。
 あの剣が、どれほど素晴らしいものなのか。微塵も理解できないからこそ、得心できている。

 ……アレは、あの男の生涯最高の品だろう。

 思い出す。夢で見たそいつ。青い少女とわかれた後に、紆余曲折を経て、彼女を巻き込んで世界中を飛び回った大馬鹿者。
 そんな彼が彼女のために作り上げた贋作(エモノ)が、二つ、あった。
 一つは魔剣。抜いたが最後、敵を切り伏せるまでは決して収まらぬという神話の剣。
 もう一つが、いまセイバーが手にしているアレだ。彼が最高の品として、白い少女のサポートを受けながら、半死半生の思いで組み上げた限定礼装。

 それの名を、なんと言ったか。

 この戦いの始め。
 キャスターと向かい合ったセイバーが、その礼装を起動させるために唱えた真名は、確か。

「平行世界からの干渉だなんて――――力業も、いい加減にしなさい……!」

 キャスターの罵声が、何故か遠い。

 平行世界。
 平行世界?
 第二魔法。
 多重次元屈折現象。
 宝石翁。

 視神経を通し、宝石剣から知らぬ筈の情報が流れ込んでくる。
 キャスターの放った魔術の閃光が視界を埋め尽くした。
 よほど怒髪天を突いたのか、放たれた魔術はいままでのものと比べ物にならないほどに粗野で雑で、強力だった。形を整えていないが為の力なのか、その光に篭められている魔力は、それまでの一撃の二倍近い密度を誇っている。
 その光を前に、セイバーが息を飲んだ。彼女とて分かっているのだろう。セイバーがキャスターに拮抗できたのは、ただ純粋に宝石剣が故であると。宝石剣を用いて、理屈は知れぬが、何処からか導き編み抜いた魔力が、キャスターのそれと拮抗していただけなのだと。
 しかし、いま、キャスターの放った魔力はいままでの二倍近い質を誇っている。先ほどまでと同じ手法では、簡単な引き算の結果、セイバーの魔術は打ち消される。相殺される前に飲み込まれ、勢いを増した光がセイバーを蒸発させるだろう。

「ああ、もう!」

 その全てを理解しているが為だろう、セイバーが苛立たしげに叫んだ。
 衝撃波に靡く黒髪を気にも留めず、夜を染める白光を睨みつける。
 だがそれは無意味だ。いまのままでは、目の前に迫るキャスターの魔術を逃れられない。

 キャスターが比喩した子供の喧嘩、という意味が、ここにきて知れる。それはつまり純粋な力勝負ということ。駆け引きも戦略も何もない、真正面からの潰し合いが先の応酬。
 この一撃とてその延長だ。真正面からの勝負は真正面からの勝負であるからこそ無駄な余地は入らず、加算減算の計算が当てはまる。小から大を引いたらマイナスだ。キャスターの魔力を上回ることのできないセイバーに勝つ道理はなく、この一撃はセイバーを吹き飛ばすだろう。

 だが。

「これ、完全起動にどれだけ体力(まりょく)使うと思ってんのよ!!」

 セイバーは宝石剣を構えた。下段から斜め上に向け、全てを振り払うように剣を薙ぐ。

Welt(事象), Ende(解放)

 風に紛れて聞こえたのは、セイバーのスペル呪文。
 瞬間的に、それが、あの宝石剣の性能を完全に発揮させるための手順だと悟る。

 光はもはや洪水だ。地面を割り砕き空気を燃やし、無駄なことに多大なエネルギーを費やしながら、それでもなお衰えぬ威力を有している。
 そんな光の壁に対し。

「"宝石剣・万華鏡(キシュア・ゼルレッチ・ザ・カレイドスコープ)"――――!!」

 セイバーは宝具の真名を解放し、まったく同質、同密度の魔力の塊をぶつけて見せた。
 かう、と音を立て空気が蒸発する。
 放たれた魔力は奔流となり、迫る光の洪水を押し留めた。

