魔法使いと過ごす部屋


2.【調和;U】


 水曜日の夕食はパスタというのが、いつの間にか僕たちの習慣になっていた。
 もっとも彼女が料理だなんてことをしてくれるはずもなく
 僕が毎週々々数少ないレパートリーを必死でやりくりすることになる。

 まあ、そんな苦労も既に、僕の中では定番となっていた。

「……またミート?」

 テーブルの向かい合う席に座った彼女は
 たったいま僕が持ってきたばかりの白い深皿を……と言うか
 そこに盛られたミートソーススパゲティを見てうんざりとした息を吐いた。
 僕はそれを無視して、愛用している黒い無地のエプロンを外しながら席についた。
 彼女はこれはもう飽きたんだけどな≠ニ言わんばかりの顔をしながら
 それでも自分の皿にスパゲティを盛り付けていく。

 適度な量を盛り付けて、粉チーズを軽く一振り。

 目の前にいる僕にはなにも言わず、彼女はフォークで絡めとったスパゲティを口に運んだ。
 目を閉じて、もぐもぐと静かに咀嚼。
 こくん、と嚥下して、ゆっくりと瞳を開いた。
 そこに覗く青瞳は、やはり、うんざりとした色に染まっている。

「……しかも美味しいし」
「なら文句言わずに食べなよ」

 僕は半ば呆れながらそう言って、自分の分を皿に盛り付けた。
 けれど、こんな会話もいつのまにか日常。
 僕の生活における全てが「いつの間にか」に成り下がっている。
 街には冬が訪れるなか、僕と彼女の同居生活ははや三ヶ月を数えようとしていた。










 本日最後の食事は、わりとあっさりと終わってしまった。
 僕は流しで皿を洗いながら肩越しに、テレビに見入っている彼女の姿を眺めた。
 軽く外に向かって跳ねるかたちの金髪は、癖毛なのかそれともそういう髪型なのか
 真っ直ぐに伸びていることを見たことがない。
 特に会話もなく、時間が流れる。
 彼女は特に見たい番組があるというわけではないらしく、時折チャンネルを変えてはしばらく眺め
 またチャンネルを変えるという行動を繰り返していた。

「見たいのがないんなら消せば?」
「それもそうね」

 そうして彼女はリモコンでテレビを消した。
 ぷつん、なんて音がして箱の中にいたコメディアンの姿がかき消される。
 安っぽい音楽と大量消費の画面が消えて、部屋の中には正真証明の静寂がやってきた。

 ただかちゃかちゃと、食器の触れる音が静かに響く。
 皿の水滴を布巾で拭き取りながら、珍しいなと僕は思った。
 こんな時間、滅多にない。
 たいていはテレビがついていたり、意味も形もない会話が横たわったりしているのだけれど、
 今夜はそれすらありはしない。

 少しだけ考えて、多少濃いめのコーヒーを二人分煎れることにした。
 インスタントではなく、れっきとしたサイフォンで煎れるマトモなコーヒーである。
 ずいぶんと長い間押入れの隅で埃をかぶっていたサイフォンは
 ここ数ヶ月めまぐるしい活躍を見せていた。

 ポットの中に黒々とした液体が溜まって、それをミルクカップに注いだ頃には
 やはり、彼女の姿はリビングから居なくなっていた。

 僕は慌てることもなく、二つのカップを手にベランダに出る。
 冬本番の夜風は身を切るほどに冷たくて、空気は気持ちいいぐらいに済んでいた。

 僕の部屋はマンションの一室だ。
 地上一〇階の部屋からは、街並みがわりと遠くまで見渡せる。
 繁華街の方ではいまだ明かりが途絶えることはなく、それとは裏腹に
 その周囲では閑散とした夜の気配だけが漂っていた。
 僕が通う高校(とは言っても夏以降に顔を出した覚えはない)も、いまだけは
 ただの黒いだけの石碑に見える――あながち間違いじゃないか。
 紛れもなく、アレは知恵を授けるモノなんだから。

 ベランダの狭い足場にも、彼女の姿はありはしない。
 だから僕は暗い空を見上げた。


 そして予想通り、空を飛んでいる彼女を見つけた。

 正確に言うならば「飛ぶ」ではなく「浮かぶ」だろうか。
 上昇も下降もすることはなく。
 ただ静止して、彼女はそこに浮かんでいる。
 僕が足を着いているベランダから、実に一〇メーターほど空により近い場所。

 背筋をぴんと伸ばし、肩までの金髪を風に靡かせて。
 白い肌を星明りに照らし、一心に夜空を見上げている。


 その姿は――初めて見るというわけでもないのに――ひどく幻想的で、
 儚くて、悪魔的だった。


 ……それも当然か。

 だって彼女は人間ではない。
 人間種であっても、人間ではないのだ。

 人間という種の小路から、ほんの少し脇にそれたモノ。
 それは俗に、魔法使いなんていう呼称で呼ばれている。

 そんな魔法使いの彼女に僕は――たぶん、魅入っていた。
 彼女が夜空を見つめるのと同じぐらい、願わくはそれ以上に、僕は彼女の姿に魅入っていたのだと思う。


 なにも、彼女がこうやって夜空を見上げるのはこれが初めてではない。
 理由はわからないけれど、時折、ふら、と。
 彼女は星や月を見上げることがある。

 魔法使いじゃない僕は、そんな彼女を下から見上げるだけだ。


 しばらくして、彼女がこちらに気付いた。
 ベランダに舞い降りた彼女に、カップの一つを差し出す。

「もう冷めちゃったけどね」
「……馬鹿ね、中で待っててくれればよかったのに」

 彼女は呆れながら、それでもコーヒーを飲んだ。
 僕も苦笑して、冷めた、苦いだけの液体を口に運んだ。

 星は変わることなく、静かに瞬いていた。
















 僕と彼女の生活は、いつの間にかこんなサイクルを描いていた。
 ただ、いまだけは。
 その「いつの間にか」に感謝したい気持ちだった。




 

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