魔法使いと過ごす部屋


4.【調声】



 夜中に突然目が覚めた。


 部屋の中は、冷たく、暗い。
 開いたカーテンから指し込むのは微かに青い月明かり。
 嘘臭い光が部屋の中に僅かな陰影を作り上げていた。

 どうして目が覚めたのか、それが一瞬判らなかった。
 ただ、すぐそこに人の気配を感じて、体を起こす。
 そしてそちらに顔を向ける。





 夜の闇に紛れるように。
 魔法使いがそこにいた。










 どうしてここに来たんだろう、なんてコトを胡乱な頭で考えた。
 夜の別れをした後は、互いに不可侵だったはず。
 それは最後のマナーだし、それが自分の理性を保つことのできる最後の境界だと知っていた。

 こんばんは、と彼女は言った。
 うん、と僕は答えた。

 部屋は暗い。
 窓から差し込むハンパな明かりじゃ、彼女の顔も見えやしない。

 ベッドの上で体を起こし、立ちあがることだってできないままで。

 どうしたの、と彼女に問うた。
 さよならを言いに来たの、と彼女は唄った。

「ごめんなさい。あなたに嘘をついていたわ」

 少しだけ顔を伏せて、だけどいつもの通りの明るい声音で。
 彼女は宣う。

「私は別に、この国に亡命しに来たわけじゃない――――この国に革命を起こしにきたの」
「革命?」

 あまりに意外だったその言葉に、僕は訊き返した。
 彼女はそう、と言って頷く。

 彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
 魔法使いたちが自分たちの国を作ろうとしていること、その場所に日本が選ばれたということ。
 自分が革命闘士の一人であること。
 そして近いうちに、大きな地震が起こる――――否、地震を起こすということ。

「この地域の地脈は、そのまま東京に繋がっているの。
 ここの地脈を破壊すれば連鎖的に崩壊が起こって、東京を大地震が襲う。
 こんな平和ボケの国、首都を落とせばすぐに崩壊してしまう――――ごめんなさい。
 私たちは、私たちのためだけにあなたたちの国を奪おうとしている」

 言って、彼女は頭を下げた。その声はまるで搾り出されたように、悲痛に満ちていた。
 正直、聞くことも耐えられないぐらいに。

「……そんなことを僕に話して、どうするのさ」

 話を逸らしたかった。でも、できなかった。
 だって、僕の中に嫌な予感があったから。
 いや、それは既に告げられた事実。

 それを認めたくなくて、少しでも話を引き伸ばそうとした。

 言の終着駅にある別れを、遠ざけようとした。


「そうね、あなたに話しても仕方がない。
 知ってる?
 この町には、もう百人近い魔法使いが世界中から集結しているの。
 国籍、身分、年齢なんか関係なしに、ただ自分の国を作るために。
 あなたにこれは止められない。
 それは、どうしようもない事実ね」

「……地脈を破壊するって言ったね。どうやって?」

「簡単よ。私たちは魔法使いだもの。
 地脈というのが物理的に存在している以上、破壊するのは容易だわ。
 所詮力をぶつければ壊れる物だもの」

「どうして、この国を選んだの?」

「私も詳しいことは知らないわ。
 ただ、統計的に、この国で行使する魔法はその効果が上がっているという事実がある。
 因果関係こそ不明だけど、理由はそれだけでも充分。
 それに無信教でしょ?
 協力者もいて、やりやすいの」


 いったい、彼女はどんな顔をしているのだろう。
 震える声を聞きながら、ぼんやりとそんなことを思った。

「……どうして、そんなことを僕に?」

 愚かにも、僕は。
 答えがわかっているはずなのに。
 同じ質問を繰り返した。

「判らないわよ、そんなこと!!」

 癇癪を起こした子供のように、彼女は泣いた。

「もうなにも判んないのよ!
 判ってるわよ、あなたに言ったって仕方がないってことぐらい!
 でも、言わずにはいられなかったのよ!!」

 初めて見る、感情を吐露した彼女の姿。

 彼女の抱いたそれは、おそらくは罪悪感。
 一つの国を滅ぼすという、そこに住む人たちから国を奪うという行為の、その一端を担っているという罪過。
 それを吐き出すことで、彼女は一時の安らぎを得ようとしているのだろうか。


 だとしたら、これは懺悔。
 参ったな。僕は神父でもなんでもありゃしないのに。


 さんざん叫んで、感情を振りまいて。
 ややあって、彼女は元の落ちつきを取り戻した。

 くるり、と身を翻す。
 そして僕を見ずに、詠う様に言葉を紡ぐ。

「お願い。勝手だけど、いますぐこの国を離れて。
 あなたを巻き込みたくない」
「……」

 僕はなにも答えない。答えられるはずがない。
 国外へ移る。そんな時間も財力も無いことぐらい、彼女だって承知しているのだろうに。
 それでも彼女は、言わずには、忠告せずには、願わずにはいられなかったのか。

 そして会話は終わった。
 あっけない終わりだった。

 彼女はしばらくの間、なにかを待つようにそこに佇んで……やがて、ゆっくりとドアに向かった。

 その背中に、僕は声をかける。

「僕もね、一つ嘘をついてたんだ」

 彼女の足が止まる。
 引きとめたくて、僕もそのことを懺悔する。
 とても、とても可愛らしいウソだけど。

 彼女を騙したままなのは、耐えられない。

「僕の両親さ、単身赴任なんて嘘なんだ。
 ホントは離婚協定中。月に一回顔を見せればいい方ってコトだけ、本当かな」

 ずいぶんと昔になるけれど。
 自分が両方の親にとって荷物にしかなっていないことぐらい、簡単に悟ることができた。

 だから進学を諦めた。
 少しでも早く自立して、親の世話になるもんかと決意した。

「――――そんなこと、私に話してどうするの?」

 それは僕の問い。

「そうだね。自己満足かな」

 ああ、それと感謝のキモチ。
 君は、確かに僕を必要としてくれた。
 それが家政夫だとか、その程度の扱いであったとしても構わない。
 僕をてい良く利用しただけかもしれないけど、それで充分なんだ。

 必要とされて、嬉しかったから。

「そう。それじゃあ……バイバイ」

 静かな声音。彼女の指が、ドアノブに掛かる。

「――――」
「え?」

 上げかけた声に、彼女がこちらに振り返った。
 僕は息を呑む。

 君と出会えて嬉しかった。
 それは事実。

 言いたい言葉があるはずなのに、どんな言葉も浮かんでこない。
 抱いた気持ちがあるはずなのに、全てが霞んで掴めない。

 ずいぶんの沈黙の後。

「――――バイバイ」

 そんな、当たり前のような言葉しか掛けれなかった。





 そうして彼女は出ていった。
 短い僕たちの同居生活の、あっけないほど滑稽な終わりだった。






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