「な――――」

 キャスターの驚愕。
 魔術師は光の放出を止めぬまま、閃光の向こう側で、信じられないと声を張り上げた。

「底なしなの!? 貴方は!!」
「冗談、これが全力よ。さっきまでは中途半端な起動だったから、引っ張って来る最中でロスが出ただけなんだから!!」

 セイバーが宝石剣を切り下ろし、その軌跡が白光の衝撃となり放たれる。

「――――ッ!」

 ごうごうと唸る暴風の向こう側で、キャスターのスペル叫びが聞こえた。キャスターの放つ魔術が勢いを増し、一気に畳み込めようとしたセイバーの魔術を押し戻す。
 両者の魔術はまったくの拮抗。技巧も業も誇りもない、真正面からの潰し合いだ。
 セイバーとキャスターの中間で、相手の魔術を飲み込もうと応酬を繰り返す二つの光を見て、セイバーが口端を歪めた。

「まったく。化物ね、お互い」

 呟きには自嘲が深く、額には滑り落ちるほどの脂汗。唇はチアノーゼを起こしており、その顔は蒼白を通り越して土気色だ。
 士郎は息を飲んだ。先のセイバーの舌打ち、その内容が真実だと悟る。

 おそらく。あの宝石剣は、使用に魔力を消費する宝具ではなく、その性質を維持するために魔力を消費するタイプ型の宝具なのだ。喩えるなら、弾数制限の無いガットリングガン。底を突くことが無い弾薬を、砲身を回転させる電力が尽きるまで放ち続ける反則兵器。問題は、その消費電力が莫大すぎて長続きしないという点。
 く、と士郎は俯き、すぐに顔を上げた。奥歯を噛み締め、いまだ勢いを衰えさせること無く激突する魔力の光を見つめる。
 セイバーに余裕が無いのは明白だ。こんな力勝負を続けていては、おそらくは先にこちらが折れるだろう。
 だから探せ。この状況での勝機。この真正面からのぶつかり合いを終わらせる妙手を探し出せ。
 士郎は左腕を指が食い込むほど強く握り締め、目を細めて魔力の光に目をやった。

 そして。

「――――え?」

 信じられない、という思いが口を突いた。

「マスター?」

 気付いていないのか、セイバーが怪訝な声を上げた。いや、気付くも何もない。あんな無茶、気付いた自分ですら未だに理解できていない。
 なんて無謀。なんて命知らず。
 だが。
 なんという、妙手、なのか。
 それが一瞬の隙だった。士郎が呆然とし、セイバーが眉を潜めたその一瞬。
 カウント計測すれば一秒にも見たぬ筈の時隙。
 その刹那を、十メーター先の針に糸を通すほどの精密さと無謀さで。


 光の中から現れた宗一郎が、瞬きの暇すら与えず、その拳でセイバーの肩を破壊していた。













 目の前に聳えた山は氷山というより氷河であり、それが崩れた様は雪崩というより土石流じみていた。
 その正体はおそらくは微細な氷。水分子一つ一つを別個に凍結させました、と説明されれば信じてしまいそうなほどに密で小さすぎる固体の水。それを郡体というカテゴリで括り、一括して操っているのだろう。
 桜は石段を駆け上がる土石流を見下ろし、それが回避不可能な魔術であることを認めた。氷の波は石段を完全に覆い尽くし、横への離脱は無論のこと、上空への離脱すら許していない。
 ならば残された選択肢は一つ。こちらも魔術を展開し、凛の魔術がこちらに届く前に凛を打ち倒すこと。

Es befiehlt(命ず)――――」

 紡いだ呪文に答え、足元の小瓶が薄く光を発した。
 キャスターから渡された、十の切り札。方向性を決定された、限定用途の魔力の塊。既に七つを失い、残った手札はあと三つ。

 赤、青、透。

 その中のうち赤と青の水を収めた小瓶がぼんやりと光を放ち、こちらの魔力に呼応する。ぴしりとガラスに皹が走ったかと思えば、次の瞬間、それは内側からの圧力により四散した。
 細かなガラス片が石段に散らばり、僅かな月光を反射している。

 つい、と向けた指先に光が集い、溢れ、そして顕実した。

「――――Dann bleibt aibuend(かくてこの場に在るものは無し)!!」

 唱えたスペル命令は、存命を許さぬ必殺の意。
 世界への働きかけに応じ、桜の指の先に二つの光が生まれた。一つは紅蓮の赤、もう一つは冷徹の氷の鏃。正逆の方向性を与えられた魔力は、しかし相互干渉を起こさず、魔術師の意に従い与えられた指令を実行する。
 先に弾けたのは炎の魔術。一抱えほどに膨れ上がっていたソレは音も立てずに膨張・破裂し、幾十、幾百もの礫に分裂した。炎の礫は桜の視線のみで順次射出され、目前に迫る氷河の土石流相手に弾幕を形成する。

 魔力と魔力がぶつかり合い、金属が軋むような、或いは硝子が割れるような音が立て続けに起こる。凛が氷壁を分子単位で扱っていたことが幸いした。目の前の土石流が一つの塊だったなら、分裂した礫程度では受け止められなかっただろう。だが対象は極微細な魔力を集結させ肥大化させた代物。これなら、喩え何れは物量で押し切られるとしても、数秒間なら手持ちの魔力で食い止めることが出来る。

 そう、数秒。分かってはいたことだが、凛の魔術は冗談めいている。どんなからくりがあるのかまでは想像できないが、キャスターに提供されたこの御水を扱ってなお、数秒しか耐え切ることが出来ない。

 故に。
 勝負は、この数秒。

「――――ッ」

 桜は唇を噛み締め、氷壁の一点を指差した。記憶にある凛の立ち居地までの最短距離。その動作に従い、残っていた礫が一挙に桜の指差した点に向かう。拳大の火炎弾は立て続けに同箇所に炸裂し、融合、膨張、炸裂し、凛の魔力に食いつぶされながらも氷壁の内部に侵入、その厚い壁を突き破らんとする。
 氷壁との距離が縮まった。残っていた礫を全て集結させた為だ。もはや防御に廻す礫は残っていない。あと一秒もしないうちに、氷の土石流はこの身体を飲み込み荒れ狂うだろう。待っているのは凍死か、いや、そんな余裕はあるまい。よくて圧死、悪ければ轢死だ。
 細かいながらに独立した氷の粒子に自分の身体が端から削られていく姿を想像しながら、桜は大きく腕を振った。横に薙ぐ軌跡を描いたそれに従い、残っていた氷の魔術塊が二つに割れ、鏃めいた刃を形取る。

 これが最後。

 桜は横に薙いだ腕を、そのまま下に振り下ろした。まるで腕が指揮棒であるかのように、氷の刃が射出される。向かう先は、炎の礫が穿った穴だ。氷壁を、削岩機の如く進む炎の弾を後追いし、氷の刃が空を切る。
 僅か一瞬きの内に、炎の魔弾が消滅したことを悟った。二十七の礫が融合し膨れ上がったそれは、迫り来る氷壁に人ひとりが余裕で通れるほどの穴を穿ちながら氷河を突破し、そこで力尽き霧散した。だがそれは覚悟の内。礫ではこの氷壁に穴を開けるのが精一杯だということぐらい、端から承知している。
 故に本命は氷の刃。僅かなタイムラグをもって発射された双刃は、僅かな時間差となり氷壁を通過、其処に居る筈の凛を貫き切り裂くだろう。凛は既にその場に居ない、ということはありえない。凛の気配は紛れもなく其処にあるし、魔力の放出元も移動していない。
 桜は勝利を確信した。氷刃は紛れもなく凛の身体を切り裂く。このタイミングで回避することなど不可能だし、生半可な魔術でソレが撃ち落とされよう筈もない。
 氷刃は音も無く氷壁の洞窟を通過し、その向こう側に姿を見せた。それと同時、迫っていた氷の土石流の先端が足に触れる。ぱぎ、と音を立て、靴が凍りついた。これが大魔術に近いとは覚悟していたが、まさか瞬間冷凍だなんて、本当、なんという大技なのだろう。

 しかし、と桜は思考する。目前の氷壁が身体全体を凍結させるより、自分の氷刃が凛に到達するほうが早い。足の一本は覚悟しなければならないが、しかし逆に、それだけの犠牲で自分は勝利できるだろう。
 その推測に、桜は息を吐いた。それは感嘆ではなく、本当の意味での呼吸。勝利を確信したが故の、戦闘終了のための呼吸だ。

 だが。

Drei(三番)――――」

 そんな桜の楽観を打ち消すように、氷の向こう側から、笑うような声が響いた。

「――――Es ist brennt Schneide(炎の剣)!!」

 目前の氷壁が、まるで自分から裂けるかのように縦一文字に両断される。













 アーチャーとの戦いを、アサシンは心地よいと感じていた。
 き、き、きんっ、と硬い音が連続して響く。一片の容赦も手心もない剣閃を、赤い弓兵は悉く、間一髪のところで防いで見せていた。弓兵の手にし陰陽の双剣、その二振りが剣ではなく盾として、十分すぎる役目を果たしている。
 一呼吸のうちに三度の剣を走らせながら、アサシンはアーチャーとの距離を詰めていた。アーチャーは既に己の間合いの内。弓兵は仕切りなおそうと後退を選択し、下がった分だけアサシンが前に出る。
 そんな攻防が、既に何度繰り返されただろう。
 周囲は既に広場だ。自分が木々を切り倒すことで拓いた広場。
 アーチャーが立っているのはその中心。  己が、その秘剣を存分に発揮できる場所。

「――――」

 自然、口元に笑みが浮かぶのをアサシンは自覚していた。四肢には心地よい緊張が走り、物思いは果てなく聡明。着物の裾を捲る風も、頬に触れる夜気すらも心地よい。
 アサシンは攻撃の手を休めることなく、しかしアーチャーに親近感を抱いていた。二本の剣を用い、それでもなお防御に廻ることしか出来ない不可思議な弓兵。しかしその瞳に絶望はなく、焦りすらもなく、ただ淡々と反撃の糸口を探す戦士としての輝きが其処にある。
 だが、その程度のことは問題ではない。窮地に活路を見出すことなど、わざわざサーヴァントにならずとも誰にでもできることだ。

 アサシンがアーチャーに親近感を抱いた理由は、唯一つ。
 弓兵が身に着けた、無骨にして流麗、粗野にして的確な剣術だ。

 分かる。分かってしまう。
 この刀しかなかった自分と同じように、あの弓兵には何もなかったのだろう。天賦の才も、非凡の力も、何もかも。故に身に着けた、気の遠くなるほどの鍛錬と実践を踏み越えた実用本位の剣術、否、戦闘術。それが、アーチャーをここまで生きながらさせている道理だ。
 だからこそ、アーチャーは親近感を覚える。何もなかった者として、愚直なまでに平凡だったであろう弓兵に親近感を覚える。

 尤も、それもここまでだ。これ以上じゃれあう訳にも行くまい。マスター同士の決戦は勝負が着いたようだし、こちらものんびりとしているわけにはいかない。
 つい、とアサシンは長刀を構えた。これが全てと。これこそが全力と、同じ平凡な生前を終えたであろうアーチャーを見やる。

「――――行くぞアーチャー。荼毘に伏せるがよい」
「――――ふん。その言葉、そのまま返そう」

 アーチャーは口端に僅かな笑みを浮かべ、こちらの期待通り、愚直なまでに真っ直ぐ距離を詰めてきた。限りない前傾姿勢で疾駆するその姿は、それ自体が矢羽めいている。平凡ゆえに到達できる高み、特異でないからこそ体現できる身のこなしが其処には確かに見て取れた。
 アサシンは歓喜に震える。最高の業を繰り出す瞬間に、かつてない充足を実感する。

 アーチャーは疾うにこちらの間合いに踏み込んでいる。だが、弓兵の間合いまではあと三歩。だが、弓兵にとってみれば三歩など一瞬だろう。
 だから、これは簡単な戦いだ。ようは次の一撃で弓兵を討つか、逆にそれを防いだアーチャーがこの身を打ち倒すか。純粋な、混じりもののない真っ向勝負。

その事実が、あまりにも嬉しくて。

「秘剣――――」

 全力で、アサシンは向かい来る赤い風を迎え撃った。

「――――燕返し」












Es ist brennt Schneide(炎の剣)!!」

 氷壁の一部が打ち破られるのを確認するより少しだけ早く、凛は最後の宝石を消費して魔術を展開した。
 くん、と右手に重みが生まれる。およそ三キロ。見れば、其処にあるのは赤い剣、炎の剣だ。凛の魔術によって編まれた炎はその意思に従い剣の形を選び、持ち手の手を焼かずに焔を吹き上げる。
 その直後、展開していた氷壁の一部が突破された。反対側から氷壁を穿ってきた炎球はそこで消滅し、刹那、炎球の空けた穴を通り二つの氷の刃が姿を見せる。矢もかくや、という速度で飛来するそれらは僅かな時間差を孕みながら真っ直ぐにこちらに飛来する。
 故に、凛は地面を蹴った。魔力を巡らし強化した足回りで、軽く十メータ程を垂直に跳んで見せる。その際、先に来ていた一刃の回避が間に合わず、鋸めいた刃を持つ氷の一撃が左の脇腹を掠めた。負傷した熱と凍結する痛みが相乗して意識を犯し、それだけで叫びそうになる。
 喉元まで出掛かった悲鳴をぐ、と飲み込み、凛は眼下を見下ろした。上昇は既に終わり、身体は下降に入っている。掠った脇腹に少し力を込めれば、驚くことに何も感じない。凍結したが為かどうなのかは計り知れないが、痛みを感じられないほどに負傷していることだけは理解した。

 炎剣を頭上に構える。限界まで身を反らせば、ようやく脇腹に痛みが生まれた。鈍い痛み。鈍いが、脳髄に遠慮なく警告を伝えてくる痛みだ。それから判断するに、脇腹の具合は重傷。放置しておくことはできないだろう。

「――――ッ!」

 凛は歯を食いしばり、落下の慣性を込めながら力いっぱい剣を振るった。氷壁に斬り付ければ、氷の郡体は炎の刃が触れるより一瞬だけ早く、凛の意志に従って左右に裂ける。故に炎剣は何の抵抗もなく氷壁を切り進み、そして、

「――――あ」

 いままさに氷の土石流に埋もれようとして呆然とする桜に、躊躇いなく振るわれた。












「――――燕返し」

 その言葉を聴いた瞬間、アーチャーは自分の死を覚悟した。
 ぞくり、と背筋が粟立つ。それは未来予知や直感に由来するものではない、過去の戦闘経験に裏付けられた未来予測だ。幾千万の戦いを越えた経験が、アーチャーの意識にその事実を告げる。

 即ち、敗北。攻撃は回避不可。故に惨殺。

 分かっていたことだ。この瞬間までアサシンの剣撃を回避できたのは、ただアサシンが手を抜いていたが為なのだということは。いや、アサシンが手を抜いていた、というのは語弊がある。手を抜いてはいなかったが全力ではなかった、というのが一番近い表現だろう。

「――――ッ」

 辛うじて見えていた太刀筋がここに来て見切れない。見切れない攻撃は必中と同意義だ。確かに、これまでのアサシンの剣術から彼が何処を狙うのかは限定できる。その軌道上に剣を構えれば防御はできるだろう。
 だが、算出した可能性は絶望的だった。狙われた箇所は何れも急所の三点、それを悉く三方向から狙われている。故に想像した太刀筋は合計二十七閃。どれほど思考を廻しても、それ以下に限定することができない。二十七ある死の可能性のうち、一つを限定して守ることなどどうしてできよう。

(二十七のうち、一つを――――?)

 その思考に、アーチャーは息を呑んだ。
 二十七、僅かに二十七!
 ああ、勘違いをしていた。なんて愚かな思考の袋小路だ。たったそれだけ、たとえ絞れ凝れずとも、可能性として断定できている有限の可能性に、どうして自分が敗れよう。

 アサシンの刃が迫る。見切れないそれは濃密な死の気配となってアーチャーの意識を刺激した。だが、いまはそんな些細なものは無視。見えなかろうが秘剣だろうが、その程度の些細な問題は笑ってかわせ。大丈夫、勝てる。可能性を絞り込んだ時点で、この身の勝利は即ち必定。

 何故ならば。

「――――投影(トレース)開始(オン)

 この身体は、無限の剣で出来ているのだから。

 呪文に従い、アーチャーの周囲に二つの刃が生まれた。投影したのは、いま手にあるものと同じ干将莫耶。投影した箇所は、考えうる太刀筋のその軌道上。
 だがそれは焼け石に水と同じだ。二十七のうち二つを防いだところで、残った可能性は二十五。闇雲に防ぐには、まだ可能性が多すぎる。
 故に、ここで止まる筈がない。

「――――投影(トレース)開始(オン)

 再び投影。これにより残った可能性は二十三。
 ずきり、と意識に痛みが走った。それも当然。投影は空想と現実との齟齬により存在を失い無に落つる。同じものを同時に複数投影するということは、同じものが複数存在するという矛盾を矛盾させずに合理化させるという無茶だ。それを意識せずにいられる筈がない。しかしそれを意識した瞬間、幻想は空想に堕落する。故に複数投影はまったくの無意味。

 だが、それがどうした、とアーチャーは思考する。

「――――投影(トレース)開始(オン)

 残る可能性、二十一。
 矛盾がどうした、道理がどうした。もとよりこの身は贋作師、出来ることは全ての者を欺くことのみ。
 だからそう、難しいことはない。

 単純な話だ。

 ただ単に、世界と同時にこの自分さえも欺けばいいだけなのだから。

「――――投影(トレース)開始(オン)

 そうして投影は完了した。アサシンの刃が届く前、一瞬に満たない時間の中で、その無茶を行使する。投影回数は十三回。十三組、合計二十六の刃が盾の如くアーチャーの周囲に展開している。
 アーチャーは左腕を伸ばし、考えうる最後の可能性、二十七太刀のうち二十七つ目の可能性をそれで封じた。疾走は緩めない。アサシンまではあと一歩。右手の干将を構え、突きの構えを取る。
 刹那、がぎ、という音が三度響いた。周囲に展開していた干将莫耶のうち二つが金属音を立て迫る刃を防ぎ止め、同時に左手で構えた莫耶に力強い衝撃が走る。

「な――――」

 唖然としたようなアサシンの声。それに答えるようにアーチャーは口端をにやり、と歪め、

「終わりだ、アサシン!」

 高らかな声と共に右の干将を繰り出した。
 無骨な刃は真っ直ぐに、最短距離でアサシンの身体に届き、その切っ先をアサシンの胸に潜り込ませた。












 炎の剣は真っ直ぐに振り下ろされ――――そして、目の前でぴたりと静止した。
 ごうごうと音を立てて唸る炎。本来なら放射熱で顔が焼け爛れてもよさそうなものだが、熱の伝播する対象を刀身が触れたものに限定しているのか、微塵の熱さも感じない。
 炎の向こう側。剣を振った姿勢のまま、はぁ、と凛が肩で息を吐いた。気だるげにこちらを見下ろし、まったく、と不満げに呟く。

「まさか、手持ちの宝石全部使う羽目になるとは思わなかったわ」
「ね、姉さん……?」

 殺さないのですか、と視線で問う。あと少し。それこそ手首を捻るだけでこの炎剣はあっさりとこの命を刈り取るだろう。切り札はもう一つ残っているが、この状況からではどうにもならない。どんな呪文を唱えたとしても、それより早く剣が振るわれるだろう。
 その思いに、ん? と凛が不思議そうな顔をした。当然のように、そして当たり前の用に告げてくる。

「どうしたの、桜。まさか勝負が着いたっていうのに、まだなんとか出来るなんて思ってる訳じゃないでしょう?」

 凛の言葉は正しい。確かに勝負は着いたし、こちらはもはや手詰まりだ。この状況を改善する策なんて浮かばないし、打つべき手も思い描けない。
 でも、いや、だからこそ、不思議だった。
 桜は凛の瞳を見る。自信に満ちた輝き。自分が間違っていないと主張して止まない輝きだ。

「姉さん」

 その光は、少し、眩し過ぎた。
 桜は目を伏せ、声だけで、先の思いを口にして問う。

「殺さないんですか、私を」

 答えは明瞭。

「冗談。あなたにはやってもらうことがあるんだから」
「え?」

 桜は顔を上げる。
 見上げた先には、これ異常ないほどに意地の悪い笑みを浮かべる凛の顔があった。

「桜、あなたには士郎に謝ってもらうわ。あの馬鹿のことだもの、助けて、って言えば何が何でも助けようとした筈よ。それをしなかったってことは、桜、あなたが助けを求めなかっただけでしょう? なのに助けてもらえなかったから恨むだなんて、お門違いもいいところよ」

 当然のように告げられる言葉の一つ一つが、憎々しいほど鋭利にこちらの気持ちを切り裂いた。ぐ、と手を握る。知っている。その程度承知している。衛宮士郎を恨むのは見当違いだと理解している自分が居て、同時に、ならばどうすればいいの、と叫んでいる自分が居た。

「じゃあ」

 どうしたらよかったんですか、と桜は呟いた。
 その言葉に、凛は不愉快そうに眉をひそめる。

「そんなことも分からないの? 桜。あなたはね、ただ助けてって言えば、それでよかったって言うのに」
「――――ッ。そんな、簡単に」
「行くわよ。だって簡単なことだもの。それをしなかったのは、桜、事実あなたの手落ちじゃない」

 凛の言葉に容赦はない。
 こっちの気も知らず、否、おそらくは知りながら、そんな当たり前の答えを提示してみせる。

「ああ、もう」

 俯いたこちらに対してか、苛立たしげに凛が吐き捨てた。
 桜、と名を呼び、びくりと顔を上げれば、その鼻先に剣を持たぬほうの指を突きつけてくる。

「決めた。いま決めた。桜、あなたには絶対謝らせるわ。あとついでに、士郎にもあなたに謝ってもらう。助けを求めなかったあなたも悪いけど、それに気付かなかった士郎の鈍感さにも腹が立つもの」

 呆、と桜は凛の顔を見上げた。顔をしかめた凛は、どうやら本気で怒っているらしい。
 その事実が、つい先ほどまで命を削りあっていた相手の境遇について本気で怒ることが出来るという事実が何故か面白くて、くすり、と桜は笑ってしまった。  ん、と凛が首を傾げる。

「どうしたの、桜」
「いいえ、別に何でもありません。ただ、」

 そう、ただ。
 そんな、他人に対して必死になれるという事実が桜の憧れた遠坂凛という少女の実態であり、同時に、彼女が想った少年の在り方と同じだと気付いただけ。

 だから、桜は微笑んだ。自嘲でも苦笑でもない、いろいろなものを脱ぎ捨てた、数日振りに浮かべることになる本当の微笑。

「ただ――――負けたんだな、って思っただけですから」

 その言葉に、凛はきょとんとした表情を返してきた。
 そして、さも当然の如く、

「当たり前じゃない。今更、何言ってるの?」

 そんな不遜なことを、桜の予想通り、なんの憚りもなく言ってのけた。

















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